それは最後に相応しい曲だった。人もまばらダンスホールで、思い思いのドレスを身に纏った人々は楽しそうに笑い声を漏らし、不慣れなヒールをカツカツ鳴らせた。所詮舞踏会に呼ばれない中流階級の遊び場、町のみんなが退屈を殺すこの粗末なステージは実にいいじゃないかと幾らか前に彼は言う。私はそうかしらと可愛くないことを言ったけれど本当は内心とても嬉しかったのだ。私の大好きな町の、私の大好きな場所を彼が褒めてくれたことが。
「マイフェアレディ、お手をどうぞ」
彼の腕を取って、ステージの中央へ。その場でくるくると回っていた者達はみんな、赤髪に主役を譲ってくれた。これで最後――私が小さく口にする。彼は何も言わずに隻腕で器用に私をリードして見せた。私はもう片腕を彼の腰に回してなるべく近くにいたいと願う。あまりに陳腐で愚かしい。一歩一歩踏みしめるように刻むステップも、彼のキラキラと輝く髪から時折する遠い海の香りも全て覚えていようと思った。そしてかつて天竜人のお抱えだったのだとホラを吹いていたベン爺さんのピアノは、この世で一番美しい音色をしていた。この曲は恋人と別の道を行くことを選んだカウボーイが作ったの、そう言ったら貴方はなんて言うかしら。
彼がこの島を旅立つ日、海は不思議なほど穏やかだった。それは何か不吉なことの前兆にも思えて私は胸が薄ら寒くなる。それでも青を背に立つ赤い髪を見れば、そんな不安も潮風と共に吹き飛ばされてしまうのだけど。
彼が私に出立を告げた晩は月も見えない雨の日だった。珍しく船に帰らずに私の家に長居していたのも、あの大雨のせいだったように思う。
「夏が来る前に立つことにした」
彼は窓の外を見て、ぽつりと口にする。ザアザアと激しい音は部屋に響いていたけれど、彼の言葉は悲しいほどハッキリと私の耳に届いてしまう。
「……そう、」
いつかは、そんな日が来るのも知っていた。仲間の一人である急病人と船の修理、たまたま運悪く災難が起こった為に彼等は1ヶ月もの間、平和以外取り柄のないこの島に停泊していたのだ。──それだけ、なのだ。若人の病はいつか治るし、船の修理に至っては最初の2週間でとっくに済んでいる。もう何も、彼を引き留める言い訳は残されていない。私は彼の前に新しいウィスキーグラスを置いて、息を吐いた。夏のスコールのような人だった。突然やって来て最後には何もかも洗い流してしまうなんて恐ろしい人だと。
「すまない」
謝らないでよ。せめてもの強がりで言いたかったその台詞は彼の酒臭い唇に飲み込まれて消えてしまう。その晩、彼はとびきり優しく私を抱いた。
「準備は済んだぜ、大頭」
「ああ」
彼の文字通り片腕だという長髪の男性が、彼に声をかけた。彼はそれに応えて先に乗っているように指示すると、港にひとり残された私の元へとゆっくりと歩いてくる。赤い髪が太陽よりも数倍眩しい。
「……随分長居しちまったなァ」
彼は平然とした様子で頭に手をやった。お前にも世話になったとそのまま私の頭を撫でる。ありがとうなんて言葉は彼の口から聞きたくなかった。私が何も言うまいと唇を噛み締めると、彼は悲しそうにそれを無骨な親指でなぞった。
「長居し過ぎて、別れ方も忘れちまった」
サヨナラも愛してるも言わせてくれない。それなのに、私に愛を囁くその唇が憎いほど愛しかった。彼は私の頭を優しく引き寄せて、触れるだけのキスをする。そして最後に「この海でお前を1番愛しているのはこの俺だと、どうか忘れないでくれないか」なんて残酷なことを言うのだ。
「ひどいひとね、」
どうせ忘れることなんてできないのに。
「なら貴方も覚えておいて」
この島を出たことのない私が生涯に一度の恋を誓う。
「この海の何処かに貴方を愛した女がいた、と」
シャンクスは笑ってそして頷いた。ああ、と言って私の唇にキスを残して背を向けた。もしもその背中に縋り付いて一緒に行きたいと口にする勇気があったのならこの世界はもっと違う色をしていたのだろうけど。…でも私は目の前のこの青と赤を、永遠に瞼の裏に焼き付けることで終わりにする。彼との美しい想い出以外、何も望まない。いつかわたしはこの島で結婚して子供を為して死ぬだろう。その人生の中で私を一番に愛していると言ったあの赤髪を、今日の海と共に思い出す。
「シャンクス、」
もう聞こえないはずの距離にいる彼が振り向いて、優しく微笑んだ。私はレッドフォースに背を向けて、もう振り返らないことにした。
End of the world(仮)
title by 草臥れた愛で良ければ