その島はマリエットと呼ばれていた。新世界に浮かぶ小さな島で、念のためにと小舟で先遣隊が一周しても余裕で待っていられるほどの大きさしかない。私たち、白ひげ海賊団はモビーディックを船の港に停め、ログが溜まり、物資を十分に調達するまで数日間はここに停泊することにした。
白ひげ海賊団は、戦闘員だけでなく、一介のクルーやナースも含めれば、総勢1600人を優に超える大所帯である。今は、3番隊、4番隊、7番隊が視察で離脱しているがそれでも十分に人数は多い。そのため、停泊中は隊ごとに役割を分担し、その島で仕事のない者は基本的にフリーになるのが常だった。
今回の船番はハルタ隊長の12番隊、物資調達はアトモス隊長の13番隊だ。他の雑用はビスタ隊長の5番隊と私たちクルーで分担することになっている。
私は、雨続きで溜まった洗濯物の量を思いながら、甲板に上がった。そこで真っ先に目に飛び込んできたのは、太陽と、それを背負う背中。私たち、白ひげ海賊団の魂がそこには宿っている。
「エース隊長」
私の声に、彼は振り返り「おう」とはにかんで右手を上げた。手を振りかえして、自分の持ち場へと向かおうとすれば彼がちょいちょいと手招きをするので、方向を変えてそちらへと向かった。
「何か御用ですか」
「名前、お前今日休みだ」
「?」
島に行こうと彼が手を取る。もう甲板の上にはたくさんの船員が出てきていたが、恋人同士になって長い私たちの会話を気に留めるものは一人もない。むしろまたやってるよ位にしか思わないだろう。その『また』にいつまで経ってもなれないのは、他でもない私なのだけど。
「どういうことですか?」
「この前の島の時、エミリの仕事を代わってやってただろ? だからエミリから名前を休ませてやってほしいって言われたんだよ」
「なるほど」
確かに、前回、島に上陸した時は本来私がフリーになるはずだった。しかし、新しい服を買わなきゃ発狂してしまうと言ったエミリと代わってあげたのだ。彼女のファッション狂も、今になって始まった話ではない。
「少し悪い気がしますね」
「いいんだって。ほら、行くぞ」
エース隊長が、私の手を取った。こういった肌の触れ合いには慣れないし、これから先なんとも思わなくなる日が来るとも思えない。恥ずかしさを押し隠して、その手を握り返す。船を降りる前に甲板を振り返れば、丁度エミリが洗濯カゴを持って、私に手を振っていた。
「エース隊長、どこか行きたいところがあるんですか?」
「――隊長じゃねぇ」
「え?」
「だから、今は船の上でもないし、周りにあいつらもいないだろ」
私と繋いだ手とは逆の方の手で、彼が頬をかく。恥ずかしさや照れ臭さを感じているときの彼の癖だ。そして、呼び名は私たちがひっそりと決めたルールの一つ。普段は隊長でいいけれど、二人だけの時は名前で呼んで欲しいと。恋人になったばかりの頃、距離感を測りあぐねる私にエースさんが言ったのだ。
「エースさん、どこか目的地が?」
「ああ。この上にいいもんがあるんだってよ」
「いいもの、ですか」
それから私たちは、島の高台へと続く石階段を延々と登り続けた。と言っても、疲れていたのは私だけで、流石に2番隊隊長は息も荒げずにひょいひょいと進んでいく。私は手を引かれて、エースさんの歩調に合わせるのだけで精一杯だったけれど、それでも進めば目的地には到着する。
島の高台。一番開けた場所には辺り一面、花畑が広がっていた。
「これは……」
あまりの美しさに、思わず言葉を失くしてしまう。そんな私を、エースさんは満足げに眺めていた。花が好きだという私のために、わざわざ調べてくれたらしい。「気に入ったか」彼の当然すぎる質問に、大きく頷き返せば、すぐに逞しい腕が伸びてきた。彼の少し高い体温に包まれる。幸せはしっかりと繋ぎ止めておかなくては。そう、もうずっと教えられてきた。
午前11時35分。ポートガス=D=エースは甲板でマストにもたれて大きなため息をついていた。隣で今後の航路について打ち合わせをしていたマルコは、心ここにあらずなエースと同じようにため息を吐き、地図を閉じる。こんな時に大事な話をしても何の意味もない。
「なんだよい、昨日はご機嫌そうに出かけていったってのに」
マルコは、昨日到着して早々自慢の恋人と共にウキウキと出ていった彼の様子を思い浮かべながら問いかけた。二人は日が沈む前には船に戻ってきていて、どうせなら泊まってくればよかったのにと言うハルタの揶揄いに対しても、エースの反応は薄かった。
「昨日、帰り道に教会の前を通りかかったんだよ」
「へえ」
「それで、たまたまやってたのを見たってわけ」
「何を」
「結婚式」
「ぶっ」
マルコは、飲んでいたコーヒーを吹いた。エースは流れるように近くにあった布巾(雑巾)をマルコに渡し、話を続けた。詰まるところ、二人で結婚式を目撃し、名前がそれを羨ましそうに見ていたのだ。我慢強く、思ったことはなかなか口に出さない彼女のことだ。もちろん、“自分たちもあんな風に”と言うことはなかった。しかし、本音も必ずしもそうであるとは限らない。
「――結婚するのかよい」
「ドレス着た名前、絶対綺麗だよなァ」
「うちは全員家族で親父の息子だが、結婚しちゃいけねえ決まりはないよい」
マルコは、チラリとエースの顔を見上げて、自分たちの末っ子がいつの間にかずっとずっと大きくなっていたことに気付かされた。ついこの間まで、反抗期のガキみたいなことしかしなかったくせに。恋人ができて隊長になって、今度は家族を持つなんて。時間はあっという間に流れてゆく。
「覚悟は」
「――はっ 出会った時から決まってら」
エースが笑う。マルコにとっては、エースも名前も弟や妹とおんなじだ。手はかかるが、何を置いても可愛いことには変わりない。彼らのためにせっかくのオフを削って人肌脱いでもいいだろう。コーヒー1杯飲み終わった後でなら。
「エース、……さん、これは一体――?」
時刻、19時。島の裏手まで買い出しに行っていた名前は、戻るなり早々にマーサとライラに連れられて、着替えとメイクを施された。そこまでなら突拍子もないが、まだ理解できる。歳の離れた彼女たちにとってまだ18歳になったばかりの名前はいたく可愛いらしく、何かにつけては人形のように着飾られて遊ばれていたのだ。
しかし、今日は違った。メイクはいつもより丁寧に。着替えさせられたのは、純白のマーメイドドレス。おまけにベールまでついているときた。常ならぬ様子を察知してたくさん質問をしても、全員笑うだけで何も教えてはくれない。観念して言われた通り、向かった甲板にはこれまた白いタキシードを身に纏い、居心地悪そうにしているエースが1人で立っている。
「――っ」
「エースさん?」
「悪ぃ。そのー似合ってる。スッゲェ、綺麗」
「ありがとうございます、でもこれじゃ」
まるで結婚式みたい。名前は、頭に浮かんだ言葉を口にする勇気がなく、そのまま口をつぐんだ。場所はモビーディックの甲板という、いささか物騒な場所ではあるが、正装の二人と赤いカーペットは、昨日見かけた結婚式の様子とおんなじだった。
エースは、またしても何も言わない彼女の言いたいことに気づいて、後ろ手に持っていたブーケを差し出した。今日、昨日行った場所で摘んできた花だ。花の名前も種類も知らないから、ただ彼女の顔を浮かべて選んだ。
「俺たちは家族だから、今更結婚つぅのも変な話だけどよ。これからも、俺が死ぬまで名前のこと守るから」
「……はい」
「その約束。好きだ、愛してる。一生」
名前の目には、珍しく涙が浮かんでいる。海賊船に乗ると決めた日から、普通の幸せなんて諦めていた。エースと出会い、愛し愛されて、それだけで十分幸せだったから、それを離さないように守っていこうと思っていたのに。まさかこんな幸せなことが起きるなんて。
「私も。私も、エースさんのことが大好きです」
「……知ってる、」
「ずっと一緒にいます。何があっても愛してます」
あまりに大きな幸せは、ちゃんと離さないように抱いていられるか不安になる。そう、エースも名前も思っていた。でもきっと二人ならば、とも。
口付けて、触れ合った唇から愛が溢れる。誓いのキスを終えた二人に祝いの言葉を贈ろうと、陰から船員が飛び出してくるのは、その5秒後のはなし。