どういうことか、と彼に問い詰められて、返せるような明確な答えは何も持ち合わせていなかった。そもそもの問題として、あの端正な顔にじっと見つめられて平静を保てるような頑丈な精神も持ち合わせていなかった。
射抜くような強い眼差しに狼狽え、「貴女は何者なんだ」というその問いになんと答えていいか分からず動揺した。怪しまれるのも当然だ。
ここまでの私の人生を語ると複雑怪奇、摩訶不思議。生まれた時はいたって普通の平々凡々な一般人だったはずなのに、アッと気が付いた時には私の生きる世界は「名探偵コナン」の世界観だった。一漫画だったはずの世界は目の前で繰り広げられ、最初の吉岡三丁目のマンション爆破事件に始まり、それから数年経った杯戸ショッピングパークの観覧車爆破。実際に巻き込まれ、警察にお世話になった身としては、こんなに物騒な事件が多い街だったかと思うだけだった。しかし、そこで見た刑事さんはみんな見覚えがある。
あっれれ~おっかしいぞ~~??と思った時にはすでに遅い。私がマンションに取り残されていたことで避難誘導に出向き、間一髪爆破を逃れた萩原さん。病院で怪しげな紙袋を見つけ通報したことで暗号ヒントを確認することなく爆弾解体をすることができた松田さん。
おまけに、朝の散歩中に私が派手に転んだところを助けてくれた方も刑事さんで、刑事さんがいた場所にはそのすぐ後に車が突っ込んだ。名前は、確か伊達さんだったと思う。
極め付けは、廃ビルの立ち並ぶあたりで逃げた友人の文鳥を探していたとき。私のバカみたいに大きな声のおかげで、一人の命が救われたと。悪魔みたいに真っ黒の服を着た外国人風のとんでもイケメンが教えてくれた。赤井秀一。いくら何でも気づくだろう、だって赤井秀一だぞ。
非現実的だと喚いたところで世界は変わらず。ただ、廻るのみ。もしここが普通の世界であったなら、現に今、爆弾の仕掛けられたビルの倉庫に無闇矢鱈に閉じ込められたりはしないのである。
「貴方、一体何者なんですか」
そう尋ねるのは、行きつけのカフェの店員さん兼探偵。実はエリート公安刑事さん。はたまた黒の組織の一員さん。いや、恐ろしい。
「その質問、今じゃないとダメですか?」
ドッカン。さも当然のように背後数十メートルで小さな爆破。勢いよく風に押され、私がすっ転ぶ横で、安室さんは箱の壁に身を隠している。彼の中で私は助けるべき『一般人』と要観察対象である『容疑者』の狭間にいるらしい。
「今まで何度もはぐらかしてきたのは貴方では?」
「そうですけど、私、悪い人じゃないですよ」
「じゃあなぜ僕の行く先々に貴方がいるんですか?」
それコナンくんに言ってくださいよ。私の十倍は事件に巻き込まれてるから。
じっくりとお話して誤解を解きたいのは山々だが、そんな悠長なことをしている暇はない。体が粉々になるまでに何とか出口を見つけなくてはいけないのだ。
「そんなことより、出口を、」
「貴方がもしもこの国にとって害なす存在であるとわかれば、ここで死んでもらった方がいい」
「過激すぎです」
「で、貴方が悪い人間でないという証拠は?」
また爆発。バランスを崩しかけた私の腕を引いた安室さんが、抱き込むようにして爆風から守ってくれる。口を割るまでは殺させないのか。有難いんだか、恐ろしいんだか。
「それはいわゆる悪魔の証明というやつでして」
「じゃあ貴方は何者なんだ」
「一般人じゃダメなんです?」
「貴方は僕の正体に気づいている」
ハッと顔を上げ、その綺麗な瞳がわずかに揺れる。彼の疑念と微かな悲しみが淡いに消えて。
「そんなこと、」
「もっと言えば、僕の知らないことも知っているはずだ」
人の視線を痛覚として感知したのは初めてだった。
ここ数年は『初めて』ばかりを積み重ねている。煙の充満した薄暗い倉庫で、イケメンと二人きり。逃げ遅れる私のためにと繋がれた手はしっかり結ばれていて、言葉の内容さえ無視すればロマンチック極まりない。
「何でわかるんですか、そんなこと」
安室さんが、私の手をとって走り出す。この命が天秤の上で揺れる空間では、彼と繋がる手だけが道しるべのように思えて、きっとあんまり近くにいてはいけないだろうと思うのに、離れ難い。否、それは言い訳かもしれないけれど。
「僕が貴方をよく見ているから、」
安室透。本当に透き通ったように生が薄く、力強い言動とは裏腹にふっと風に吹かれて消えてしまいそうな人だった。
深入りしてはならず。彼を知ってはならず。
言い聞かせてきた言葉はガラガラと音を立てて崩れたが、それは倉庫内の爆音でかき消された。
「最期に、教えてくれてもいいじゃないですか」
ああ、初めて笑ったなこの人。そう思いながら、今度は私が彼の手を引いて走り出している。方向も分からないので、すぐに彼に軌道修正されたが。
「その今にも死にますみたいな発言やめてください」
「時間の問題ですよ」
「はいダウト。安室さんがこんなところで死ぬはずありませんね」
彼が呆れたようにため息を零す。そろそろ息も苦しくなってきた。
「何を根拠にそんなことを?」
「それは貴方の思った通りでいいです。貴方の知らないことを私は知ってる。つまり、それが貴方が死なないということです」
ぎゅっと眉間に皺が寄る。出鱈目ではないし、あながち嘘でもない。私は名探偵コナンについて対して造詣も深くないが、社会現象とまで言われた『降谷零』がそう簡単に死んでたまるか。おまけに、私なんて訳の分からぬ女と一緒に死んだとなれば、それこそ私が全国の”安室の女“に殺されてしまう。
「あとは?」
「あとは、安室さんが本当は公安警察とかですか。でもそのくらいなら赤井さんやコナンくんも知ってますよね」
「……」
「……えっと、もしかして私今、死亡フラグ立てました?」
こういう時、悪人が改心してペラペラと真実を喋り出した時は、核心的なことを言う前に死ぬ、と相場が決まっているではないか。ははっ
「貴方という人は……」
「待ってください、私本当に悪い人間じゃないです」
「わかってますよ」
「わかってるんですか!?」
「わかってない方がいいですか」
まさか! ブンブン手を振っていたら、どんと壁に当たった。ようやく端にたどり着いたようだ。安室さんは何かを諦めたような、けれどどこか安心したような顔で息をつく。そしてそこに宿る確かな生への執着に、私は胸をなでおろした。
「貴方の正体は死ぬまで追い続けますよ」
「えっ 安室さんて結構しつこいタイプです?」
「勿論」
ぐいと腕を引かれてる間に、彼が反対の手で窓を壊した。割れた破片を丁寧に取り除き、今度は私を残し、近くの箱を開封。見つけてきた紐を近くの柱に結びつける。なんとなく読めた上で、嫌だなと思った。そんな紐に命は預けられない。
「行きますよ」
「それでここから飛び出す感じですか」
「そうしないと死にます」
「ひえっ」
安室透が両腕を広げた。私は、意を決してそこに身を預ける。背中と脇の下、紐が回された。いや~~怖いなあ。
「ふっ そんなに震えなくても大丈夫ですよ」
「安室さん、なんか楽しんでません?」
「大丈夫です、離しませんから」
彼が私を抱え上げ、窓枠に足をかける。目下数十メートル下のテラスに向け、決死の大ジャンプだ。
「……その言葉は違うタイミングで聞きたかったですねぇ」
「おや随分余裕があるじゃないですか」
「女は度胸です」
彼の首に腕を回し、やらねば死ぬぞと目を閉じる。最後にポンと頭を撫でた手は優しくて、うっかり勘違いしそうになったが、爆風に押されて飛び出した地上20階からの景色に、何もかもを後悔した。