山小屋を出て、雪道を歩く人影がふたつ。歩幅の狭い名前を、尾形が気遣う素振りは全く見られないが、それを彼女が気にする風もなく、足を動かしている。小樽を離れ、また別の街へ。逃避行は、まだ始まったばかりだ。見つかれば即地獄行きの片道切符。「名前」と、珍しく尾形が自分の名前を呼んでくれた。名前は顔を上げる。少し先で立ち止まった尾形に、追いつくのは容易かった。

「なんですか」

尾形はじっと、街へと続く別れ道を見詰めて、まだ引き返せると呟いた。その言葉に、名前は目を見開いたあと、ああそのことかと、頷いた。

「引き返す気はありません」

尾形と軍から逃げる、──いや、あの人の元から逃げると決めた時、家には二度と帰れないと覚悟を決めた。尾形は、名前がいざとなったら帰れるように、人質として自分を連れ出してくれた。しかし、もとより帰るべき場所など失った人間だ。自分を保護し、可哀想にと頭を撫でて、そうして狂気に満ちた顔で、自分を何処かに閉じ込めて、二度と出してもらえないのだろう、と名前は思っていた。

「脱走兵と布団を並べて眠るよりは、よい未来があるだろうよ」

尾形が吐き捨てるように言った。名前はそれを笑った。

「今より幸せな未来なんて何処にありますか」

どの道、普通の幸せは自分には巡ってくるまい。

「行きましょう、尾形さん」

 尾形の無表情からは何の感情も読み取れなかったが、名前は笑っていた。そして一歩踏み出した途端に、足元が滑り派手に転んだものだから、また笑いが止まらなくなる。

「阿呆」

そう言いながら手を貸してくれるこの人は、きっと心根の優しい人なのだ。ただ誰にも愛してもらえなかっただけで、誰かよりもよっぽど人らしい。

「すいません」

手は繋がったままで、雪道を行く人影がふたつ。