例えばそれは、青い空に走る稲妻のような、真冬に咲く桜。とにかく衝撃的で、突然で、振り返る度に胸に突き刺さるような、そういう激情を感じたことがある。私は驚いて、開いた口を手で塞ぎ、彼は小さくはにかんだ。その、本当に小さな笑顔に、柄にもなく頬が熱くなった日のこと。それを、初恋と呼ぶ。
「あれ名前ちゃん、なにしてんの」
シーッ!私はTPOを即座に判断できない不良の口を咄嗟に塞いだ。悪ぃ悪ぃ、と絶対に思っていないであろう水戸洋平は、両手を上げる。仕草全部がヤラセのように不良っぽいが、その実、彼はとても良い人だった。何を隠そう、私の観戦仲間である。彼等──桜木軍団は桜木くんを、私は流川を。親衛隊に混ざってぽんぽんを振り回すなんてマネは到底出来ず、こうして密かに彼を追いかけてる。そんな私を見つけては、わざとらしく大きな声を出す水戸くんはきっと確信犯。
「こっそり見てるの。わかる?」
「今わかった」
堂々と見ればいいのに。確かに、その通り。でも恥ずかしいし、クラスで会った時にどんな顔すればいいのか分からない。そんな言い訳も、もう言い慣れてきた。
「堂々と見てやった方が喜ぶって」
「いいの」
「そうそう、絶対流川のやつ」
「大楠くん!」
ニタニタする大楠くんをバッグでひと殴り。体育館を出ると、後ろで流川が豪快にダンクを決める音がして、やっぱりもう少し見れば良かったと思った。
「おはよう」
彼には、届かない。だからこそ、言える。私がイスを引いて、少し大きな音を立てても、隣で丸まる大男はピクリともしなかった。スースーと気持ちよさそうに夢の中。刻一刻と授業の開始は近づいているが、机の上に教科書ノートの類は一切見当たらない。おまけに、課題は授業の最初に集めると先生が先週言っていたけど、まるでやってある気配もない。自由奔放、唯我独尊。実に、流川らしい。
「起立、礼。着席」
ダルそうな日直の声。ガタンガタンとクラス中のイスが音を立てても動かない。死んでるんじゃないかと時たま不安になる。「おい流川、起きろよ」前の席の石井くんが、振り向きざまに声をかけた。彼は実に優しい。しかし、そんなものは流川には届かない。先生の額に薄ら浮かんでくる青筋。もういっそ切れてくれ。
石井くんが縋るような目で私を見る。先生も、低い声で私の名前を呼ぶ。前方、大楠くんは頬杖ついてまたニタニタしてる。どれをとっても最悪だ。
「……流川、授業だよ」
「……ん」
彼が、私の声で起きる。そのこと以外は全て。
「すっかり流川の目覚ましだもんな」
大楠くんがゲラゲラ笑いながら私を指差す。今日も今日とて体育館の入口、フロアからは死角の場所で身を隠しているというのに。そんな大きな声で話すのはやめてほしい。水戸くんも、何が「名前ちゃん、流石だね」だ。思ってもないくせに。
「もうやめてって」
流川と私の声の因果関係については深く考えないことにしている。期待と嫉妬ほど、恋を苦しくさせるものはない。
「おっと、真打登場ってか」
「は」
「……名字」
「ひっ」
───る、る、る、流川。
「こんなとこでなにしてる」
「いや、それはこっちのセリフ」
もう、練習始まるのに。ガクガクと驚きに震える私に、流川は真ん前にしゃがみ込んだ。
「もっと見えるところにいろ」
そして私の手を取って、ギャラリーの目立つ位置へと連れてゆく。向かいの親衛隊、刺すような視線に耐えられるのか。
「……なんで、」
こんなことを。というか、私の存在に気付いていたのか。放心状態、私の手を離した流川は、少しだけ間をとって答えた。
「お前の声は、よく聞こえる」
彼は初恋だった。初恋は実らないとはよく言うが、私の掌に、桜の花びらは入っているか。