ガタガタと窓が音を立てる。ひどい荒れ模様だ。日頃穏やかな天気のこの島には珍しい。島の最東端、王の住む宮古から離れたこの場所は、特に高波の影響を受けやすい。右に10度傾いているようなこの家じゃおちおち寝てもいられない。目が覚めたら海の中でした、なんて、御伽噺にもできやしない。今夜は作業が進みそうだ。

 ドンドン。

 ドアを叩きつける風音に混じって、確かに誰かが戸を叩いた。誰か、と言っても、こんな寂れたところをわざわざ訪ねてくる人間なんて、この国には一人しかいないが。相変わらず物好きだと、重たくなった腰をあげる。ついでに暖炉にマッチを投げた。指先が冷えると思った。

「遅えじゃねえか、早く中に入れてくれ」
「空耳かと思ったのよ、勝手言わないで」

 態とらしく身震いする大男。人目に付くピンクのコートは、ここへ来るときはいつも留守番だ。ガタガタと怪しげな音を立てるドアが、風邪に負けて吹っ飛んでしまう前に、彼を中に入れて扉を閉める。バキッと嫌な音がしたが、まあ良い。嵐が過ぎたら直すことにしよう。

「紅茶とコーヒー」
「どっちも夜に飲むもんじゃねえな」
「あら、寝る気だったの、ごめんなさい」

 ピイと甲高い音を鳴らし、やかんが湯の沸いた子を教えてくれる。愛用しているカップにコーヒーの粉を一杯。父がかつて使っていた大きなカップには、コーヒーとウィスキを入れて湯を注いだ。それを彼に手渡してみると、不思議なことに、マグカップ、ソファ、この家に到るまで、彼の周りの全てが人形の家のように小さく見えてしまう。ひとりぼっちで暮らすには、広くて落ち着かないと言うのに。

「仕事は順調か」
「見ての通り」
「これまた不細工な顔だなァ」

 木こりの兵隊を手に、彼が妖しく笑う。私の作る玩具が売れないのは、不細工な顔のせいじゃあないが、そんなやりとりは使い古してしまって、引き出しの奥で埃を被っている。彼が持つと手のひらの中にすっぽり収まるほどのサイズだが、子供達が持てばそれなりに可愛く見えるものだ。残念なことに、ドレスローザの子供達が持っている人形は全て。ああ、惨いこと。この世の中に夢や希望なんて有り得ない。

「制服をピンクに変えたら売れるかしら」
「ずいぶん意地悪を言うじゃねえか」
「今更ね」

 リップ音を立てて、彼の唇が離れてゆく。彼のためだけに運び込まれた大きなソファに、彼がどっぷりと身を沈めている間に、作業机に戻る。塗装前の海列車。本物を見たことがないので色合いなど知らないが、子供達が好む色など限られている。父がかつて私に残した木の汽車を眺めながら、ヤスリを手に取った。

「あのボロボロの窓に木でもうたねえと、吹き曝しになるぞ」
「そんなこと、この腕でできるとお思いで?」
「ハンマーと板はあんのか」
「英雄にそんなことさせられる訳ないでしょう」
「そんな大したもんじゃねえさ」

 ああ、ドンキホーテ=ドフラミンゴ、英雄じゃなく国王様の間違いだった。じゃあよろしくねと、錆びたハンマーと前回の嵐の時に使ったベニヤ板を手渡す。薄っぺらいが、ないより幾分かマシだろう。

「何がお望みなわけ?」
「風呂の湯は沸いてるか」
「……あなた、意外と狭いとこが好きね」

 今日はシャワーで済ますつもりだったけれど、王様のお望みならば仕方がない。私がため息をつきながらお風呂場に向かうと、その向こうでフッフと笑った彼が、これまたボロボロのドアに手をかけた。海の荒れる音、風は吹き募り、雷まで轟いている。

「……ドフィ、」
「すぐ終わる」

 聞こえないと思って私の名前を呼ぶ弱い男。一国の王として生きる時には決して晒さぬ顔をして、雨に紛れて涙でも流すつもりなのか。踏み込まない私だからこそ、永く共にいられるというのに。私の前で、一人で生きられないような顔をするのは卑怯だ。私をひとりぼっちにしたのは、誰よ。

「愚かしいこと」


 背伸びしてやっと外が見える高さに、小窓がある。それすらもギシギシ鳴っているというのだから、この家もいよいよ限界だ。バスタブの中から見ると、空というのは両手の親指と人差し指の中に収まるくらいの広さ。この小さな家の、一人だってやっとなバスタブの中で膝を抱えていれば、世界が広いことなど一生知らずに生きて行ける。そのことの、何がいけないと言うのか。

「……空でも飛ぶ気か」
「それはあなたのことでしょう」
「お前が望むなら糸くらい引いてやるが」
「いやよ」

 彼は、そう言うと思ったと笑いながら、私の腕を撫で、指先に自分のそれを絡ませる。

「空を飛ぶってのはいいもんだ 世界を手に入れたような気になれる」

 私は世界なんて大きなものは欲しくない。私と私の作るものを守れる小さな家があれば十分だ。けれどそれを言ったって、彼にはちっとも理解できない。見ているものがまるで違うのだ。それなのに、彼は私に執着する。愚かなことだが、わざわざ気づかせる必要もない。人間は皆愚かだ。

「もう出ようよ、逆上せてきた」
「まあ待て」

 顎を掴まれ、口づけ。逆上せそうって言ってるのに。

 彼が私の望むことを全て叶えてきたように、私も彼の望みに沿って生きてきた。私と彼は家族にはならないけれど、私はいつまでだって、ここで彼を待っている。  止まり木が、嵐に負けて折れるまで、渡り鳥が帰る家を一つ、忘れてしまうまで。

春の嵐と私だけの犬