「パンケーキねェ」

 私はゾッとした。その驚きは、想像に容易い。あの、不死川実弥が、「パンケーキ」と言ったのだ。鳥肌の一つや二つ、いや、実際にはもっと数え切れないくらいの鳥肌たちがスタンディングオベーションしたって無理はないし、至極当然の話だと思う。だって、あの、実弥さんが、「パンケーキ」って。この世で最も恐ろしいのではないかと言われる男と、この世のワードの中でも可愛いランキング上位に食い込む言葉。正反対すぎて、耳がキーンとする。シャワー浴びずにプール入るのと同じくらい心臓に悪いので、今後一切やめてほしい。

「なんだァ」
「いや、こっちの台詞なんですけど」

繰り返す。なんだは、こっちの台詞である。なんで私がそんな訝しげな目で見られているのか、全くもって納得がいかない。はァ?と本当に訳が分からないような反応をされても、逆にこの男は自分と「パンケーキ」という存在のミスマッチ具合に、大凡の見当も付いていないことに此方が驚く。というか戸惑う。えっ、もしかしてさっき実弥さんがパンケーキって言ったのは、私が作り出した幻聴だったのだろうか。ギャップ萌えって良いよねって、友達とこの前お話したから都合の良い白昼夢を見てしまったのだろうか。そうだとしたら、私は相当頭がおかしい。

「一応確認ですけど今、『パンケーキ』って言いませんでしたよね」
「……言ったが」
「やっぱり!」

私の頭、正常。これで気を違えたのは私ではなく実弥さんだったことが証明できた訳だが、いやはやそれはそれで困ったものである。「うわ、痛っ、…痛い!」ちょっとそこの目つきの悪いお兄さん、私の頭を大きな手で握りつぶそうとするのは止めてください。本当に潰れてしまう可能性が十分にある。シュークリームをうまく食べれずに握りつぶしてしまう男だ。勿論、私の頭はシュークリームよりも硬いが、実弥さんの人外的な怪力の前では、シュークリームも私の頭蓋骨も然程差はない。「全部口に出てんだよォ」お前の頭はシュークリームと同じくらい中身がないと。余計なお世話だ。

 悪意がないことを必死に弁明し、ようやく解放された頃には私の頭は悲鳴をあげていた。御可哀想に。気を取り直し、それでパンケーキがどうしたのかと尋ねる。人間は学習する葦であるので、『似合わない』とかいう、余計な怒りを買ってしまいそうなワードはぐっと堪えた。別に大したことではないとかなんとか言いながら、実弥さんが見せてくれたのは、玄弥くんと彼女さんが一緒にパンケーキやで撮った写真である。なるほど、弟くんか。それならまだ納得できなくもない。納得した訳でもない。玄弥くんはとても素直でちょっぴりシャイな男の子であるし、ああ見えて可愛ものが好きなタイプであろうと踏んでいる(未確認)ので、まあパンケーキ屋に行くのは不自然ではない。しかし、残念ながら見た目は兄に似て強面なので、到底パンケーキやに行くような風貌ではない。本当に、学生時代に同じクラスにいたら絶対に友達にはならないタイプの兄弟である。私も、玄弥くんの彼女もよくこの兄弟に惚れたなと、そんな話はどうでも良い。

「デートですか、良いですね。素敵です」

玄弥くんの顔が真っ赤なので、彼の心中を察するには容易いが、それでもこの彼女さんの嬉しそうな顔を見たら、素敵なカップルだなと素直にそう感じた。彼はこういうことを恥ずかしがるタイプなのに、彼女の為に着いて行ってあげたのだ。良い男。こういう人を彼氏にした彼女さんは大変に見る目がある。

「お前も好きか」
「ん? ……実弥さんのことですか、好きですよ」

残念ながら私は兄を選んでしまった訳だが、好きなので仕様が無い。恋する乙女は止められぬ。実弥さんはでっかいため息をつき、こっちだと心底呆れた様子で、スマホ画面の真ん中に鎮座する立派なパンケーキを指差した。よもや、パンケーキの話をしていたとは。パンケーキの話しかしてねェだろ、とか真面目なツッコミは断固拒否。

「そりゃあ好きですけど」

誰に隠す訳でもなく甘党だし、こんなブリブリとホイップクリームが乗ったパンケーキ、美味しくない筈がない。それに玄弥くんたちが訪れたこのお店は、時々女性誌に特集される有名店だ。原宿のど真ん中にあって、そりゃあもう若い女の子がわんさかいる。内装もピンクと紫で統一されていて、お皿からテーブルにいたる全てがインスタ映えを狙う女の子たちに大受けなのだ。こんな、この世で最も怖い顔をした男と付き合っている私だけど、可愛いものを愛でる心はまだ死んでない。ただ単に不死川実弥が好きなだけである。信じてほしい。

「でも実弥さんと食べるおはぎも大好きなので大丈夫ですよ」
「ああ?」
「この前の言ったお店、美味しかったですね。また行きましょう」

私がそう言うと、ゴリゴリ頭を掻いた実弥さんが、気を遣うんじゃねェと呟いた。気を遣わなかったら、私につかえるものが何もなくなってしまう。

「頼むから日本語使ってくれ」
「え?」

先ほど私の頭をかち割ろうとしていた実弥さんの手が、今度は私の頬を潰している。彼の見かけによらずにスキンシップの多いところは、口に出さないが、とても好きなところである。

「行きてェのか、行きたくねェのか」

二つに一つ。それはもう迷うことなく行きたいですが、別に実弥さんが恥ずかしいなら無理に行きたいと言うつもりはない。まず、これは私の言い出した話じゃない。パンケーキは好きだが、おはぎも好きだし、何なら外に何か食べに行かなくても家でまったりと私が作ったものを囲んでいるのも好き。実弥さんと一緒なら何でも良い。とか、それこそ言葉にすべき。

「最初から素直にそう言えェ」

 いやだからこれは私の言い出した話じゃない。パンケーキなんて言い出したのは、実弥さんだし、元はと言えば玄弥くんである。

「実弥さん、私おはぎ本当に好きですよ」
「おう」

気を遣っている訳でもなく、おはぎも好きだ。昔は和菓子が好きだと思ったことなかったけど、20を超えた辺りからドロドロに甘いものがたくさん食べられなくな理、和菓子の繊細な美味しさに気づいた。よくある話。それに好きな人が好きなものは好きだと思いたいし、現に本当におはぎ美味しいなって思っているから、恋する乙女はやはり止められない。真面目な顔で、スマホを弄ってる実弥さん、今日も素敵だ。

「本当にパンケーキ連れて行ってくれるんですか」

おう、と実弥さんが答える。玄弥くんに感謝だ。もっと言うなら、頑張ってくれた玄弥くんの彼女に感謝だ。この不死川実弥が、パンケーキを一緒に食べてくれるらしい。彼の顔に残る大きな傷跡が、好奇の目に晒されないと良いのだが、そうもいかないだろうな。私だって最初は驚いた。可愛いパンケーキ屋にこんな見た目の男がいたら、ツイッターでバズりそうだ。アンバランス選手権大会があったら優勝するだろう。

「嬉しいんですけど、本当に嫌なら無理しなくて良いんですからね。私が好きなのは、実弥さんなので、おはぎ食べてる実弥さん好きです。多分パンケーキ食べてる実弥さんも好きですけど」
「お前なァ……」

実弥さんは私の顔を見て、またため息をついた。今日の彼は幸せをたくさんリリースしている。私がしっかりキャッチしておかなくては。恥ずかしくないのかって、それその顔でパンケーキとか話してる実弥さんに言われたくないですが。また何か余計なことを言って呆れられるのは御免なので、しっかりと口を閉ざしていたら、何故か実弥さんはスマホを置いて、私の首裏に手を滑り込ませてきたので、本当にこの人の考えていることは分からないなあと思いながら目を閉じた。

 この後、パンケーキよりの先に私が美味しく頂かれてしまった話は余談であるし、本当に彼がお洒落なパンケーキ屋に連れて行ってくれたのは、さらにそのまた後の話である。

愛は脱皮中