私の母とまだ7歳だった弟は、15年前海賊に殺された。町は半壊し、昔の活気を取り戻すまでにかかった時間は7年。今では新世界でも有名な商業都市になった。だから町を訪れる人の大半は過去の惨劇を知らない。ここに来れば何でも揃うねと手を繋ぎながら新婚らしき二人が歩いていく。あれを買っておくれと商人の息子が駄々をこねる。今も、これとこれを頂くわと貴族らしき夫人がケーキボックス片手に出て行った。今日は旦那の誕生日だそうな。風化していく過去を見るのが、私は嫌いじゃない。

名前さん、今夜は暇かな?」

 店の片付けを始めたころ、アダムが顔を出した。毎日毎日飽きもせず誘いに来るなら少しは売上に貢献してほしい。店が閉まるギリギリにやってくるのはわざとだ。

「ごめんなさい」
「またかい?今日はなぜ?」

 率直に言うとね、あなたに興味がないの。ハッキリと口に出すと、彼はあからさまに不機嫌な顔をした。私の気持ちに気づいていながら毎日来るのもわざとだと思ってたのに違ったみたい。

「それと、赤い髪の男は嫌いなの」

 だって嘘つきばかりでしょう。

 帰り道、大分日が沈むのが早くなったと思った。もうすぐ春島であるこの島に冬が来る。私は冬が好きだ。突き刺すような寒さが気持ちいい。冬の張り詰めた空気は澄んでいて美しい。でも冬島の冬はすごいんだと、ひと昔前に赤い髪の海賊が教えてくれた。

『冬が好きだなんて言ってらんないぞ』

 雪がわんさか降って家が半分埋れてしまうそうだ。

『まあ確かに綺麗だけどな』

 私は見てみたいと言った。

『来るか?』

その問いに私はノーで答えた。後悔はしていない。でも忘れられない。

 ポケットから取り出した小瓶は、これを受け取った夜と変わらずに、月の光を受けて煌いている。小瓶の中で一等存在感のある貝殻は三日月のような不思議な形をしていて、周りの小さな粒は星の形をしている。ある島には1000年も前に星が空から落ちて来て、グランドライン1美しい砂浜になったと聞いた。半分以上は、あの人の作り話だろう。それでもそこは本当に美しくて、見せられないのが残念だと言った。とても見たいと思った。この島のこの町のこの海には、星の砂は落ちていないから。


「いらっしゃいませ」

 毎日ご苦労なことで。皮肉交じりにそう言うと、目の前の大男は真っ赤な髪を揺らして笑った。まあなと言いながら今日はどれにしようかとショーケースを覗いている。昨日も今日も、ケーキの種類は変わらない。強いて言うと、材料切れになったモンブランがなくなったくらい。

「ちなみに、今夜きみの時間はいくら出せば買えるだろう」
「それはショーケースのケーキ全部買って下さらないと」
「安いもんさ」

 名をシャンクス、赤髪海賊団の大頭。私は海賊も別に嫌いではない。

 全品売り切れにより本日閉店の看板出したのは夕方の4時を少し回ったところだった。店の片付けをして部屋に帰り見られたくない下着やら寝間着やらを奥のカゴに突っ込んだところでベルが鳴った。シャンクスさんはいつもこの間に私の店で買ったケーキを船の仲間に押し付け…いや、渡して来るそうだ。酒のツマミにもならないだろうに。それでも港ですれ違うと、いつも美味いケーキをありがとうと言ってくれる彼等は本当に海賊にしておくのが勿体無い。と密かに思っている。

 シャンクスさんは私が作ったご飯を美味い美味いと言って全部食べた。片腕じゃ食べづらいだろうにパンのカスひとつも残さない。見ていてこちらがお腹いっぱいになる食べっぷりだ。ちなみに飲みっぷりも凄い。テーブルの下にはシャンクスさんが持って来たワインが3本空で転がっている。隣に住む物知り気取りのルーヴさんによるとグランドラインでも相当高値で取り引きされるものもあるそうだ。彼が帰った後に空き瓶抱えてゴミに出していたら聞いてもないのに語ってくれた。俺も飲んでみたいとルーヴさんは熱く語ったけれど、こう言うものは噂を聞いて想像するくらいが丁度良いんじゃないかと思っている。実際飲んでみた感想としては古臭くてあまり美味しくない。残念だ。

 シャンクスさんがシャワーを浴びている間、私はベランダにいた。ここからは私が昔住んでいた丘がよく見える。あの丘の上、青い屋根の小さな家。勿論今住んでいる家よりは幾分か大きかったけれど。海賊に壊された家。母と弟を失った丘。2年前に病気で他界した父もあの丘に眠っている。

「風邪を引くぞ」

 肩を引き寄せられる。火照った体はまだ濡れていて、お気に入りの寝間着が少し湿った。

「ろくに体も拭かずに外に出て来る人には言われたくないですね」

 ズボンだけ適当に履いて、上半身は目も覆いたくなるような美しい肉体だった。傷の一つ一つが彼の超えて来た海を語る。私は彼の持つ広い世界がただ羨ましかった。

「この腕じゃなあ、上手く拭けねェんだ」

 私を引き寄せた腕をそっと避けて肩に掛けられたタオルを取った。髪を拭く。背が高いから拭きづらいったらなくて、それでもしゃがんでくれと言わなかったのはこの顔を近くで見られたくなかったからで、精一杯腕を伸ばして陽の光に晒されて少し傷んだ赤髪を拭いた。

「泣くなよ」
「泣いてません」

 あなたがちゃんと拭かないから雫が飛んだ。本当にそれだけだから、そんなに優しく頬に触れるのはやめて欲しい。

 シャンクスさんはベッドの中ではちっとも紳士ではない。血に飢えた獣のような瞳を見せる。それで私の制止も聞かず無茶苦茶をして、終いにいつも損ねた機嫌を甘い言葉で取り繕おうとする。実に馬鹿馬鹿しい。

「これは土産だ」

 私がそろそろ怒ったふりで無視していると寝そうになって来たので許そうかと思った頃に、彼は掛けて合った上着のポケットから小瓶を取り出した。砂の詰まった小瓶に不思議な形の貝がひとつ。手に持つと、窓から差し込む月の光を受けてキラキラと光っている。

「……きれい、」
「機嫌はなおったか?」
「今晩だけは大目に見ます」
「ハ、手厳しいな」

 彼は星の砂浜と、その島について語りきかせてくれた。とても幸せな夜だった。


 赤髪海賊団が新世界に繰り出し、もう3年と4ヶ月の月日がたった。『四皇・シャンクス 海軍を返り討ち』彼の名前には妙な枕詞がついて回るようになり、町の人はレッド・フォース号がどんな船だったかすら覚えていない。それでも酒場の亭主は日課のように、島の客人に四皇が度々この島を訪れていたのだと自慢げに語る。赤髪海賊団がいつも酒を仕入れていた店は人気店になり今では酒成金などと揶揄される。隣の家のルーヴさんだって私は話したこともあるぞと亭主に負けじと声を大きくする。誰も彼もこの町がかつて海賊に壊されたことを忘れている。私と彼が狭いアパート一室で愛を重ねていたことも覚えちゃいない。でもそれは非難されるべきことでない。風化していく過去、それは自然の摂理だからだ。

 小瓶を月にかざす。色褪せないものはこの世に何ひとつない。だから褪せていく思い出には目を向けない方が幸せなのだ。私は小瓶の蓋を外して、それを傾けた。砂浜に星の砂と三日月の形をした貝がサラサラ落ちる。あんなに綺麗な砂だって、砂浜に帰ればどれがそれかも分からない。呆気ないもの。『明日発つ』と言った声も『新世界に行く』と語った瞳も『必ず戻る』と契った言葉も全部が色を失って行く。それでも『次こそは攫ってやるさ』と笑っていた彼の体温を忘れられない私は惨めにも、月の形をした貝が波で寄せては戻るを繰り返すのを飽きることなく見つめていた。

「……なあんだ捨てちまったのか」

 彼は砂に沈んだ空っぽの小瓶を拾い上げると残念そうに眉を下げた。そんな顔したって許さない。悪い遅くなったで許されるなら海軍なんて要らないのだ。この島の人が諸手を挙げて歓迎しても私はお帰りなさいと言ってやらない。もうケーキだって作らない。だってお金を貯めてようやく持ったあの店も、私を娘のように可愛がってくれる町のみんなも、丘が見えるあのベランダも、私はこれからこの男のために捨てるのだ。

「もう必要ないの」

 星の砂を通してあなたを想うのはやめにしたい。風化されていく過去の中で、自然の摂理に背いて色褪せないものがあるとすれば貴方に囚われた心くらいで、他は全滅。あなたも私を忘れないというのは一世一代のギャンブル、でも私は勝った。

「自分の目で見に行きますから」

 彼の右腕が私を強く引き寄せる。波は少し荒れてきた。

「約束どおり攫いにきたぜお嬢さん」

 用意はいいかなんて、聞くまでもない。後悔はしていない。だからこの船出の夜も生涯忘れられはしないだろう。

いったい誰がこんなにしたんだ

企画サイト「星墜」様へ提出