恋は失って初めて気づくとよく言うが、もしそれを恋の定義の一つとするなら、私が流川楓に対して抱く気持ちは恋ではないということになる。まず、『失う』というのはなかなか強い言葉だ。私は流川を失っていない。というか、初めから彼は私のものじゃあないし、私も彼のものでもないし、失うって大げさなことでもない。バイト仲間が一人いなくなっただけ。本当に、よくある話だ。そして、『初めて』『気づく』とは。悲しいとは思ったし、今でも多少の寂しさはある。あの、今にも寝てしまいそうな綺麗な顔と、“先輩”と私を呼ぶ低い声が、たまに誰かに重なって、ああ、彼はいないのかと突きつけられるような。そんなに詩的な感情でもないのだけど。ああ、言葉にするのは難しい。
とにかく、それなりの寂しさはあるものの、彼を思い出さない日はなかった、なんてこともなく、本当にたまに、(あのこは生きているのかしら)と思う程度に、流川の存在が遠のいていた。こうやって人は何もかも忘れていくのだろうと思うと、それはそれで寂しくもある。人は愚かで、単純で、悲しい生き物だ。それでも、誰かと出会って、思い出を寄せ集めないと生きられない。
「先輩ってば意外と淡白なんですね」
すずちゃんついては、夏の太陽と、今年一番のお気に入りらしい白のブラウスが相まって、その可愛さを倍増させていた。可愛い女の子ほど、人生を得する生き物はいないけれど、可愛い女の子ほど、夏の似合う生き物もいない。短いスカートとフリル袖から伸びるほっそりとした腕と足には女の私もうっかり惚れそうになった。常連のおじさんたちは、夏はいいねと囁き合っていて気持ち悪い。しかし、ぐびぐびビールを飲んでくれるので、迂闊なことも言えない。非常に難しい。
「何がよ」
「わたし、実は流川さんのこと応援してたのにぃ」
やめてよ、と軽く否定する。まさかすずちゃんを味方につけていたとは、あの男もぼうっとしていて、なかなか隅に置けない。わたしたちが雑談をしていると、見るからに悲しそうな顔をした店長が「俺も、応援してた! いや、今もしてるよ」なんて、言うから、このおじさんも大概未練たらしいなと思う。応援、という意味ではわたしだって。
「先輩、」
「なあに」
「先輩が素直にならない限りは、わたしは流川さんの味方ですからね」
いじわるね。そんなこと、今更わたしに言うなんて。