どんどんとお腹を蹴られる感触に、自然と笑顔が溢れるようになった頃、探さんもよくお家にいてくれるようになり、そして何かにつけては心配されて、嬉しいやら困るやら。ともかく大きく膨らんだお腹を、彼が優しく見つめる時間が増えたことには間違いない。
よく晴れた日曜日、今日は散歩日和だからと隣駅のショッピングモールに行くことにした。最近できた大きな施設で、ベビー服から婦人服、食品まで色んなお店が入っていると、テレビでも評判である。
「混んでいたら早めに帰ることにしましょう、ストレスは禁物ですから」
「たまの外出なのですからいいじゃないですか、私も新しい洋服が見たいです」
最近は、この子のお洋服ばかり考えているので、と軽くお腹をさすれば、探さんは綺麗なお顔でにっこり笑う。車を運転している探さんはビックリするほど格好いいが、それに笑顔がプラスされるともうどうしようもない。思わず目を逸らすと、ふっとまた笑われてしまった。この人が確信犯なことなど、百も承知の上である。
「そういうことなら、もっと良い店に連れていくこともできますが?」
「探さんの良い店は本当に良い店なので、ダメです。着なれません」
「それは残念」
彼は悪戯な笑みを浮かべながら、あの服はよく似合っているとか、この前のネックレスはとか、と私を褒めちぎり始めた。彼の悪い癖だ、と言ってしまうのはあまりに贅沢な気もするが、勘弁してほしいというのが本音である。
「やっと着いた……」
「おやおや、酔ってしまいましたか」
「ええ、探さんの良い声に少々…」
「嬉しいことを言ってくれますね」
「褒めてません!」
彼に手を引かれて、ショッピングセンターの中へ行く。日曜日ということもあり、人は多いが、懸念していたほどではなさそうで一安心。彼の完璧なエスコートは、ファミリー層の多いここでは悪目立ちだが、そうでなくとも白馬探の隣は目立つので、今更あまり気にしていられない。これから一生彼の隣を歩いていくのだ、私が恥ずかしくない人間になる方が手っ取り早いのだ。
「おや、彼は……」
「お知り合いですか、って、あ」
「あれ、白馬か? 久しぶりだな」
「お久しぶり。大学の頃以来なので、最後にあったのはもう3年以上前でしょうか」
「元気そうだな」
「君もね」
探さんと同い年くらいの、爽やかな男の人。探さんが親しげに話す人があまり多くないので、大学時代の友人と聞いて、少しだけ驚いた。帝都大学の学友ということは、この彼も相当に賢いということになる。怖い。
「こちら、妻の名前。こちらは、探偵の工藤くん、名前くらいは聞いたことがあるだろう?」
「あっ、あの有名な。名前です、いつも主人がお世話になっております」
「いや、こちらこそ。こっちは、幼馴染の蘭」
「初めまして」
工藤さんの後ろからひょっこりと顔を出したのは、可愛らしい女の子で、幼馴染というか、二人の雰囲気は恋人のそれである。
「嘘は見逃せないね、君と蘭くんは恋人同士になって長いと聞くが」
「誰に聞くんだよ、ンな話……」
「探偵の情報源を漁るのはタブーだよ」
「へーへー」
やっぱり。こんにちは、と蘭さんにも挨拶すれば、可愛らしい声で返事が返ってくる。幼馴染というので付き合いは長いのだろうが、なかなかウブなカップルだ。可愛い。私と探さんにも、確かにこんな時期があった。
「結婚式、出られなくて悪かったな」
「いや気にしてないよ。何者も、君の知的好奇心には敵わないということさ」
「だーから、悪かったと思ってるつーの」
嫌味な奴め、と顔をしかめる工藤さんに、私と蘭さんが顔を合わせて笑う。タイプが違うように見えて、実はとっても気が合う二人なのかもしれない。
せっかくだし、一緒にランチでもどうかと話がまとまり、四人でイタリアンに入ろうと並んでいる時だった。すぐ近くのトイレから男の人の野太い叫び声が聞こえてきたのだ。
私と蘭さんが、何だと顔を上げた瞬間には、探さんと工藤さんが走り出していて、あっという間にトイレに消えている。二人と入れ違いで出てきた客が、真っ青な顔で「死体だ、人が死んでる!!」と大きな声を上げる。いやはや、やはり探偵の行くところに事件ありということか。
KEEP OUTのテープが張られた向こう側、顔なじみだという警察の方が来て、工藤さんは何か話をしている。日曜日のショッピングセンターで殺人事件、物騒極まりない。
「……いいんですか、行かなくて」
「ええ、危ないところに貴女を置いていくのは忍びない」
「事件、詳しく知りたいのでは?」
「しかし、」
「名前さんのことなら、私が! しっかりお守りします」
「蘭さん、」
「というわけです、早く事件を解決してきてください」
何物も探偵の好奇心には勝てないはずですから。私がパチリとウィンクを飛ばせば、彼は参ったと両手をあげ、そのまま私の頭をさらりと撫でた。
「すぐ戻ります」
ジャケットの内ポケットから白い手袋を取り出してはめると、KEEP OUTの向こう側に行ってしまう。やれやれ。探偵の奥さんも、寂しい仕事だ。同意を求めてお腹をさすれば、ポコポコ蹴られる。やっぱり、この子もそう思っているんだと笑ってしまった。
「……いいんですか、行かせちゃって」
私の前で紅茶を飲んでいた蘭さんが、少し眉を下げて尋ねる。蘭さんは思った通り、可愛らしく優しい女性だった。先ほどのやりとりで、蘭さんに守ってもらうようなことを言ったが、空手の高段者と聞き、納得した。工藤さんも自慢の彼女だろう。すっかり打ち解けてしまった。
「そりゃあ、寂しいけど」
せっかくの休日で、久しぶりの外出であったわけだし。一緒にゆっくりと見て回りたかったのは嘘ではない。
「でも、蘭さんは分かるんじゃない?」
「え?」
「寂しいけど、事件を前にした探偵には勝てない、って気持ち」
不謹慎に当たるのかもしれないが、事件を前に彼らは少なからず生き生きとしているのは事実だ。この世の謎は全て自分の手で解き明かしたいと思っているような人たちを前に、どんな言い訳が彼らの足枷になるのか。
今の私なら、怖いから離れないで、と言えば確かに探さんは私のそばにいてくれただろうけど、それでは妻としてあまりに不甲斐ないと思ってしまう。
「確かに、事件があるとすぐに飛んでいっちゃうけど、止められないんですよね」
「ね、惚れた弱みってやつよ」
「あーあ、新一のやつ」
「ふふ でも、きっと、彼もたくさん感謝していると思う」
蘭さんは、可愛いし、といえばボボボと顔を赤くした彼女が、ティーカップに手をかけた。ちゃんと戻る場所が決まっているから、彼らはのびのびとできるのだ。そして、それもちゃんと分かっていると、私も知っているから、彼の戻る場所でありたいと思う。
「お疲れ様でした」
戻ってきた探さんに買っておいたレモンティーを渡せば、彼はちょっぴり困ったような顔でそれを受け取った。すいません、と聞こえてきたのはほぼ同時。つい夢中に、と言った探さんと工藤さんが戻ってきたのは事件が起きてから3時間が経った後だった。
「いいえ。無事に解決したようで何よりです」
「そうやってあまり僕は甘やかすのは良くない」
「あら、じゃあ美味しいケーキでも買ってもらいますか」
「……本当に、貴女には敵わないな」
探さんは、私の手を取ると甲にチュとキスを落とし、「埋め合わせは以前話したビストロで如何です?」ケーキも美味しいと評判ですよ、と笑顔で言ってくる。おおよそショッピングセンターでやるような行為ではないが、これが彼の通常運転だ。恐ろしい人。敵わないと白旗を上げたいのは、私の方なのに。
「いいですね」
「では駐車場へ、少し遠いので」
「じゃあ今度は私が着くまで、探さんのカッコイイところをお話ししますね」
事件を前にした好奇心に満ちた瞳、犯人を追い詰める鋭い横顔、解決を確信した時の不敵な笑み。そして、私に向けてくれるたくさんの愛情を。大好きと言えるところは数え切れない。だから酔わないように、ゆっくり車を走らせて。勘弁してくださいと言われたって、やめてあげないんだから。