木曜日、いつもの時間。雨は午前中で止んだ。もうすぐ梅雨明けだと聞いた。赤い傘を右手に持って、疲れたのか首をゴキゴキ鳴らせた先輩は、俺を見上げると少し恥ずかしそうにした。ちょっと赤くなった顔で、行こうか、と一歩踏み出す。俺は黒い傘を携えて、その横を歩き出した。

今日は別段忙しい訳でもなく、少し早めにバイトは終わった。もりもりのおにぎりを食べ終え、「送ります」と言った俺に、先輩ははにかんで、「じゃあお願いしようかな」。

普段から自分が喋らないことら自覚してた。口開くのも面倒で、何より眠い。女と話すのは尚のこと苦手だったのに、先輩のよく回る口を見ているのは楽しかった。それでね、あのね、とくだらない話が続く。相づちなんて聞こえちゃねーだろう。高い位置で揺れるポニーテール。この身長差で見下ろすと、中が見えそうになるダボダボのトレーナー(俺以外の男の前では着ねーでほしい)。リュックに付けられたブサイクな顔のマスコット。人のことなんてまるで関心がなかった俺なのに、感情ひとつで変わるんだから怖いもんだ。

「この前ね、流川の試合、店長と見に行ったんだよ」
「聞きました」
「すごいんだね、大人気じゃん」

鼻高々と言った様子で笑った先輩。先輩に凄いと言われること、悪くない。

「どうだったっすか」
「いやあ、私本当に無知で」

よく分からなかったよ、ごめんね。と、彼女は謝った。そんな正直なところも、彼女が特別な理由。取り繕わない、嘘をつかない。だからこの人の隣は眠たくなるほど心地がいい。

「平気っす」

次こそは、彼女が見てもあっと驚くようなプレイをして見せればいい。ああ、それがいい。

「また来て下さい」

駅を越え、交差点を超える。月はビルの向こうに消えてしまった夜だった。
「私、本当にバスケット分からないよ?」
「だいじょーぶ」
次は、カッコよかったと言わせてみせる。

「……うん、分かった」

約束。差し出した小指を笑いながら、俺より関節一個分短い小指が俺の太いそれに絡みつく。歯を見せて笑った先輩に、心の奥底で募る想いがほのかに燻った。(ああ)やっぱり、この人のことが。フッと溢れた笑み。笑ったのは、多分俺。ヒロタの言葉が蘇り、強引に俺の背中を押した気がした。

「先輩」
「ん?」

「好きだ」

シンプルに、確実に。パッと離れていく小指から、いつもよりさらに丸くなった彼女の瞳から、目が離せずにいた。濡れた手のひら。コイって案外度胸がいる。

「もう半分を探す」〆
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