母はその人を愛していた。私はそのことをとうとう最後まで認めて受け入れることはできなかったが、どうにも変えられぬ事実というものがこの世の中には存在する。私に家族は父と母がいた。しかし、父は私が八つの時に出征し、その後、比律賓で戦死したとの報せを受けた。流石に一年であれば希望信じて待つこともできただろうが、行方知らずの電報を受け取ってとうに二年が過ぎていたのだ。呆気ない終わりだったと、ぼんやり薄暗い曇り空を仰いだ時を今でも思い出す。温い風に混じって腐った屍の匂いがした。気のせいだったやもしれぬが、今はそのことなどどうでも良い。
残念なことに、母が愛したその人とは父のことではない。母がその人と会ったのは母が17の時のことだと言っていたが、定かではない。母も高齢であったし、記憶の曖昧な部分も多々あったことだろう。兎にも角にも、母は旭川の第七師団の兵舎近くの食堂で働いていて、その人との出会いもそこだったそうだ。小柄に坊主頭、いつも固い口調を崩さない生真面目な人だった、と。名前は言っていたような気もするが、その話を聞いている時の私は、悲しみやら怒りやら、勝手に裏切りに似たようなものを感じてしまって、その名を頭に刻んでおく余裕すらなかった。狭量は万事災いの元である。一つ言っておくと、私は父が好きであった。
父と母は、幼い頃の記憶しかないが、仲の良いという印象しかなかったし、二人が見合いとは言え、愛し合い、その末に生まれたのが自分だと、それは一種、私の誇りだったのだ。父は勇敢で力が強く、博学で、何をとっても優れた人間だったと言ってよい。だから、母が父を愛していなかった、否、違う。あの素晴らしい父よりも愛した人間がいたというのが、どうにも悲しく、受け入れ難かったのだ。
母は病床にて死を目前に控え、そのことを唐突に私に告白した。今になって思えば、聞きたくなどなかった。父の死からもう25年以上が経ち、とっくの昔に私も独り立ち。今は生家を離れ、仙台で職を持っている。母の具合が思わしくないと報せを受け見舞いに来たが、聞いた話とは違い、寝床から窓の外を眺める母は殆ど死人のようであった。痩せこけた頬に、青白い肌。いらっしゃいと言いながら、赤い林檎に伸ばした手は骨と皮しかなく、私はそれが母だとはとても信じられなかったのだ。母は、遠い目で林檎の皮を剥きながら、愛した男の話を語った。旭川第七師団の中尉の元で働く軍曹様だったこと、容姿、声、匂い、口癖。その人の話に度々登場する年下の上官のことまで。つい数年前の出来事のように、滔滔と。私は信じられなかった。父の死後、父の話など一つもしなかったあの母が、こんなにもの恋しそうな顔で、別の男の話をするなんて。
『ごめんね』
一つ何かを語り終える度、母はぼそりと呟いた。何に対して謝っているのか、尋ねる前に次の話をされてしまった。骨と皮だけになった皺々の手を震わせて、母は何度も謝った。父にだろうか、私にだろうか。悩むほどに「訊く」ということが恐ろしくなる。
『でも、救われたくなどなかったのよ』
何から、誰が。一体何を。
『どうして愛しちゃいけなかったの』
今にも消えてしまいそうな、その老婆の手を取り、私は『母さん』とその名を呼んだ。何度も、何度も。ごめんなさいに負けじと繰り返した。母は、心底悲しく、そして私を哀れむような瞳に、私の不安げな顔を映す。ヨボヨボの手が私の頬を撫でた時、ガサガサで乾ききったその人の手が、私の頬を裂いてしまうのでないかと恐怖した。あの日の母は、私の母でない気がした。
『愛していたわ』
誰が。一体何を、誰を。
母はその後、役目を終えたかのようにあっさりとこの世を去った。見舞いだけのつもりが、葬儀まで執り行わなくてならなくなり、仕事の調整に苦心した。しかし、白装束に包まれ、棺桶で眠るその顔は穏やかで、あの哀憐に満ちた表情でなかったことは、せめてもの救いだ。葬儀に参列する人は少なかったので、殆どの顔が誰と知ることができた。父の死後、女手一つで私を育てた母は、友人というものを持っていなかったのだ。
だから、その男、と言っても、もう老人であるが、その人は嫌でも目についた。手や顔は皺だらけであるのに、妙に背筋がよく、小柄であるのに、実際の身長よりも随分と大きく見えた。焼香をあげ終えると、傍に座る私に気が付いたらしく、頭を下げ、決まり切った科白を述べた。母よりも年上だろうに、妙に畏まった口調。
その後押し黙って私のことをじっと見つめるその老人が、あの、母の語った男だと、何故か私は気づいてしまった。名前は覚えていなかったので、確かめる術はない。確かめようとも思わなかった。この人に間違いない。沈黙の後、満足したのか、腰を持ち上げたその人を、お待ちくださいと呼び止める。
「母は救われなかったそうですよ」
当てつけ。嫌味。復讐。嫌悪。怒り。醜いものばかりが溜まって、汚れてゆく。堰き止めていたものをその人に向けて流してしまえば、残るのは悲しみだけだ。
老人は、深く頭を下げ、今度こそ重そうに腰を上げた。最後にもう一度だけ遺影を振り返ると、皺だらけの分厚い掌を強く握りしめ、絞り出すような声で言った。
「すまなかった」
その人と会ったのは、勿論それが最後であったし、その人が本当は誰で、母と何があり、今、どこで何をしているのか、私は知らない。興味もない。母とその人への怒りだけが、この記憶をいつまでも私の中に繋ぎ止めて、離さなかった。結局、私は終始蚊帳の外だったのだ。唯一つ、母が繰り返し謝っていたのは、私に対してでも、父に対してでもなく、その人へであったという事実だけが、宙ぶらりんと真理の中に浮いていた。