名前はアシリパの隣で正座し、頭を垂れていた。森を進むとコタンがあったので、少し休ませてもらうことにしたところまでは良かったはずなのに。どうして自分は、今、立派に縄で縛られ、人質になっているのか。隣で、淡々と拘束した男たちが偽アイヌだと語る年若い少女に比べて、なんと情けないことかと、深く反省した。アシリパが『便所に行きたい』と叫ぶので、着いてきてみればこのザマである。むしろ着いてこない方が良かったと後悔しても遅い。
「痛ァ!」
どこからか、おじさんの痛々しい声が聞こえてくる。名前とアシリパは警戒して腰を浮かしたが、その声が自分たち一行の誰にも当てはまらないことを確認して、もう一度腰を下ろした。外は何やら騒がしい。得体の知れない叫び声のあと、アシリパは、少し嬉しそうに耳長お化けだと言った。名前にはちっとも理解出来ないが、何か良くないことが起こっていることだけは分かった。名前は、また尾形に叱られるだろうかと体を丸めて頭を抱えた。
「アシリパさんをどこへやった!」
杉元の必死の叫びが聞こえてくる。その恐ろしいまでの叫びように、アシリパは、偽アイヌたちの心配をする始末である。ほとほと情けない。
杉元たちはきっと心配していると、名前が言うと、アシリパは当たり前のように笑った。
「尾形もきっと心配しているぞ」
共に旅する人を大切に思うことは、新しい時代を生きるアイヌの少女には当然のことだった。その眩いまでの真っ直ぐさに、名前も小さく笑う。そうだね、と肯定したが、きっとあの山猫は、そんな可愛げのあることはしていないだろう。何方でも良かった。
銃声と、何かを殴る鈍い音。熊岸と何か話すアシリパたちに混ざる気はなく、名前は膝立ちで窓の方へといざり寄る。名前たちの無事に安堵する声が、入口の方から聞こえ、振り返ったところ、杉元が名前ちゃんも無事かと、銃に似合わぬ柔和な笑みを浮かべている。名前は、ぶんぶんと首を振った。これで万事解決と思った矢先の毒矢である。頼みの綱であった熊岸は呆気なく事切れた。
「アシリパちゃんのせいじゃない」
こんな陳腐な言葉をかけることしかしない自分は、なんと役立たずだろうかと、名前は嘆く。誰も彼女を責めてなどいなかったが、他にかけるべき言葉は何も浮かばなかった。その言葉に、強き少女は頷いた。
「行こう、杉元さんたちが待ってるよ」
背中を軽く押すと、アシリパはゆっくりとした足取りで歩き出した。それを追うように、名前も外に出る。見慣れた薄ら笑いを浮かべた尾形がいた。見たところ、怪我はないようだが、足元に転がる男たちを見る限り、一戦交えたと考えて然るべきだろう。尾形は、名前の方を見遣ると、垂れた前髪を撫でつけた。
「お前は俺のもんだ」
ならば手綱を離すなと、名前は外套を引っ張った。