黙々と、ご飯を食べ進める。彼は時々、狙いすましたように店が終わった時間にやってきては、腹が減ったと笑うのだ。
わかっていて、彼はやっているのだろうなと思う。私が彼のために自分の分ともう一人分、余計にご飯を用意していることを。それもこれも、彼が全部そうなるように仕向けたのだ。わかっていて、私も彼の掌の上で踊る。見ないフリは楽で良い。
萩原さんは、松田さんのことを口数が少ないやつだと言う。勘違いしないでやってと頼まれるが、勘違いのしようもない。松田さんは案外ストレートに想いをぶつけてくるし、私もまっすぐそれを拒否している。二人の関係はわかりやすい。わかりやすいほどに、同じ方向を見つめているのだ。
「今日はBランチが人気で、夜も出そうと思っていたのに、なくなっちゃったんですよ。焦って買い出しに行きました」
やっぱり車買おうかな、って。――箸が進まない。顔を上げられない。沈黙に耐えられない。今日の私は生まれてきてから一番調子が悪い。ああ、どうしよう。
「しばらく忙しくなる」
ハッとして、恐る恐る彼を見た。とっくにカレーを食べ終えて、松田さんは携帯をいじっていた。しばらくってどのくらい? 今日は、11月2日。あと5日しかない。それまで? それが終わったらまた会える? 一生会えないかもな、なんて冗談だって言わないで。
「そう、ですか。大変ですね、ご飯ちゃんと食べないとダメですよ」
「ああ、わかってるよ」
心臓がうるさい。
「7日、会えないですか?」
「は」
「デート! 私とデートしませんか」
心臓がうるさい。彼がいなくならないためにはどうするべきか、私は繋ぎ止めようと必死だ。松田さんは、少し驚いて、でもその日は無理だなと言った。サングラスをかけて、ごちそうさんと立ち上がる。
「違う日でも良いだろ?」
ダメなのに。なんでダメかって聞かれたら言えないとしか言えないけれど。ダメなのに。彼をこのまま見殺しにすることも。このまま物語が進んでいくことも。でも、私にどうしろと神は言うのか。
「そうですよね。ごめんなさい。……落ち着いたら、また、」
「ああ。このヤマが片付いたらな」
悪いなって、彼が私の頭を撫でる。優しい手つきがまるでサヨナラみたいだった。
・・
・
あの日以来、松田さんからの連絡はパッタリと途絶えた。
送れば必ず帰ってきたメールも、返信なし。彼の中で、運命の日が近づいてピリピリしている頃合いなのだろう。捜査一課では、佐藤刑事と出会うはずだ。そして、3年後、原作では佐藤さんが犯人を逮捕して物語は終わる。萩原と松田の犠牲を伴って。萩原さんの死は回避できた、と言うことは、松田さんだってどうにかできるはずなのだ。萩原さんの時は勢いでどうにかできたが、今回はどうすれば良いのか。
まず、爆弾の設置されている場所は、米花中央病院と観覧車。どっかのショッピングモールだった。この辺りで、観覧車のあるショッピングモールって言ったら杯戸ショッピングモールしかない。米花中央病院に設置された爆弾の場所を突き止めるために松田さんは爆弾解体をやめる訳だけど、場所がわかっている今、その必要はない。しかし、私が場所を教えたところで怪しいだけだし、まず信憑性がない。萩原さんと松田さんくらいは動いてくれるかもしれないが、仮にそこで見つかったとして、なぜ知ってるんだって話になる。ダメだ。
じゃあ、観覧車の方の爆弾をどうにかする?私に爆弾解体なんて高尚な技術はない。それにもしどうにかそれを撤去できたところで、犯人にそのことがバレたら遠隔操作で病院の方を爆破させられる。一人のためにもっと大勢の命を犠牲にするなんて言語道断。人の道に反する。ダメだ。
「打つ手なしかあ」
「何が打つ手なしなんですか?」
「うわっ」
「すいません、驚かせて」
「し、新一くん?」
開いてましたよ、ドア。彼の指差す方を見ると、店のドアが少し開いてる。なんたる不用心。この米花町でそんなことをするなんて自殺行為同然である。そして、君も少し開いてるからって入ってくるな。常連だからって許されないぞ。許すけど。
「名前さんに、何かあったのかと思って心配しました」
事件かと思って喜びましたの間違いだろう。善人な死神め。
「何か悩み事ですか?」
「うん、とっても悩んでる」
どうしても助けたいけど、助ける方法がわからない。叶うのなら、君のような優秀な脳みそが欲しいよ。
「もしかして、あのサングラスの男の人ですか?」
「え?」
「キッチンに、夕飯の用意がぴったり二人分。だけど名前さんは一人暮らし、同棲してるような話も聞いたことない。友人が訪ねてくるなら、ドアを開けっ放しにして頭を抱えているなんて変だ。となると、いつ訪ねてくるか分からない人のために、念の為ご飯を用意して待っていたとしか考えられない。メニューも、保存が効くものばかりですしね。そんなことをするのは、好きな男性のためとしか思えないんですが、どうですか?」
「怖い」
何この、中学生怖い。七色の脳細胞すぎて引く。私の前でドヤ顔で推理披露しないで、震えが止まらん。
「どうしてサングラスの人だと?」
「以前一度だけ見たことがあるんですよ、このお店で」
まあそりゃあどっちも常連だし、よく来てくれているからバッティングしたこともあったかもしれないが。「だから?」見たことがあるだけで、私の悩みのタネが彼とは。
「見れば分かります」
「へ」
「二人とも、互いが大切なんだって顔してたぜ、名前さん」
私はもう一度頭を抱えた。お前にだけは言われたくない。初恋拗らせてるやつに言われたくない。私と松田さんなんて、蘭と新一に比べたら可愛いもんである。いや、中学生の二人はまだ可愛いけど。そう言うことじゃない。
「窮地を脱するには、気力あるのみだ」
新一くんは、人差し指を立てて言った。ホームズの受け売りかと私が聞けば、そうなんですよと恥ずかしそう。良いけど、金言ありがたいけど、女にすぐにホームズの話をするのはあんまりおすすめしないよ、おばさんは。
「うん、でも、ありがとう。頑張るよ」
「おう、絶対大丈夫だって」
そっくりそのまま言い返したい。絶対大丈夫だから蘭ちゃんに好きって言えよ、と。