尾形は一歩一歩、沈むような足取りで進んでいた。脇腹と太腿に一発ずつ。当たりどころが悪かったのか、先程から血を流し過ぎていることは、誰の目にも明らかだった。進んだ跡に、血の道標が出来ている。これを辿れば、ふたりの元へ辿り着くのは容易なことだ。踏み消す余裕も、今の尾形にはない。
遡ること二時間前。一時山小屋を離れ、周囲の様子をふたりで伺っていたところ、第七師団に見つかった。騒ぎが大きくなる前に逃げる必要があった。追っ手が増えるより先に二手に分かれ、山小屋で合流したあと、すぐに逃げようと約束をした。それが逃げた先で新たな第七師団の兵に会い、一発、被弾。勿論尾形は撃ち返したが、死角からの一発は防ぎようもない。結局、仲間の兵の足を撃ち抜き、逃走自体は成功したが、今のこの様である。尾形は、もう生きていられない可能性について考える。足は動いていた。
思うに、自分がこの世に生を受けた意味は何か。親にも愛されず、國の英雄にもなれず、あらゆる人間を裏切ってきた。孤独で悲惨で、滑稽。頭に浮かんだ言葉を、尾形は鼻で笑った。
「尾形さん!」
山小屋が、チラチラと見えかけたところで、名前が、尾形の方へと駆け出してきた。赤黒く染まった外套を見て、小さく息を呑むと、また怪我したんですか、と言った。ひどく低い声だ。
「けが、…どころじゃ、ねぇな」
見ての通り、致命傷になる寸前だ。尾形は笑った。こんなに愉快なことは久しぶりだ。
「笑ってる場合じゃないですよ、早くどこかで休んで治療を────」
腕の中に閉じ込めた、その体は小さかった。尾形は、足と腹が痛むのも忘れて、名前を抱き込んだ。息を吸い込めば、彼女の匂いがする。もう、鶴見の影は見つからない。この女の全て、自分のものだと思った。
「…行けよ」
「何を、」
「逃げろ、今なら、まだ、助かる、」
徐々に荒くなる息、尾形は肩を掴んで、彼女を引き離すと、不安に揺れる瞳に、下衆な笑顔を映した。行け。もう一度口にする。尾形を助けている余裕なんて、ありゃあしない。いま名前ひとりで逃げ出せば、敵兵には見つかるまい。上手いこと海に出て、何とか本州へ逃げられれば、もう二度と、悪夢に怯える夜はない。元より気立てもよく美しい娘だ、手放した幸せは、手に入るかもしれない。尾形は、有り余る言葉を飲み込んで、さっさと逃げろと最後に言った。何もかも、これで十分だと思えた。
「…嫌です、」
絶対に嫌だと、名前は言う。大きな声が傷に響いた。
「私は貴方を置いては行かない」
その言葉だけで、尾形は満足していた。死にゆく者に、道連れは仇だけで十分。惚れた女を連れていくほど、孤独を恐れちゃあいなかった。
尾形は力いっぱい、名前の服を引きちぎった。高い声で叫ぶのも無視して、顕になった肌に、舌を這わす。名前が怯んだのを見て押し倒し、残った釦を全てぶち破った。
「行けよ、俺を、置いていけ、」
でなければ犯してやる。硬い土の上で、どこから敵が現れるかもしれないこの場で。尾形の顔は、凍りついた笑みを浮かべていた。その声に、名前は薄ら涙を浮かべ、それでも自分よりも傷ついた顔をする男を哀れんだ。破れ、肌蹴た服を寄せ合わせると、よろよろと立ち上がる。そのまま、山小屋の裏へと、覚束無い足取りで走り去っていく。名前の後ろ姿を見送ると、尾形はその場に倒れ込んだ。腹から血が止めどなく溢れる。もう痛みはない。限界か。犯してきた罪の割には、穏やかな死に際だと思った。誰の掛けた情けか、知るもんか。ゆっくりと目を閉じる。
最後に彼女のことを少し考えた。