1時間ほど歩き続けたあと、ホームズの下宿先を訪ねた私たちだったがやはりそこにホームズはいなかった。中を見せてくれるという話に興味はあったが、ここは効率を優先して別れることに。私と陣平さんは外で情報収集をし、3時間後に落ちあうことになった。

「じゃあくれぐれも気をつけてね、松田刑事たち」
「それはこっちのセリフだ」
「本当に。みんなも気をつけて」
「任せてください」

『ベイカー街の亡霊』は好きな映画の一つだが、何が起こったか具体的な時系列までは曖昧だ。ホームズの下宿で名探偵がホームズの真似をするシーンは覚えてる。でも多分本筋にあんまり関係ないんだよな、あそこ。そのあと何が起きるんだっけ。そろそろ誰か離脱するはずだが、順番も場面もあやふやだ。

「ほら、行くぞ」
「あ、うん」

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霧の都・ロンドン。煉瓦造りの建物と石畳。忙しなく人と馬車が往来するこの街で、パーティドレスとスーツの男女はひどく浮いている気がしたが、そんなことは誰も気に留めないらしい。私たちは名探偵と別れ、下宿のある通りから大通りへと移動する。道行く人にホームズのことを尋ねても、あっちに下宿があるよと言われるだけだった。

「本人に関する情報は特になさそうね」
「まあ、今は仕事中らしいしな」
「せめてワトソン博士だけでも残ってくれてたら良かったんだけど」
「なんだアンタ、ホームズ知ってんのか」

さも意外だと言う顔の陣平さん。確かに私が推理小説を好んで読むようには見えないだろう。現に、私の知ってるホームズの情報は全部『名探偵コナン』から。ことあるごとにホームズ知識を垂れ流すどこぞの名探偵坊やのお陰で、コナンフリークは自然とホームズに詳しくなるというわけである。言えないけど。

「あー昔ね、ホームズが出てくるアニメを見たことがあって」
「へえ」
「陣平さんもいわゆるシャーロキアン?」
「んな大したもんじゃねえよ。ちょっと齧っただけだ」

この世界で推理力を上げるためにはホームズの履修が絶対条件なんだろうか? さすが青山先生と言うか何と言うか。頭も顔も良くて、推理も爆弾解体も得意な私のハイスペックな恋人がシャーロキアンでも全く驚かない。むしろ、ここに来てからのワクワク具合も見るにちょっとと言わず結構好きなんだろう。ホームズにさほど詳しくない私でも、それなりに感動するくらいだもん。この世界。

「本当は行きたかった? ホームズの部屋」
「いいや。子守ばっかしてると疲れるんでな」
「ははは みんなしっかりしてる子ばっかりだったよ」

少年探偵団は元より、あの坊ちゃんたちも次第にまとまってきたし。これも全てノアズアークの考えた通りだと言うのは、今のところ私しか知らない話だ。子供の自主性は意外なところで育まれるものである。

「それに、最近忙しくてアンタとデートする時間なかったしな」
「ロンドンデートのつもり?」
「ああ。100年前のロンドンなら非番に呼び出されることもないだろ」

陣平さんがニヤリと笑って、私の手を取る。聞き込みを始めて1時間。休むにはちょうどいい頃合いだ。命懸けのゲームをやってる最中だと言うのに、いつも通りな恋人に笑いながら手近な石の階段に腰をかける。ああ、疲れた。

「ロンドンって昔はこんな感じだったんだね」
「来たことあんのか」
「うん。昔ね」

あれは確か、ここが名探偵コナンの世界だと気づいた後だった。ユメと二人でロンドンに。ビッグベンを見て興奮したり、ロンドンアイに乗ってはしゃいだり。楽しかったな。そんなことを思い出していたら、隣で頬杖ついた陣平さんが、少し不満そうな顔でこっちをじっと見てる。もしかしなくても機嫌悪い?

「誰と、」
「へ?」
「誰と行ったんだよ。ロンドン」
「も、しかして、元彼だと思ってる?」
「……別に」

まじか。この男。あまりにも愛い。

松田陣平の拗ね顔に弾けそうになる顔を何とか押さえつける。ここでニタニタしたら余計に機嫌を損ねること間違いなし。ああ。にしたって、もう何年も付き合ってるというのにこの表情。どうして毎秒愛されていると実感させてくれるのだろう。彼以前に付き合っていた人のことなど、ほとんど覚えていないというのに。

「ユメとだよ。ほら、私の友達。知ってるでしょ?」
「あ、ああ」
「ユメと行ったの。だからそんな顔しないで?」

彼の頬に両手を添える。綺麗な顔。この人が私を好きだなんて、いつまでも夢みたいな話だ。
陣平さんが、私の手の上に自分のそれを重ねる。この手よりも、この綺麗な唇よりも愛しいものを私は知らない。

「その時ね、ホームズミュージアムに行きたかったの」
「ああ」
「でも、ユメは全然興味なくて行けなくて。だから、今度は陣平さんと行きたいな」
「分かった。——分かったから、少し黙れ」