「それにしても意外ね」
ナミ屋の揶揄うような視線と、ニコ屋の意味ありげな微笑に、ローは盛大なため息を吐いた。この感覚に慣れつつある自分が若干恨めしい。近くまで来ているから会おうと、突然電伝虫をよこしたかと思えば、ゴムが伸びてきて、名前を掻っ攫って行った。ベポと名前の絶叫も、記憶に新しい。
大体、あの男は何もかもが突然なのだ。突然会おうと言ったり、突然攫って行ったり、慌てて船をつければ、もう名前は麦わら屋に連れられ、島に探検に行ったあとだった。彼女も、もう少し危機感を持つべきだ。どうせ無理やり押し切られたのだろうが、にしたって、彼女はあの兄弟に甘い。本人も自覚があるようだし、特に火拳屋の方はそれを分かっていて、彼女に連絡をよこしている。
「そんな心配しなくたって平気よ」
「そうね、船長さんと剣士さんが一緒だもの」
別に島の安全を心配しているのではなかったが、そんなことは目の前の彼女たちも分かっているのだろう。この船の女たちは男たちより数段聡い上に、色恋沙汰にやけに首を突っ込みたがる節がある。名前も、サニー号に来ては女子部屋に連れ込まれ、どうせ要らぬことをあれこれと喋らされているのだろう。今更だが、同盟相手を間違えた。
ローは、何も言うまいとおにぎりを口に詰めた。前方からの視線は居心地悪いが、おにぎりは美味い。やはりコックってのは大事だ。さっさと船に戻っても良かったが、イッカクに、ついでに船の掃除をするから部屋は空けておいてくれと言われている。もう少し、ここにいるしかない。
「死の外科医も、惚れた女の前では形無しって訳」
ゴチソーサマ。ナミ屋が、しっしと手で空気を払う。何も言ってねえだろうが。モグモグとおにぎりを食べ進めてきたが、残りは一口。惜しくはないが、話さなくて良い口実が他にない。
出された茶に口をつけると、ニコ屋が口元に手を当てて笑うので、何だと思いを込めて、ローは女性陣の方に向き直る。
「あなた、さっきから窓の外ばかり見ているわよ」
ローは、態度にこそ表さなかったが、チッと心の中で舌打ちをした。壁にかかった時計を見る。もう、サニーに来て1時間。名前が攫われて、1時間半だ。どこまで行っているのか知らねぇが、この島の探検なんて途方もないことはさっさと切り上げて帰って来い。念じる。いや、しかし、ああ見えて冒険だの宝探しだの、好奇心旺盛な彼女のことだ。麦わら屋とワイワイ楽しんでいそうな気もする。ローは口を噤む。何か言えば、また揶揄われるだけだとわかっていた。
「アンタにそんな顔させるなんて、あの子もなかなかやるわね」
一体どんな顔してるってんだ。黙ったまま睨み合うのも疲れる。そうして、体の良い言い訳でもって窓の方を眺めるが、クスクスと笑い声がする。お茶を飲んで、ローは盛大なため息を吐いた。
「お~~~~い、飯~~~~~」
ローは、組んだ足の上で開いていた医学書を閉じる。ようやく、船長のお帰りらしい。黒足屋が、「手洗ってこい」と大声で言い、バタンと扉を閉める。ご帰還とともに、慌ただしくなる。わかりやすい奴らだ。
「良かったわね」
ナミ屋の視線を振り切り、ローも甲板にでる。でっかい牛のような何かを背負った麦わら屋。大口開けてあくびをしていたのはゾロ屋。名前はどこだと聞こうとしたと同時に、ステップの向こうから「ローさん!」と彼女の声がした。
「こっち来てたんですね」
予想通り、能天気な彼女だ。ああ、と言いながら毒気を抜かれてゆく。女たちの見立て通り、ローは大概彼女に甘い。
「おい、トラ男と名前も昼飯食ってくだろ?」
「いや、俺たちは「何だ、もう用意しちまったが」
「頂いていきましょうか」
ローはまた、ああと言いながら、彼女の後を追うのだった。
昼飯を食べながら、麦わら屋が冒険とやらの内容を熱弁している。食いもんを飛ばしては、黒足屋に怒られているので、つくづくバカだなと思った。慣れた手つきで、麦わら屋の面倒を見ている名前は、そう言えば、10年前に一緒に暮らしていたと言っていた。その頃からこんなだったのか、つくづく腹立たしい。
「……ローさん?」
ローが、ハッとして隣に座る彼女の方を見ると、心配そうに見上げていた。「梅でも入ってました?」とまた見当はずれなことを言っている。こういうところは、あの問題児ばかりの兄弟に似ていると、思わざるを得ない。
「何でもねぇよ」
「そうですか、ならいいんですけど」
「名前の話、聞かせてあげたら? 随分寂しがってたわよ」
ローが睨んでも、そんなことを気にするような、気の小さな女ではなかった。余計なことばかりベラベラと……。名前はキョトンとしていたが、すぐに小さくふふっと笑みをこぼした。そうですね、なんて言いながら、彼女はローの意外と独占欲が強いことなどよく知っている。
麦わら屋が、ガツガツと飯を食うことに集中している傍ら、名前は、今日あったことを楽しそうに話した。何を見た、何があった。麦わら屋が捕まえた牛の話や、コルボ山にいたときみたいでちょっと懐かしかったとか、とりとめもない話。
会話もご飯も終えた後、ようやく解散となり、夜はまた集まって大人数で宴をしようと約束し、一時ポーラータングに戻ることに。黒足屋と食事の打ち合わせをした彼女を、麦わら屋が大きな声で呼び止める。
「名前、お前ちゃんと腹一杯になったか!」
「……なったけど、何で?」
「島にいるとき、ずっと船の方気にしてたからよ、腹!減ってたんだろ?」
ニシシシと、何も知らない麦わら屋が笑っている。名前は、空気をカチンと凍らせて、慌てているもんだから、とんだ絵面である。「お互い様ね」とニコ屋のこれ以上からかわれる前に、さっさと帰るに限る。行くぞ、と声をかけると彼女は少々赤い顔で頷いた。
ポーラータングに戻ってすぐ、彼女が俺の上着の袖を引いた。何だと振り返ると、彼女が「置いてっちゃってスミマセンでした」とよくわからないことを誤っている。別に、麦わら屋に誘われたって、島の探検に行くつもりはない。もともと上陸予定のなかった島だ。しかし、まあ彼女なりに、ローの不機嫌を読み取ったという点は評価できる。知らず知らずに船長の機嫌を損ねるな、損ねたらすぐにどうにかしろと、ペンギンたちからは常々言われている。
「あのこれ、お土産というか、……綺麗な貝殻見つけたので」
彼女が、ぎゅっと握っていた手を開くと、桜色の綺麗な貝殻が二枚、入っていた。あまり見たことのない形だ。貝殻がお土産とは、なかなかにロマンチックなことをするものだと思った。ローが片割れを手に取る。名前が嬉しそうに残った方を手にして、笑っている。見当はずれなことは言うくせに、言いたいことは然程口にしない、彼女の悪いくせ。
「俺とお前はつがいって訳か」
桜色の二枚貝。互いでなければ、ピタリと重ならない。
「そ、そういうつもりでは、!」
「違ぇのか」
「……違くないです」
照れ臭そうに、片割れの貝を握りこむ彼女。その頭を一撫でしてやると、猫みたいに目を細める。つがい、悪くない響きだ。探していたとは言わないが、見つかってしまったらとても、手放す気になんてなれそうもない。
「……もらっておく」
無くしてしまいそうな小さなカケラ。大事なものというのは得てして、壊れやすく失いやすい。だから格別気にかけてやるのだし、それが苦ではないことが、何よりも『大事である』ことの証明になる。
「なくすなよ」
「ローさんこそ!」
ちゃんと握って、離さない。こんな誓いは、口に出すまでもなく。