単なる嫌がらせではなかったと信じたい。「3日後、東京へ行く」と言われた時は驚いたが、なんでも谷垣さんから東京のパーティーへ出席するように言われていたらしいのだ。以前に出版した小説が名のある賞を拝したので、これはさすがに出ないわけにもいかないと。露出嫌いのヤマネコ先生でも逃げられない催しだそうだ。

 私ひとり留守を頼もうかと思ったが、いくら片田舎とはいえ治安がめっぽう良い訳でもなく、何せ古い家なので防犯面では穴だらけ。私は一向に構わないのだが、それを言っても、先生は「雇い主の責任」と屁理屈を言って譲らなかった。作家らしい強情さに一抹の感動を覚えながら、私は職務命令に屈したのである。

 先生の分と、自分の分。小さな鞄二つに、二泊用の荷をそれぞれ詰めた。勝手知ったる自分の旅支度など、ものの三十分で済むというのに、かたや先生の荷は何もわからない。これは要りますか、あれは要りますか、念の為と確認していたら、「アンタに任せる」とまるで無責任な返事がきた。雇い主の責任が聞いて呆れる。そんなこんなで、小一時間をかけて支度をした。先生の外行きの私服などは見たこともなかったし、どこに仕舞っているかもわからないので、それを最後に聞けば、向こうで用意してくれるのだと。作家先生も随分とリッチな生活をしているんだとまた感心した。

 すったもんだを繰り返しつつ、東京行き前日、無事に谷垣さんから切符が届いた。私がここへ来た時は夜行バスと鈍行を乗り継いできたが、まさか山田猫がそんな迂遠な手段を選ぶわけもなく、当然のように特急と新幹線の切符である。私が同行するというのは急な話だったので、谷垣さんが無理だと一言行ってくれさえすれば、私はこの切符で東京へ帰らなくてもいい免罪符になったのだが、なにぶんピークも過ぎた九月の終わりの話だ。電車の席も、ホテルの部屋も余っていたようで、すぐに抑えましたと、可愛らしいアザラシのスタンプとともにお返事が来た。最早、東京へ帰ることが確定である以上、実家に寝泊まりすることにならなくてよかった、と。それだけを喜ばしく思うべきである。心を切り替え、寝坊しないようにと、出発前日は23時に布団へ入った。

 朝の10時、東京行きの列車内。茨城を離れるのは、先生の元へ来てから初めてのことだった。東京行きにわずかな心の重たさはあったが、それを考え詰めても答えなどない。ただ、流れ行く車窓の景色に身を任せ、遠出で浮き足立った心を、カラカラと回る天井の扇風機に吹かせていた。駅で買った小さなサイズのお茶を飲んでいると、向かい合わせで座る先生と目があった。思わず逸らしてしまったのは、家という慣れた環境から離れて調子が狂ったせいか。それとも、彼が上品な薄手の秋色のセーターを俳優のように着こなしていることに気づいてしまったせいか。どちらにせよ、気まずい。

「あの、先生。私がここにいると落ち着かないでしょう、私あちらの席に移りましょうか。」

 私が腰を浮かせて提案すると、ずっと窓枠に肘をついていた先生が私の手首を掴んだ。

「構わん」
「いいえ、でも」
「いいから。…目の届くところにいてください」

 その手に促されるように私は元いた場所に腰を落ち着けた。先生が私に触れることなどもちろん初めてで、ひどくひどく驚いた。先生の根本にあるものは典型的な人間不信である。早々に気づき、彼のパーソナルスペースを侵さぬように気を遣ってきたつもりだったが、まさか先生の方から一歩線を越えてくるとは。大袈裟だが、あまりに吃驚して真顔のまま呆気に取られてしまった。当の本人は、涼しい顔ですぐに元のように肘をついて窓の外を眺めている。しかし、じっと寄せられる私の視線に気がつき、此方を見る。そして、不服そうな私の顔に、ふっと笑みを零し、またすぐに視線がそっぽを向いた。私の頬は不本意ながら、カアッと赤く染まる。どこまでも先生の台本どおりのような気がしていた。

 東京駅に到着するまで、私たちの間に会話らしい会話はあの一瞬だけであった。なおさらにやはり私は違う席に移動した方がいいのではないかという思いが頭を掠めたが、そう考えるたびに、先生は私の心を見透かし、目でそこにいろと訴える。全く何を考えているんだろうか。難しいことを考えるのは苦手なたちだ。

 駅に到着し、谷垣さんの迎えが、あと10分ほどかかるというので、改札を出て目印にちょうど良いであろうマクドナルドの前まで移動した。飲み物を買いに行くかと聞けば、要らないと言われ、じゃあお腹は空いていないかと聞いても要らないと言われる。終いには、ここにいろと先生の横を指定され、とうとう自分が子供扱いされているのではという結論にたどり着いた。そう考えれば、「目の届くところに」という列車内での先生の発言にも納得がいく。しかし残念ながら、私は先生の一つ年上である。

「最終日は電車の時間まで好きに使って構わん。見舞いとやらに行ってやれ」

 そう言われ、咄嗟に先生の顔を見たが、それは全くのご厚意だった。行きたくないという私の心中を察した上でこう言っているのであれば、「やめてくださいよ」とハッキリと申し入れることもできるだろうが、本当に友人の見舞いなのだからと言われてしまえば、それはもう断る方がおかしな話だ。私は、小さな声で礼を告げ、それ以上は何も言わなかった。先生は私の複雑な心中を知ってか知らずか、じっと視線を投げかけてきたが、しかし、都会の喧騒にあっても、やはりそこに言葉はなかった。

 谷垣さんが到着し、何やら重苦しい雰囲気で並ぶ私たちを見て、明らかに「やばい」という顔をした。どうやら、自分が遅れたことで先生の機嫌を損ねたと思ったらしい。あえて説明するようなことは何もないが、自分のせいだと思っている彼を見て、心が痛む。タクシーへ向かう先生の背中に聞こえぬように、谷垣さんが「すみません」と再度謝ってきたので、私はそっと首を振ってそれを否定する。すみませんを言わなければいけないのは、おそらく、私の方なのである。