春の女王の町セント・ポプラ。
 その名の通り、春が来ると街のあちらこちらで美しい花が咲き乱れる、偉大なる航路でも人気の観光地だ。そして、観光産業を主とするこの街の一角にある花屋が私の勤め先。街のどこを切り取っても花が咲いているような街でも、何故か花屋の需要はあるようで、常連さんや観光客を伝って何かと情報は舞い込んできた。

 それを報告書にまとめ、週に一度本部へ送る。それが私たち――政府直属の諜報機関サイファーポール――の任務。
 ある重要機密に関する情報収集のため、私がこの街に潜入捜査をし始めて、早いもので3年が経とうとしていた。

名前さん、いよいよ明日ですね」
「ん?」
「結婚式ですよ! 恋人さんちゃんと来るって言ってました?」
「あー……」
「もうみんな楽しみにしちゃってますからね! 逃げられませんよ!」

 この明朗快活を絵に描いたような女の子は、私の勤め先の後輩のシーナ。生まれも育ちもセント・ポプラで、その天真爛漫な性格を見るに、おそらく彼女の前世はあの愛らしく誰からも愛される花である。そうに違いない。
 して、彼女が何の話をしているかと言えば、いよいよ明日に迫った店長の結婚式のことだった。素性もよく分からない私を快く雇い入れてくれた彼女は、明日丘の上の教会で結婚式を挙げる。それに私とシーナも招待されているのだ。

 これまで何度も潜入調査はしてきたが、結婚式に出るのは初めてだった。もちろんプライベートで呼ばれることはない。闇に生きて闇に死ぬような人間しか周囲にいないので。
 そういう訳で初めての結婚式参列には戸惑うばかりだったが、年齢的にあれもこれも知らないというのは不自然で、分からないことに「あー」とか「ね」とか言って誤魔化していたら、いつの間にか『パートナーとして恋人も一緒に参加する』ことになっていた。まるで記憶がない。

「ウォーターセブンで船大工さんやられているんですよね」
「よく覚えてるね……」
「あそこの船大工さんたちすごい人ばっかりなのに。流石ですね、名前さん」

 後悔、先に立たずとは、まさに今のようなことを言う。
 この街に来た時、私には恋人がいた。当時からウォーターセブンに船大工として潜入中の恋人が。だから、セント・ポプラで余計な色恋に巻き込まれないよう、ついうっかり言ってしまったのだ。恋人がいる、と。

 まさかその恋人と別れた後で、連れてこいと言われるなんて思いもしなかった。適当に話を合わせたばっかりに、今さら「別れた」とは言い出し難い。こうなっては仕方ないので、恥を偲んで、私はスパンダム長官頼んだ。船大工の誰か貸してって。「聞いてみる」としか今のところ言われていない。もし来られなかったら、急病で……とか嘘つけばどうにかなるかな。なれ。

「じゃあ、また明日ね」
「はい。楽しみにしてますー」

 何を食べて何を見て育てばああなれるのかと、シーナと会うたびに思いつづけた3年だった。一生を諜報員として終えるであろう私には無縁な話なのだけど。


 その夜、結局どうなったかを聞くために長官に連絡しようか悩んでいたちょうどその時、タイミングよく電伝虫が鳴った。

ブルブルブル ブルブル
「はい」
「あー俺だ。スパンダム」
「お疲れ様です」
「この前言ってた明日の件だが」
「はい。どうにかなりましたか」
「どうにかはなった」
「……どういう意味です?」
「じきに着く。何があっても連絡してくるなよ」
「は?」
「じゃ以上」 ブチッt

 切れた電伝虫を見下ろす。天下のCP9は長官がいちばん無能というのは本当の話だ。
 スパンダム長官のことだから、どうせくだらない手違いでもしたんだろう。ブルーノ派遣しちゃったとか? ブルーノ船大工じゃないらしいし、私と並んだ時の絵面に違和感しかないが、それはそれで面白いからいい。正直、明日を何事もなく終えられるのなら、もう何でもよかった。

 通話を終え、図ったようなタイミングで扉がノックされた。この家に訪ねてくる人間は大家かシーナのふたりだけ。どちらも違うとなると、明日のパートナーがいらっしゃったと見て間違いない。さて、誰だろう。

「はーい、お疲れさ……」
「久しぶりだな」
「な、」
「入るぞ。ここにいると目立つ」

 扉の前に立っていた男は、私の驚きで塞がらない口には目もくれず、さっさと室内に入ってくる。ちょっと待ったという声も聞こえないらしい。まあ人に言われて待つような人間じゃないことは、よーく知っている。よーく知っているからこそ、いちばん嫌だったんだけど?

「なんで来たの」

 CP 9史上最強の男、ロブ=ルッチ。ウォーターセブンに船大工として潜入中の一級諜報員であり、私の “元” 恋人でもある。
 これ何の嫌がらせ?

「悪いか」
「悪いでしょ、アンタが来るようなことじゃない」

 殺しも盗みもない。機密重要とは何ら関係のない、ただのイベントだ。わざわざ彼を派遣する理由はない。それを言ったらCP 9みんなそうかもしれないが、少なくともルッチの人選が正解でないことは間違いない。主に、私の私情的な意味で。
 元カレと結婚式に出ろって? これが私の恋人だってみんなに紹介する?
 いやいや。サイファーポールだって人の子だ。任務に私情は持ち込まないが、最低限の配慮はされてもいいと思う。

「カクは? そんなに忙しいの今」
「お前こそなぜカクにこだわる」
「こだわってるんじゃなくて、アンタが嫌なの!」
「だから理由を言え」
「元カレだから! それ以外にある?」

 何が悲しくて、この美しい街でこんな話をしなくてはいけないのか。表情のないルッチの様子からは何も分からない。すっとぼけてるのか、感情が死んでるのか。多分両方だ。

「別れた覚えはない」
「あのね、1年以上連絡取らなかったら自然消滅って言うのよ」
「俺がいつ別れると言った?」
「そんなこと言ったら、いつ付き合おうなんて言ったわけ?」
「……」

 明確な始まりはなかった。だから、明確な終わりを迎えられなかった。悲しいけれどそう思えば納得できる。いや、そう思って納得したはずだった。
 そもそも司法の島に拠点を置く彼とは会うのだって一苦労だったのだ。海列車ですぐの場所に互いにいても、努力がなければ恋人関係は成立しない。私も彼も、忙しさにかまけてそれができなかった。ただそれだけのことだ。

「別に怒ってないよ。私も悪いし。でも終わったことには変わりないでしょ」
「認めん」
「アンタが認めなくても、私が別れたと思ってたら意味ない」

 ルッチがテーブルに軽く腰をかける。私のことをじっと見つめるルッチの視線で穴が開きそうだけれど、ここで引くわけにもいかない。そもそも彼に凄まれて怯えているようでは何年も恋人なんかできるもんか。

「それにカクに聞いたよ、恋人できたって」
「潜入の成り行きだ」
「理解してる。でも、それをカクから聞いた私の気持ちは?」

 ルッチが潜入先で恋人をつくることなんかどうでもよかった。私だって任務ならハニートラップだってするし、知らない男とだって寝る。それが私たちの仕事だから。

 でも、それをカクから間接的に聞いた時の気持ちはどうにもならない。しかも、元々恋人であった私は全く連絡のつかない状態で、だ。
 ただ一言、ルッチの口からそうなったと言ってくれれば、何も考えずに「分かった」と返せた。いつかけても繋がらない電伝虫を前にして、『アイツは惚れとらんよ』というカクの言葉は、何の慰めにもならなかった。
 それが1年。もう終わったんだ。私たちは別れたんだと思ったって不思議じゃない。

「カクとは連絡してたのか」
「ああ見えてマメだからね。誰かさんと違って!」
「だからあの男がいいのか」
「は?」
「だから、カクを式の相手役に指名したのかと聞いている」
「誤解されるような言い方やめてよ。結婚式出るのにパートナー頼んだだけでしょ」

 恋人役とは言え、ただ並んで出席するだけだ。そんな目くじら立てて責められるような謂れはない。

「……出る?」
「明日は、勤め先の店長の結婚式! だから一緒に出てくれって頼んでたの」
「……」
「……え、本当に誤解してた? 私が式挙げる方だって?」

 ルッチがテーブルに手をついて天井を見上げ、ハリケーンくらい大きなため息を吐き出した。心中お察しする。イタズラ好きの無邪気な少年みたいな顔でカクに何か言われたんだろうな。さっきから妙に話が噛み合わないと思ったら、どうやらそういうことらしい。
 ルッチは依然顔を上げたまま小さな声で「コロス」と言っている。物騒な男たちだ。

「そんなイタズラに引っかかるなんて珍しいね」
「……ほっとけ」
「で、どうするの? 私、結婚しないし帰る?」
「いや、」

 その日、初めて真正面から視線がぶつかる。もう避けはしなかった。させてくれなかった、と言う方が正しいかもしれないけれど。
 ルッチがテーブルを離れ、壁際に立っていた私に一歩近づく。長い足と小さな部屋。一歩進めば、目の前に私がいる。

「必要なんだろう、相手役が」
「まあね」
「俺が行く」
「ん。じゃあ、横に立っててくれたらいいよ」

 ルッチの大きな手が、私の首に触れた。昔よりマメが増えた気がする。4年の船大工生活もなんだかんだ実になっているらしい。何でも要領よくこの男なら納得だ。
 ルッチの口角が僅かに上がる。憎らしかった。でもそのいつも余裕綽々な表情に焦がれていた。嘘じゃない、嘘だったことなど、彼の前では一度もない。

「、だめ」

 ゆっくりと近づいてくる彼の顔を避けるように顔を逸らせば、目の前の大男は分かりやすく不機嫌になる。しかし、さっきから一対一で話をしているのに、この男、ちゃんと私の話聞いてる? 別れたって言ってるでしょう。

「さっきの話、もう忘れたわけ?」
「知らない話だ」

「ルッチ」

 ピタリ。彼の動きが止まる。

「それ以上進んで、また同じことしたらどんな手を使ってでもアンタのこと殺すから」
「……フッ 無理だな」
「だーから、どんな手使ってでもって言ってるでしょ? 殴り合うなんて言ってない」
「どちらにせよお前には無理だ。……それに必要ない」

 糸が切れたみたいに、彼が動き出した。私の言葉を聞く前に、噛み付くようにキスされる。
 0時を知らせる高台の鐘が鳴る。魔法が解ける時間だ。二人の凍てついた1年と共に。

▲▲

 翌日、快晴の空の下、結婚式は行われた。海から気持ちのいい風が吹き、花が風に揺れる。まさに絶好の結婚式日和だった。

 ふわふわの白いドレスに身を包んだ店長に、一生分の「おめでとう」を言った後、人の集まる場所から2人、少し離れる。隣に立った男は無表情だが、『もううんざりだ』という雰囲気が滲み出ていた。

「お疲れ。今日はありがとう」

 それもそのはず。いざ二人で結婚式に出れば「隣の彼が噂の恋人か」と出席者の注目を浴びてしまった。まあ2m超えの大男が肩に鳩乗せてきたら誰だって見るけど。おまけに今日はハットリも正装だ。彼のルックスがいいことも、その奇妙な組み合わせも全部ひっくるめて目立つに決まってる。

「お前もああいうのに憧れるのか」

 遠くで微笑み合う新郎新婦は、まさに幸せそのもので、フラワーシャワーが降り注ぐふたりは、本来ならば私たちのような人間とは無縁の人だった。それがたまたま、彼女たちと私の縁が交差しただけのこと。ただ、それだけのことだ。

「憧れてたら、とっくに逃げ出してるわよ」

 私たちは時々普通の人間のように生きるけれど、どうしたって普通にはなれない。でも、それに抗うつもりも、まあ今のところない。今のところは、ね。

「あと3回くらい死んだらああいう人生もあるでしょ」
「どうだかな」
「あ、そうだ。カクに伝言頼まれてくれない?」
「……なんだ」

 二人の関係を、もう一度だけ始めてみる。また言葉もないままに。また後悔する日が来るかもと思いながら、それでも意地悪な同僚に唆されて飛んできた男の誠意を、一度くらいは信じてもいい。人生も、どうせ一度きりだから。

「お節介、どうもありがとうって」

新しい春を掘り起こして

title by ユリ柩