武器屋の倫理観とは、何か。人は生活を豊かにすべく知恵を絞り、ありとあらゆる不可能を可能にしてきた。私たちが生きるこの世界は、技術力の結晶であり、先人たちが築いてきた大きな遺産である。しかし、人は進歩という目標を共有しながら、常に争い、殺し合いの歴史を繰り返してきた。規模の大小はあるにしても、それは否定することの出来ない事実であり、歴史である。そして、人は争いの中でこれまで生み出されてきた先人たちの努力の結晶を、有ろうことか、殺戮の道具として悪用してきた訳だが、ただ一つ。武器だけは、初めから『人を傷つける若しくは人を殺す』ことを目的として作られたものだった。勿論それは、敵殲滅の為、自衛の為、被害を最小限に収める為等々、違いはあった。でもそれがなんだというのか。結局武器とは、人の血を欲する悪魔の化身である。

 阿久間や。ありふれた店の名前の由来を騙り終えた後、父は唐突にこの世を去った。54年、この時代では短い生涯であった。父の死体を店の裏に埋め、墓標を立てる。血汚れた布団はその晩、火をつけて燃やした。血と死の匂いに充ちた部屋をどうにかしようと、家中の窓を開け放したが、薄暗いままで、まるで私の人生のようだ。

 戸の軋む音がして、続いて地を摺る足音。本から顔をあげると、闇に紛れる黒のマントに、趣味の悪い赤い雲。額当てをしているところを見ると、忍のようだ。目の横から深いシワの入ったまだ若い男、いや青年がそこにいた。

「……何用で」

 男は、懐から銭を取り出すと、それを台に置き、起爆札とクナイを頼むと言った。重い腰を持ち上げる。数日ぶりの客だ。何時間か座りっぱなしだったので腰がカチカチに凝り固まっている。閑古鳥が鳴いているのはよくないのだが、武器屋に限っては目出度い。奥から起爆札とクナイを数本取り出し、持ってゆく。クナイと一口に言っても幾つか種類があるのだ。品数の多さでは火の国一番。父が自慢にしていたそこだけは譲れない。

「クナイ、どれにしましょうか」

 男はそれを手に取り、さして興味もない様子でどれがいいのか私に問うた。手を見せてくれと頼めば、大きな手が躊躇いなく差し出される。傷とマメだらけ。なかなか優秀な忍と見た。

「これがいい」

 一本、選んだクナイを手の上に乗せる。男はそれを握り、感触を確かめると、頷き、これをあと三本くれと言った。また取ってきて、それを男の忍具入れに詰める。釣りを返そうとしたところで、男が「この店は信頼できると聞いて来た」と言った。ふむ、武器屋たるもの客の情報は死んでも売るなとは当たり前のことだが、意外とこれが難しい。死の恐怖を前に人は愚かなものだ。

「……それはどうも」

 私だって、このクナイを首に押し付けられてこの男を見たかと誰かに聞かれたら喋る可能性だって無きにしも非ず。経験がないことについては何も言えない。

「また来る」

 それが、私と、その男の初めての出会いである。

 男は、その後、うちの店に通うようになった。月に一度、多い時には二度。いつも起爆札を二枚とクナイを三本買ってゆく。高い買い物ではないが、こんな村はずれの辺鄙な場所にある店にこの男ほど足繁く通う人間はいなかった。よほどの暇人か、大悪党か。悪党ほど暇人なのだとは、父の言葉だ。顔馴染みになるに連れ、言葉を交わす機会も必然的に増える。良いのか悪いのか、生憎店に人が訪れることは滅多にないので、誰かに密会を目撃されることも、それを妨げられることもなかった。季節の話、何千里も離れた異国の話、新たに開発された武器の話。大凡物騒な話であったが、男が時折見せる柔らかな微笑みはまるでそんな話をしているようにはとても思えず、なぜか勘違いしそうになった。

「これは?」
「土産だ」
「……はあ」

 銭と共に置かれたのは葉に包まれた菓子か飯か。

「前に飯は滅多に食わないと言っていただろう」

 うん、確かに。こんな辺境の地に店を置いている上に、商売が商売なだけに村の人たちにはよく思われていないのは事実。石を投げられることもそう珍しい話ではない。忍は英雄で、武器屋は悪人。世界というのは得てして不平等で奇怪な仕組みを孕んでいる。

「覚えていてくれているとは思いませんでしたね」

 葉を開く。土産というには不自然に、仄かに湯気が暗闇の中に立ち上った。この男、麓からどんな速さで駆けてきたのやら。兎にも角にも湯気が逃げてしまわないうちに葉で包み直して、懐に仕舞った。心の臓が暖かく感じたのはいつ以来だろうか。

「ありがとう、ございます」

 男はまだ、わからないほど小さく笑って店を出て行った。

 暁。太陽の昇る前、仄暗い時頃を指す言葉である。木の葉の里の額当てをつけた忍びは、私にその言葉と、赤い雲の絵を見せて情報を求めた。この頃は客も少ないし、こんな趣味の悪いマークならばそう簡単には忘れないだろうさと答えると、男は疑いもせずに、「商売の途中に失礼した」と出て行く。とんと、私には興味がないらしい。

 武器が悪魔の化身であるならば、それを売る私たち商人は悪魔に心を売り渡したも同然である。しかし、悪魔そのものには為るべからず。人は情を捨てては生きてゆけない。

「いつものを頼む」

 その翌々日、いつもの如く男は現れた。私が商品を渡すと、男は私の掌に銭を返す。痩せたように思った。目敏く相手の観察をしてしまうのは職業病である。

「少し痩せました?」

 男は、高くおっ立てた襟で口許を隠した。無言の表明らしいが、肯定と取っていいだろう。

「武器やじゃあなく、薬やに行った方がいいんじゃあないですか」

 火薬やクナイじゃあ人の命は救えない。男は一つ、「最早無駄なことだ」と斬り捨てる。全く、なんと、愛想のないことか。変わらずですね、という私の嫌味たらしい言葉にも不快感の欠片も見せず、また来ると行って男は出て行った。

 近頃、物騒だから一時店を休んだらどうか。暫くぶりに里に降りたら、唯一懇意にしてくれている酒屋の亭主が、私にそう教えてくれた。火の国全体が混乱期で、近く大きな戦争が起きるのではと、ここいら専らの噂になっているそうだ。村外れの店まで伝わっているはずもない。「それは嫌だねぇ」と返事をしたが、物騒やら戦争やら、私にとっては家族の次に身近な存在である。

名前ちゃんもあの店を継ぐ必要は無かったんだよ、隣の里にでも行けば、嫁の貰い手だって働き口だって、なんだってあるだろうに。いや、今からだって遅くはないよ」

 亭主の言葉は最もで、やはり、そうだねと在り来りな言葉を返すことしかできなかった。

「折角だから店を閉めるのは戦争が終わってからにするよ」

 私が冗談めかしてそう言えば、そんなこと言ってる場合かいと本気で心配してくれた。ありがとうね。籠を背負って里を出る。夕暮れの中、店を目指す。好きではないが、嫌いではない。ただ唯一人と繋がっていられるあの場所を消す気には、とんとなれない。

 最期の日は突然訪れる。ひと月と半月ぶりに男が店に姿を見せた時には、村外れまで戦火の噂が届くようになっていた。まさかその中心にいる人物が、この店に通っていようとは、あの愚かな村人の一人も予想がつくまい。

 久しぶりに会った男は、前回見た時よりもずっと痩せていて、今にも死にそうな顔をしていた。いや、この場合、窶れていると言うのが正しい。窶れた頬に、深く刻まれた皺。そこで漸く前に男の言った『最早無駄』という言葉の意味を理解した。誰にでも等しく与えられた唯一の現象。男は今、死に向かってゆっくりと歩いている。

「……いつものを頼む、と言いたいが、」

 男は口を噤み、中途半端に腰を上げた私を見下ろした。

「金が尽きた、済まないが、これに見合う分だけ貰おう」

 懐から取り出した指輪。見るに、男の首飾りと対になっているようだ。手に取って見る。質屋じゃあるまい、私に装飾品の価値など分かる訳がない。

「……これで最期なのでしょう」
「そうなるな」
「左様ですか」

 裏からいつもより数枚多い起爆札とクナイを持ち、それを台の上に置いた。袋に詰められるだけ詰めましょうか。何なら他のものを持って行って頂いても構いません。男は否と言った。

「使い古した指輪だ、そこまでの価値はない」
「構いません、随分と世話になりました」

 男と私の、言葉なき問答が暫く続いた。暁。彼に武器を売ることは、この村、いいや、この国全土の人の命を危険に晒すことと同義である。理解した上で、私は彼の掌にクナイを乗せている。

「木の葉の忍に貴方様のことを話しました。暁。随分と恐ろしい集団にいるそうですね。ほら、貴方様は私を許すべきでは有りません。このクナイで、どうぞ価値のない首ですが掻き切って下さい。」
「否」
「構いませんったら。そうしたら、好きなだけ武器やら何やら持ってゆけば宜しいじゃあないですか。私だってもううんざりなんです、好いた男に殺されるならば本望。ほら、」
「否、……仕様のないことだ」

 男は、私のありったけの頼みを全て断り、いつも通り、起爆札を二枚とクナイを三本袋に詰めた。世話になったな、と消え入りそうな声が闇に吸い込まれる。余りの自分の哀れさに、笑いそうになるほどだ。

「……お待ちください」

 男が戸に手を掛けた後、振り返る。青白い首筋が私の視界でゆらゆら揺れた。眩い光の下で男を見たのは、それが初めてのことだった。

「何もかも偽りです、貴方様のことは誰にも話しておりません。しかし、木の葉が核に迫っているのは確か。お気をつけ下さい」

 赤い瞳。僅かに和らいだ表情が、世話になったと再度告げる。瞬きの間に消えた男は、幻かと疑うほどに何も遺さなかった。私の手元にある、赤い宝石の付いた指輪以外。匂い、足跡の一つさえ。そう、何も要らなかった。私は何も望んでいなかったのに、押し付けがましいことこの上ない。殺してくれたのなら恨むことすらせずに終わることが出来たのに。せめて、名前の一つでも残してくれたら、この喉が裂けるほどに、彼の名前を呼んで責め立ててやれたのに。

 なにもかも、偽りだった。

 言葉、感情、記憶。この先の生涯、私は何度そうして自分を騙してゆくのだろうか。

やましいうなじ

企画サイト「晩餐」様に提出