洋平くんが適当なボタンを押すとガタンと音がして鍵が落ちてきた。手を突っ込んで鍵を取り出してみる。私はそれを大人の階段を上るために必要な、シンデレラのかぼちゃの馬車のようなマジカルなものを想像していたのだけれど、実際はよくある少し錆びただけの鍵だった。

「行こう」

彼の声に頷いてエレベーターに乗った。鍵に書いてある通りの部屋番号を目指してずんずん進んで行く。私はとても緊張していて、いつの間にか鍵を両手で握っていた。それに気付いた洋平くんは優しく笑ってその手を撫でてくれた。同い年のはずなのに洋平くんは大人だ。いつも余裕たっぷり。私の作るカフェオレのミルクくらいたっぷり。私は洋平くんがたまに飲むコーヒーのお砂糖くらいしか余裕がないのに。つまり微笑み返すので精一杯だ。

「入るよ」
「うん」
「いい?」

こういうホテルは途中退室できないのだとさっき書いてあった。「いい」両手で握っていた鍵で扉を開く。眩い光は溢れてこなかった。あるのは想像よりずっとシンプルなお部屋だけ。ちょっとだけ肩の力が抜ける。中に入って洋平くんは慣れた手つきでお金を支払ってくれた。もちろん後から私も半額お支払いするつもりだ。いつものらりくらりと交わされてしまうけれど、今回ばかりは譲らない。

洋平くんに続いて私も部屋の中に入った。安めの部屋だからベッドとドレッサーしかない。あとよくあるスケスケのシャワールーム。洋平くんは大きく息を吐き出すとベッドに座った。お尻のポケットに入れられていたお財布がいつの間にかドレッサーの前に放り出されている。私もその隣に自分のバッグを置いて、洋平くんの隣に座ってみる。距離感がイマイチ分からないからこぶし2個分くらい開けた。

「腹減ってる?」
「ううん」

洋平くんはまた口を閉じて、黄ばんだ壁を見つめた。私は何となく落ち着かないから膝の上の掌を見つめた。初めてというのはみんなこんなものなのだろうか。それとも私か彼が何かを始めなくてはいけないのだろうか。学校では何も教えてくれなかった。

そんなことを考えていたら、洋平くんが突然大きく息を吐いて髪をガシガシするものだから少し驚いた。いつも綺麗に決まってる髪が崩れてるなんて珍しい。ほんの好奇心でそれに手を伸ばしてみた。彼に頭を撫でられることはあっても、その逆はなかったから。

「……いま、触らない方がいい」

洋平くんはパシンと私の腕を掴んで、それをゆっくり私の膝の上に戻した。

「ご、ごめん」

何が正解で何が間違いなのか。私が減点された理由は何か。先生は問い詰めても何時もはぐらかした。洋平くんは答えてくれるかな。

「わり」
「え」
「違う。そういう意味じゃない、」

彼の、珍しく余裕のない声だった。黄ばんだ壁を見ていた眼がいつの間にか私を真っ直ぐ見ていた。

「触られたくなかったんじゃなくて」
「、うん」
「…今、余裕ないから」

うん。そのあとの言葉は分かる気がした。彼に掴まれたまんまの手首が熱い。彼が言いたいのはきっとこのことだろうと思う。

「ごめん」
「ううん、あのね洋平くん」

私の手首を掴んでいた手がゆっくり離れて、私の手を上から覆った。すっぽり隠れた手は汗ばんでないかな。

「今日、可愛い下着、着てきたの」

言いたかったことと全然違うことを言ってしまった自覚はあった。でも空気に触れて振動した声は取り戻せない。彼が目を丸くしてそのあとすぐに笑った。

「……そっか」

恥ずかしいけれど、嫌な気持ちではなかった。
「いい?」彼がまた尋ねた。私は頷いた。それは舞踏会のダンスのお誘いとは違って、実に卑猥なものだったけれど、私はあのときのシンデレラよりずっと幸せだ。「いい」まずは愛たっぷりのキスを。