例えばとても寒い夜に、ふと空を見上げ、そこに綺麗な月が浮かんでいるとする。スマホのカメラに納めても、あんまり綺麗には見えなくて、今ここで私が感じている感動の1つも伝えられないことはわかる。それでも、何となしにシャッターを切り、やっぱりこうして一枚のスクリーンに納めてしまうと、それは安っぽい宝石のよう。急激に輝きを失った。
安っぽい宝石に、「綺麗だよ」と一言添えて。きっと空を見上げる余裕もないだろう彼に送りつける。私と彼のメッセージ画面は基本的に私の一方通行。タイミングが合えば帰ってくる。一種のゲームみたいなもんだと言えば、友達は「それはアンタしか付き合えない」と苦い顔をしていた。確かに。そうかもしれないし、そうなら嬉しい。なんちゃって。
【近くに何がある?】
ピロンと音がして、珍しく彼のアイコンから吹き出しがついた。
近くにあるもの。あたりを見ても、あるのはコンビニともうすぐ閉店するカメラ屋さん。もう少し戻ればドンキホーテがあったかもなあ。面倒だから確認はしないけど。 それをそのままそっくり返せば、彼からの返事はなし。既読だけがついた。今日のゲームはここで終了らしい。まあ話せただけマシか、と私もスマホの画面を暗くする。
さて、ここまで街を歩いてみたはいいけど、特にすることもない。なんてったって、スマホで月を撮影する程度には時間に余裕がある。ちなみに、明日で仕事納めなので心にも余裕がある。給料日も過ぎたことだし、ご飯でも食べていくか。
とりあえず手頃なイタリアンに入った。店内は広くておしゃれ。いい感じだ。ちょうど窓側の席に案内され、メニューを開く。何でもいいけど、こうしてメニューがあると迷う。どれにしようか、リゾット、うーんパスタもいいな。ピザも捨てがたいけど、1人で頼んで食べきれないことと途中で飽きる可能性も考えれば、リゾットにするのが無難だろう。
店員さんを呼び、ポルチーニ茸のクリームリゾットを注文する。少々お待ちください、と丁寧なお辞儀を残していった店員さんを見送って、ふと窓の外に目を向けた。人通りはそこまで多くない。誰も彼も寒空の下、コートの中で身を縮こませて歩いている。この何とも冬らしい景色は、決して嫌いではない。
注文してから、10分、15分が過ぎた時だろうか。キッチンの方から出てきた店員さんは、さっきメニューで見たのとそっくり同じリゾットを持っている。お腹空いたなあ、なんて思いながらその到着を待っていれば、カランカランと店のドアが開く音がした。店員さんの「いらっしゃいませ」が響く。何となしに目を向けたら、そこにいるはずのない彼が、グレーのロングコートを着て立っているではないか。
「――は、」
口から漏れたその声が、まさか聞こえるはずもないのに、零さんはこちらを向いた。目が合う。優しい顔で微笑んだ。店内にいた女性の口から「あら」とババくさい声があちこちで漏れてきた。そうだ、今店内の視線を釘付けにしている美丈夫は、私の恋人に間違いない。
「やあ、お待たせ」
「お待たせって、……会う約束してないですよ?」
「していただろう、2日前に」
2日前。ちょうどクリスマスの夜。もし会えたら会いましょうね。家で待っていますから、と。まあ確かに約束はしたが、それは予想通り叶わなかったし、ちゃんと24の夜には「やっぱり無理そうだ」と連絡ももらった。もうサンタクロースが来るような年齢でもないので、妥当だな、とそう自分の中で結論づけたはずだけど。
「それでわざわざ今日来てくれたんですか」
「ああ」
「どうしてここがわかったんです? 私どこにいるって言わなかったのに」
「月の位置と、ビルの名前。あとは近くにあるコンビニとかドンキの場所かな」
「そんなくだらないとこで警察発揮しないでくださいよ…」
零さんが、「それもそうだ」と歯を見せて笑った。笑顔を見れただけで少し安心する。何なら、もうすぐに行ってしまうと言われても、あと2ヶ月は生きていける気さえする。もうこんなことも慣れっこだし、十分だ。彼が約束を覚えていてくれたことも、おまけに会いに来てくれたことも、それだけで。
「お客様、ご注文はいかがなさいますか?」
「このジェノベーゼパスタとビスマルクを1つずつ、お願いします」
「かしこまりました」
私のリゾットを置いていった店員さんに、流れるように注文を終えた彼をぽかんと見つめる。「食べたかったんだろう」と何やら楽しそうだが、ここまで来ると驚きというより恐怖だ。手品師か、エスパーか。否、日本を守る公安警察だった。そんなまさか。
「見てました?」
「いや、君の好きそうなものを予測しただけさ」
「零さんって、案外私のことちゃんと見てるんですね」
私が逆の立場だったら? 自信ない。 私の言葉に、零さんは小首を傾げ、テーブルに肘をついた。こんな自然に話をしているが、実に会うのは1ヶ月半ぶりだ。
「君のことを考えている時間が長いからね」
「ハア そんな台詞、いったい何人に言ってきたんですか」
「ははは まさか。君だけだよ」
彼のことは全面的に信用しているので、今さらどうってことはない。こんな口説き文句でヒイヒイ言っているようでは、降谷零の恋人は務まらないのだ。棒読みで、「きゃあ嬉しい」と言えば、彼もわざとらしく肩をすくめた。そんな仕草がハマるのは、日本で唯一彼だけだ。絶対、絶対に!
「これからも。――君だけならいいと思ってるけど」
リゾット皿から顔を上げた。彼の綺麗な瞳をぶつかる。冗談ではないのか。薄い笑みを浮かべる彼に向かって、心の中で白旗をあげる。今日も負け、明日も負け。ずっと、彼には負けてばかりでしょう。
「もしかしてプロポーズですか」
「……その時は、とびきり美味しいイタリアンを予約することにするよ」
「わあ、楽しみ」
例えば、とても美味しいご飯を食べた時。例えば綺麗な月を見つけた時。例えばとても誰かに会いたくなった時。一番最初に浮かぶのが、彼で。彼の中でもそれは私であったら、きっとそれはこの世界で一番幸せなことだ。なんか大げさ。笑いながら、彼がギリギリ映らないような写真を撮った。
すべてをまあるく呼ぶのなら
title by ユリ柩