11月29日。金曜日。最後のお客さんをドアまで見送って店仕舞い。今日は早く終わったから、さっさと片付けをして、熱いお風呂に入ろう。ご飯はいらない。味見していたらお腹いっぱいになった。それで撮り溜めたドラマを見よう。FBIがスパイとして悪の組織に侵入する大人気作。面白いんだ、これが。どっかのあかいさんみたいで素敵。サングラスに黒スーツ、きっと彼は今日もかっこいい。

出していたボードを下げて、openからcloseにひっくり返す。後ろの方からエンジン音。車だ。チラリと振り返る、マツダのCX-5。今はあんまり見たくないなあ。いやでもサングラスの彼を思い出す、……ってアレ。

「店は?」
「は?」
「終わってんな。乗れ」

運転席から降りてきた彼は、サングラスをしていない。夜に運転するから当たり前か。私の手から店の鍵をひったくると、ガチャリと鍵を締めて、私の腕を引いた。私の戸惑う声なんぞどこ吹く風である。「シートベルトはしろよ」もうしたよ、説明しやがれ。

「どこに行くんですか」

松田陣平とは、かれこれ3年の付き合いになった。萩原さんの事件で知り合い、その後運悪く店がバレて仲良しに。振り返ってみると、彼は一途に私を大事にしてくれた。優しい、かっこいい、公務員。非の打ちどころが全くない。こんな男が私を好きだなんて世も末だ。しかし、松田さんと私の関係はつい2週間ほど前に終わったはずだった。もういよいよ取り返しのつかない振り方をした。何の権利があってそんなことを、と思われるかもしれないが、私の思いは前言った通り。松田さんには新しい素敵な女性がいるはずだ。それこそ、高木刑事には悪いが佐藤刑事だって良い。ふたり並んで、お似合いだなって思える女の人は、幸いにもこの世に腐るほどいる。だから私じゃなくて良い。私だって松田さんじゃなくたって良い。もっと普通で、私の身の丈にあった男はごまんといる。平凡で刺激のない生活でいいじゃないか。この恋の痛みは、ゆっくり時間をかけて癒そうと思っていた。そうしたら、いつか。また、大好きになれる人が見つかるはずだった。それなのに。

車が静かに止まる。駐車場。夜なのにやけに明るい。

 Tropical Land
――トロピカル、ランド。ああ、これがあの有名な。って、えっ?

「松田さん?」

ちょっと待って。閉園時間まであと数十分。帰る人並みに逆らって、彼がぐんぐん進んでゆく。すぐ帰るから、と閉まりかかったチケット売り場でチケットを2枚買い、私に1枚渡す。彼は私にアンタがわからないと言ったが、私にも彼が何を考えているのかさっぱり、わからない。

「はぐれんなよ」

松田さんが優しくとった手を、離れないように握り返す。人混みの圧に負けそうだから、と言い訳をして。なんだってんだ。

「……立派な誘拐ですよ」
「うるせー」

結局彼が止まったのは、観覧車の前だった。よりにもよって何故これなのだ。嫌な思い出しかないぞ。私は今後一生乗る気はなかった。あの日と違い、向かい合わせに座る。彼は笑いながら頬杖をつき、私はムスッと腕を組んだ。こんな時間でも行ってらっしゃいと笑顔で見送るキャストさんは流石。行ってきます、したくはない。今頃はお風呂から出て、髪を乾かしながら、ウキウキルンルンあかいさん(仮)のドラマを見る予定だったのだ。離された手が寂しいからじゃない。

「あれから、アンタの言ったこと、考えたんだよ」

松田さんは、懐からタバコを取り出し、〈禁煙〉の文字を見てそれを戻した。今回ばかりは大目に見てくれないからね。

「……アンタの言う通りだ」

いつ死ぬか知れない。その日は、明日かもしれない、来年かもしれない。私が彼の運命を変えたから、もう何が起きるかを知っている人はいないのだ。

「だから約束する」
「……約束って、……」
「アンタの知らないところで勝手に死んだりしねーよ」

そんな、守れもしない約束なんて。

「だからずっと一緒にいてくれ」

優しい嘘なら欲しくはない。絡めた小指に縛られて生きるのは嫌だ。私は弱いから。きっと耐えられない。無力で、松田さんのためにできることなんて、何もない。

「なんでそんなにあきらめないんですかあ」
「好きだからだろ」
「私は、あんなにひどいこと言ったのに」
「正論じゃねーか」

伸びてきた腕に囚われて、私の視界にもう綺麗な夜景は映らなかった。

「惚れちまったんだ、——どう仕様もなく」

潮時か。逃げられない。機を逸すれば、事態は悪化する。というか、よくよく考えて、私は松田さんが誰かと幸せになる未来を笑顔で祝えるような、そんな懐の広い女ではない気がする。だから、何もかもこの夜空に放り投げ、そっくりそのまま。私も同じ言葉を、返そう。今度こそ、この背中を抱きしめ返して、息もできないこの胸に巣食う感情の名前を、あなたに。

「約束。──破ったら針千本味噌汁に入れますからね」
「上等」
「嘘じゃないですよ」
「飲みきってやるよ」

──だから、そばにいろ。頼むから。

「……降参、です」

私も彼も、相手は私や彼じゃなくたっていい。絶対なんてこの世にない。必然と偶然は紙一重。だからふたりじゃなくても生きてゆけるけど、どうせなら彼が良い。彼のことが好きだから。

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