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時間軸的には網走監獄突入前くらいのつもりです。
書いてた当時、単行本がそこまでしか出ていなかったので……

 尾形から名前の手を取ったのは初めてだった。

 名前は、止まることなく進んでいく尾形の後ろ姿を見つめながら思った。名前を呼ぶことすらせずに、尾形は彼女の手を取り、森の中へと歩を進めた。それは病院から抜け出した日とよく似ていた。尾形は何も言わずに進む、病院の光は、どんどん遠くなって行った。名前は今も、あの日も、尾形にどんな言葉を掛けようかと思案しながら、結局何も言えないままに、足を動かし続けていた。

 名前は、時折振り返り、網走の高い壁が遠のいていくのを確認した。あの壁の下には杉元を初め、旅を共にした仲間がいる。その仲間たちから遠ざかっていくことを、ほんの少し怖いと思う。でもそれは、安心感に似た何かによって掻き消される。尾形が、あの一行から離れることを決めたのはいつか知れないが、離れるときに、自分の手を取ってくれたことに、名前はひどく安堵した。共にあることを認められたような、そばにいてくれと言われたような、寒空の下、暖かい心地がしたのだ。

 足が止まる、疲れたかと尾形は尋ねた。名前は首を横に振る。嘘ではない。頭を巡らすことに精一杯で、疲れを感じる方に気が回らなかったのだ。

「何処へ行くか、訊かないんだな」

再び動き始めた尾形が言う。名前ははいと答えた。

「私はあなたに着いていくって決めたんです」

離れない疑わない否定しない。そこに迷いはない。

 ふたりは、山中に長く使われた形跡のない山小屋を見つけた。今晩はそこで明かすことにして、朽ちた床に、毛布を広げて横になる。一枚ずつしか持っていなかった毛布は、掛ける用と敷く用で、丁度二枚。小さな毛布の上で、名前は尾形に身体を寄せ、尾形は、当然の如くその体を己の方に抱き寄せた。

「前もこんなことがありましたね」

まだ旅を始めたばかりの頃、山にも雪が積もっていた。ひどく寒かった記憶は鮮明である。

「…お前は何故俺を信じる」

布団二枚で眠れていた頃よりも、ずっと事態は酷いことになった。我ながら、過激な人生だと名前は思う。それでも、ちっとも不幸ではないし、人の懐があたたかいことなど、あの屋敷にいては一生知り得ないことだ。だから何故彼を信じるのかと訊かれれば、分からない。でももしそれに、明確な答えがあるとするなら、それはきっと愛だと、名前は考えたところで、瞼を下ろした。