ああ、元はと言えばこの男のせいなんだよなあ。
隣に立つ元凶が、なぜかこの状況で眠そうにあくびをしている。ゾロがいつも眠そうなのも、こういうのを何とも思わないのも知っているけど、それでもやっぱり私はそのあくびが、にわかに信じられず、口を開けたまま彼の顔を凝視してしまった。

あ、口開けてって、あくびじゃなくて、あんぐりの方で。

「……なンだ」
「いや、眠いんだって」
「それが何だよ」
「羨ましいよ、ホント」

私が呆れているのが、トント分からないという顔でゾロが眉間に皺を寄せる。
私にゾロが分からないように、ゾロにも私は分からないのだ。多分だけど、私たち気は合わない。一緒にいる時間は長いけど。

「で、行くんだろ」
「……だってこのまま失くすのは、嫌だし」
「んじゃ、さっさと行くぞ」
「えー」

私たちの目の前にはボロボロの家が一棟。
1階の窓は強盗にでも押し入られたみたいにズタズタなのに、2階のカーテンは無傷のままひらひら揺れている。白かったであろう壁はすでに土に近い色に変化していて、どれだけ長い間ここに放置されているのかが察せられる。

「怖いのかよ」
「だったら何」
「海賊だろーが」
「アンタだって海賊なのに地図読めないじゃない」
「一緒にすんな」
「一緒よ」

3秒、睨み合う。4秒後、それは全く無駄だと気づいた。
この廃墟に入る前にゾロと争ったって意味がない。ここに用事があるのは私なのだから。

「大体、ほんとにこんなとこに子供が入っていったのかよ」
「見たもん」
「誰も住んでねーだろ、どう見ても」
「でもイタズラで置きっぱなしにされてるかもだし」

煮え切らない私に、ゾロの機嫌は悪くなる一方だ。
でも、だって。怖いんだから仕方ない。海賊だからとか関係ないし。普通にお化けとか廃墟とかビビるし怖いし苦手だ。

そもそもの発端は、ふたりで買い物に出かけたら例の如くゾロが迷子になったのが悪いし、そこで私がネックレスを落としたのはたまたまだ。思えば、あれも不吉なことが起こる前触れだったのかもしれない。

ネックレスを落としたことに気づいて拾おうとしたら、それを私より先に拾ったのはチョッパーくらいの背丈の女の子で、私が「ありがとう」を言いかけると、そのまま私のネックレスを入って持って行ってしまったのだ。

「それで、追いかけたらここに入るのを見たの」
「だから入るしかねーだろ」
「うえー」
「行くぞ」

とうとう痺れを切らした緑頭が、腰にぶら下げた刀をカチカチ言わせながら中へ入っていく。嫌だな嫌だなとは思うけど、でもあのネックレスは手放したくない。場所が分かっているなら尚更だ。

「おら、早くしろ」
「待ってよ!」

:::

恐る恐る、廃墟の中へ足を踏み入れる。
外はあんなに晴れて暖かな日だったのに、中はひんやりとしていて薄気味悪い。俗に言う“出そう”な雰囲気がぷんぷんしてる。

私は目の前にある鍛えられた太い腕を両手で掴み、ゾロは最初に一言「歩きづれー」と言ったが、払おうとはしなかった。彼はなんだかんだ言っても、私が頼れば応えてくれるタイプの男である。

「うわ、」
「どうした」
「見て、なんか骨ある」
「そりゃあんだろ」
「いや、ないでしょ」

廃墟に骨があったら、それは曰く付き確定だ。最悪なものを見つけてしまった。
ますます気分は下がり、体調が悪くなるような気さえしたが、目の前の男はどこ吹く風。右も左もキョロキョロしながら、私の失くしものを探してくれている。

「あった?」
「お前も探せばか」
「探してるけど、……怖くて、……あんまり見れない」
「ったく」

ほとんどゾロの腕にしがみつくような形で、申し訳程度に捜索していたのでは日が暮れても見つかりそうにない。まあ、ここにいたら日が暮れても暮れていなくても夜みたいに暗いけど。一番探しやすかった、あの窓の壊れていた1階の部屋は足跡がいっぱいあるだけで何もなかった。それだけはハッキリ確認済み。

「……なんかさ」
「ああ」
「2階から音しない?」
「するな」
「やっぱり?」

さっきから気づかないようにしていたけれど、一応聞いてみたら、ゾロに肯定されてしまった。物音が。ゴソゴソとかヒューヒューとか、明らかに風だけで起きるはずのないような音がするのだ。外から見た時、人影なんかなかったのに。

「上がるぞ」
「え」
「上にいんだろ、その子供がよ」

なんかいつにも増して冷静なゾロが、いつにも増して頼もしく思えて、ゾロと一緒なら行けるかもなんて安易な考えが頭に浮かぶ。

一段一段、階段を上がる。それでも小さな家の階段なんて高が知れている。すぐに2階だ。開けっぱなしになっているドアの向こうは、外から見たカーテンの付けられた部屋。そこは廃墟とは思えないほど綺麗な状態で残されていた。逆に不気味。

「こっちか」
「音、しなくなったね」
「気づいて逃げたのか? 入口は1つしかなかったようだが」
「ま、待った。もう入るの?」

こんな怖いところに?ほぼノータイムで?
副船長だからって判断早すぎないか?

「俺が見てくっからここで待ってろ」
「それはそれで」
「すぐ終わる、目でも瞑っとけ」

ゾロの大きな、剣だこだらけの手が近づいてくるのは薄暗がりの中でもなぜかはっきり見えた。彼の手が私の目元を覆って、静かに「待ってろ」と囁くから私は小さく頷いて、そこで大人しく待つことにした。

彼の手が離れていく。温度が消えた瞬間に恐怖が足元からじわじわ迫り上がってくる。怖いから見たくないけど、見えないからこその怖さもある。ああ、そんな話も、きっとゾロには理解できないと思うけど。

「ゾロー?」

目を開けずに、とりあえず声を出してみる。返事はない。部屋が広いのか、壁が厚いのか。聞こえているけど、面倒で返事していないという可能性もゾロならあった。

「ま、まだ?」

時間の間隔はかなり曖昧だったが、ゆうに3分は経った。さっきの部屋なんか1分で見終わったのに、何をそんなに探しているのか。返事がないのも気になって、私は恐る恐る目を開けた。目を開けたって大して見えやしないけど。

「ぞ、ゾロ?」

まさかこんなところで迷子になったなんて言わないよね? それは流石に擁護しきれない。というか純粋に置いていかれたら困るんだけど。勇気を出して一歩踏み出し、彼が開けっぱなしにしたドアの向こうを覗いてみる。

人の気配はない。え、嘘。本当にいなくなっちゃったの?

「おい」
「わあ、びっくりした」
「ここにはなかった、行くぞ」
「へ、あ、うん。そっか」

いないと思った場所から、ぬらりとゾロの影が現れる。
彼が私とすれ違うようにドアから出て、「ほら」と言いながら足を止める。それはまるで私が腕に掴まるのを待っているように。とうとうゾロにもそんな甲斐性が、——って。あれ?

「……ゾロ」
「早くしろ、置いていくぞ」
「刀、どうしたの」

彼の左の腰にぶら下がった刀が、ない。

「あー」
「……誰なの?」
「忘れちまったなァ」

そう言い残し、そこにいたゾロのような、ゾロではない何かは霧のように消えてしまった。怖がりすぎて見えた幻覚? それとも——

「おい」
「ひっ」
「俺だ」

今度は後ろから肩に手がかかる。ゾロだ。多分、本物のゾロだ。手の感触が、さっき目元にあったやつとそっくりそのまま同じだったから。その男の人にしてもやや高めの体温は、なぜか間違いようがない。

「あったぞ」
「本当? 良かった」
「……出るか」
「うん」

後ろから来たゾロが、私を追い越し、さっきの幻覚が止まったところで同じように足を止めた。心臓がビクッとしたけれど、でも彼の腰にはちゃんとカチャカチャ言ってる刀がついている。私が手を伸ばして、彼の右腕をつかめば、ゾロは、ゆっくりと歩き出した。

:::

無事、廃墟から脱出し私たちは門を出たところ大きく息を吐いた。なんて怖いところなんだ。今日は悪運がマックスらしい。あーうっかり泣かなくて良かった。

「さっきさ、ゾロが部屋の中入った後、ゾロにそっくりなお化けみたいなの見たよ」
「あ?」
「ついて行こうとしたら刀ないのに気づいて、」

怖かったあ。全力で体を震わせる真似をすれば、ゾロは入る前と同じ呆れた顔をしている。ゾロは怖くもなんともないかもしれないし、そういうの信じないタイプかもしれないけどさ。私は案外純粋だからそういうの——「俺も見たぞ、お前にそっくりの」——え?

「部屋ん中探してたら、振り返ったところに」
「そ、それで?」
「ニセモンだから斬ろうとしたらすぐ消えた」
「1発で分かったの?」
「見りゃ分かるに決まってんだろ」
「なんで!?」
「……」

なぜ、無言で私を睨んでるの?
今、変なこと言ったっけ?

「……おめーが1人で入って来られるとは思ってねーよ」
「……失礼だけど正解」

ゾロはなんか納得のいってなさそうな顔のまま、ポケットに手を突っ込むと、徐にネックレスを取り出す。それは、私が失くした、というかあの女の子に持って行かれたものだ。本当に、ちゃんと見つけてくれたんだね。

「ありがとう。でも、よく分かったね」

ネックレスとしか言ってなかったのに。まあ、あんなところに小綺麗なネックレス落ちてたら目立つか。相当真っ暗だったけど、ゾロって人間じゃないみたいなところあるし。1人で勝手に納得していたら、さっきまで私が必死に捕まっていた腕が伸びてきて、首に回る。顔なんかもう、触れちゃうんじゃないかってくらい近くにあって、息が、止まりました。と言うか、止めた。

「ちょ、」
「ほら」
「ん? あ、」

ゾロが、つけてくれたネックレス。こういうことする時はあらかじめ言って欲しいんだけど……。言っても無駄か。ゾロって人間じゃないみたいに直感的なとこあるし。

「俺と出歩くときはいつもそれだろ」

さっきまでの顔が嘘みたいに、満足げな顔で、ゾロが私の鎖骨の間で輝くチャームに触れる。緑色の石がきらり。喜ぶみたいに光っていて恥ずかしい。いや、もしもこれを私がゾロみたいと思って買ったことまで含めて気づかれていたなら、普通に、死ぬほど恥ずかしい。

「帰るぞ」

「ちょっと、いつから気づいてたの?」
「さあな」

分かり合えない。気も合わない。怖いって感覚も距離感だって『合わない』だらけ。
なのに、歩幅だけは合わせてくれる。ねえ、それってズルいと思わない?

エメラルドは意気地が無い

title 草臥れた愛で良ければ