※おまけ

 最初に聞こえてきたのは航海士の声だった。酒屋から出たところで、ちらりと見えたオレンジの髪とその横で揺れるポニーテール。特に疚しいことは何もなかったが、ナミの言った『あんなの』と『婚期』という言葉。考えなくとも俺とアイツの関係についてとやかく言われているのが分かった。そうなりゃあ話は別。その手の話題は俺の専門外だ。

 酒屋の壁に背中を預け、喋り続ける女二人が通り過ぎるのを待った。名前のちょっと困った笑い方、癖になっていることに、あの鈍感女は自分で気づいていない。ナミが何か言い、名前が寂しそうに目を伏せる。

「でも私、あの男以外と、一緒になるつもりはないよ」

 そんな顔で、言う言葉じゃあねぇだろう。

 船に戻り、買ってきた酒を開けようと、甲板に腰を下ろすと、ナミがつかつかと近づいてきた。名前は一緒じゃないらしい。なに昼間から酒飲もうとしてんのよ、と俺の酒瓶を取り上げる。逆に何を怒ってやがる。いつも昼間から酒飲んでんだろが。

「アンタ、あれ見た?」

 ビシッと指差された先、港の近くに佇む教会。あんな目立つところで式挙げてりゃ嫌でも目に入る。あれがどうしたと言えば、ナミは指先を俺に変え、今日名前と買い物に行ったのよ、と今更なことを話し始める。知ってる。見てた。言わねぇけど。

「あのこ、アンタが大剣豪になるのを待ち続けて死んでもいいとか言ってたけど、まさかそんなにアレコレ待たせるつもりは無いわよね?」
「はぁ? ……当たり前だろうが」
「じゃあいいわ、行きなさい」

 行けってどこに。何で怒ってんのか知らねえが、これ以上答える気はないらしい目の前の女の後ろ、ひょこひょこと船に戻ってきたのはチョッパーだ。ちゃんと名前に伝えたぞ!とナミに言い、ありがとうチョッパーと一言。ほら早く、と追い出されるように船を出る。

「あそこよ、あそこ」

 チョッパーがこの道まっすぐ行くだけだぞ、と身を乗り出した。面倒なことに巻き込むんじゃねぇよと思いながらも、アイツを振り回して待ちぼうけさせる訳にもいかず歩き出す。

「ゾローーまっすぐだぞーー」
「わぁってるよ」

 誰がテメェの女の場所間違えるかよ。

 まっすぐ歩くと、丘の上に出た。名前は街の方から来ると聞いたので、どうにか先に着くことが出来たらしい。しばらく待つと、ニヤニヤと笑いながら楽しそうな名前が姿を見せた。何でもないと言っているが、お前絶対俺のこと見て笑っただろう。珍しいね、と言われ返す言葉もなかったので、悪いかと言った。彼女はやっぱり可笑しいようで、目を細めて笑いをこらえてる。

「大方、ナミに何か言われたんでしょう」

 認めるのは癪なんで、だんまりを決め込んだ。笑いたきゃ笑え。

 名前の視線の先。港の見える教会。鐘の音は島全体に響き渡っている。彼女の横顔は青い空によく映える。この女も世の女がそうであるように、未来のことを考えているのかと思うと、日頃の自分を思い返してしわが寄せる。一度だって将来のことなど語ったことのない俺だ。不安も、見せるような奴じゃないと、いつの間にか忘れていた。

「気にしなくていいよ」

 名前が、取り繕うような笑顔を見せる。また悪い癖のお出ましだ。『そんな先のこと』彼女と俺と、描く道の距離が違うのなら、きっとそれは言葉にしなけりゃ伝わるはずがない。

 わざと、違う話題を持ち出せば、彼女はきょとんと目を丸くした後、豪快に声を上げて笑い出した。自分だけが、勘違いをしたと思っているらしい。そういうつもりで言ったんじゃない、と。何を持って謝っているのか。悪いのはお前じゃねぇのに。

「…どうだかな」

 名前が安心したような笑顔を見せる。もう少し。あの海賊船が、それぞれの夢の果てに辿り着くまで、そう遠くはないはずだ。誰が死ぬまで待たせるか。

「その時、俺の隣にいるのはお前だ」

 他の誰でもなく。お前がいい、と言えない俺を、そうやって隣でずっと笑っていりゃあいいだろう。そうしたらいつか、望むもの、なんだって叶えてやるよ。準備しとけよ、と丘を発つ。彼女がパタパタと駆け足で俺に追いついたので、歩の進みを合わせて遅める。お前と出会うまで、誰かに合わせて生きようなんて、思ったこともねぇ。名前と出会い知った、寝ちまいそうなほどゆっくり流れる景色も嫌いじゃねぇが、そんなこともこの女は知るはずがない。言葉にしなけりゃ伝わらない。伝わらなくてもいいことばかりが、俺の言葉だ。

「言っておくが、俺は白のスーツなんて着ねぇぞ」

 お前のドレス姿なら見るのも悪くねぇが、俺は御免だ。慌てた彼女が、伝えてこなかった思いの一つでも思い知ればいい、と意地の悪いことを考えながら、俺らの船へと道を行く。こっちだと俺の手を引くお前が、これからもどうか、俺の隣でそうして俺の指針であり続けるように、と。指先を絡めれば、心底嬉しそうな顔で微笑むから、たまには悪くねぇかとらしくもないことを思った。幸せを祝う花弁舞うこの道が、彼女の望む道と繋がるように。俺は神には祈らない。

 我が道は己の剣で切り拓け。