※造反しなかった世界線
師走25日。日本中がクリスマスに浮かれる今日この頃。高専の授業を終えた教員及び高専生は、なぜかグラウンドで一同に介している。私は分厚いベンチコートを着込んで、かじかむ手でバットを持って待機しているところだ。
「毎年だけど意味分からなさすぎる……」
隣に座っていた夏油が、私のつぶやきに反応して視線を向けた。なんでクリスマスに草野球をしているのか。聖夜の草野球大会が毎年の恒例行事であるなら、私がそれに文句を言うのも毎年変わらない景色だ。そして、なぜかそれを聞かされるのは、毎年夏油傑である。
「去年も全く同じ台詞を聞いたよ」
「大人しくみんなでご飯に行けばいいじゃん」
「それじゃあ悔しいんだろう」
甚く納得しているような口ぶりであるが、こんな都会の山奥のグラウンドで、クリスマスに、他の予定もなくバットを振り回していても悔しいことには変わりない。むしろ惨め具合で言えば増しているとも言えるだろう。
「ほら、去年サヨナラタイムリーエラーをした事務員の佐々木さん覚えてるかい?」
「あー私でも捕れそうなゴロ、トンネルした人ね」
「そう。彼は今年は欠場だ」
それはつまり、そういうことだ。本野球大会は、誰がクリスマスに予定のある人間なのかを知るための非常に悪趣味なイベントでもある。
佐々木さんとはこの野球大会以外で関わることはほとんどないが、そういう話を聞くと、ちょっと羨ましいというか恨めしいというか。兎にも角にも現在進行形で湧き出てくる虚しさが、より一層凍てた体に染みてくる。
私のへの字に曲がった口を見て、夏油は愉快そうに笑い声をあげた。人の恋愛沙汰になど興味を示す男でないことは明白なので、十中八九、私のこの顔が見たくて聞いてきたのだろう。クリスマスの草野球大会と同じくらい趣味が悪い男だ。
「夏油だって、なんだかんだ毎年参加してるくせに……」
「誘いはあるさ。全て断ってきてるんだ」
「ああ、そうですかー」
モテる男は、やはり引く手数多らしい。端正な顔に、五条と並んで最強と謳われるその実力。非呪術師であったとしても、色気と色白に弱い都会の女たちが夏油傑を放っておくはずがない。それこそ、佐々木さんの話よりよっぽど面白くない話だ。
「これに参加しないと、君とクリスマスを過ごせないからね」
「は?」
「普段ご飯に誘っても断るだろう」
ジャージのポケットに手を突っ込んだまま、夏油が目だけこちらに向けてくる。確かに、彼の誘いに乗ることは滅多にないが、それはたまたま入っていた法事とか、翌日の早朝任務とか、硝子との火鍋女子会とか、――単に魔が悪いだけで彼のことが嫌いとか、ご飯に行きたくないとか、別にそういう深い意味はない。断じて本当だ。
「クリスマスジョーク?」
「へえ、それは初めて聞いた」
「いや、私も初めて言ったけど」
しばし、沈黙。真面目に思案した。
女性には困らないであろう夏油が、わざわざ美女のお誘いを断って、こんな阿呆みたいなイベントに参加している。それは打ち上げとして私とご飯を食べに行くのが目的で、普段何かと食事に誘われるのも、――もっと言えばこうして気づけば彼が隣に座っていることが多い訳も、とうとう今年解明される、と。予想外の事態だ。誤算である。
「……つまり、何が言いたいの?」
「そうだね、この意味の分からない野球大会を私と早抜けしよう、ってところかな」
彼は既に私の返事を確信しているようだった。実に腹立たしいが、この後の展開がきっちり読めてしまった上で、それを受け入れようとしている私がいるのもまた事実。
そんな大切なこと、こんな風の吹き荒ぶグラウンドの隅で言わなくても。何なら大会前に暖かい部屋で見詰め合って言ってくれたら、ここまで積み上げてきた惨めで空虚な感情の捨て場に困ることもなかったというのに。否、それも引っくるめて夏油の計算のうちか。嗚呼、嫌になってきた。
「……この回で、勝てるくらい点取ってからね」
夏油は、高専の頃と変わらぬやんちゃな笑顔で、いいよと頷いた。今年度最後の打席になるであろう私のバッターボックスは奇しくも佐々木さんが去年守っていたサードに飛んで、内野フライ。そして私と入れ替わりで入った夏油は、鮮やかな右本塁打。この男、毎年手を抜いていたなと本来ならば存分に叱責すべきところだったが、その時の私はその日の化粧ポーチの中身とブラジャーの色を思い返すのに必死で、全くそれどころではなかった。嗚呼、また嫌になってきた。