早く走れ、とジンベエさんが私たちに道を示した。自己紹介をしている時間などなさそうだ。船へ走れと声に押され、ボロボロの足を動かす。その時、迫り来るマグマに気がついたエースくんが、咄嗟に、少し遅れて走っていた私の腕を掴んで引き寄せた。

「”赤犬”だ」

嫌な汗が流れる。もう何度この瞬間を夢に見たか。ひどい悪夢だった。決して醒めることのない現実は、いつも残酷だ。

「大丈夫か?名前
「ありがとう、いや、それよりも早く」

無駄な足掻きと分かっていた。私という異分子がいれば少しは何か変わるのではないかと、最後の望みも、その灼熱地獄に溶かされる。私の夢と寸分違わぬ言葉を並べ、正義の二文字を背負った男は、この海で最も誉れ高い海賊たちの誇りに傷をつけた。

「白ひげは所詮……先の時代の“敗北者”じゃけェ……!」

エースくん、と名前を呼んだ。私の声も、彼には届かない。振り返ったそこに、父はいないのに。

「この時代の名が……白ひげだ」

私の腕を振り払い、エースくんの炎と赤犬のマグマがぶつかった。強さは、素人目に見ても一目瞭然。またも悲しい現実が、私たちの前に立ちはだかる。なにも、なんだって、上手くいってくれない。

「エースく、」

髪を、強く引っ張られる。背中に感じる熱が、この世のものだなんて信じられない。私の結い髪を掴んだまま、赤犬は目障りだと言った。

「そいつを、離せ!」

私に構わず逃げてくれたなら、一番よかったけれど、そんなことをしない彼らであることは、百も承知の上。腰に手を伸ばし、忍ばせていたナイフを取り出す。

「よう見ちょれ」

掴まれていた髪をバッサリと切り落とし、ルフィくんに真っ直ぐ進んでゆくその進路に、身を滑り込ませる。ポケットから出すのは間に合いそうだ。これで最後。風ダイヤルを作動させて、ルフィくんを遠くに飛ばせば、

名前!」

どん、と私を絶望に突き落とす音がした。

「……エースくん……」

彼の体に開いた穴。嘘だと呟いた時には何もかも遅い。がっくりと膝をついた彼の横を、ジンベエさんが突っ込んでゆく。これ以上は。苦しげに、それはうめき声にも似た、「もとより命などくれてやるハラじゃい!!!」ああ、そうか。私は、エースくんの体を支えながら、目の前に光を見る。彼の背中に手を回す。まだ温い。刻まれた父のマークは貫かれた。私の左手、歪んだ蛇が、見える。

「……エース、名前……」

結局、迷惑しかかけない私でごめんね。邪魔しない、って言ったのに。でも、ちゃんと助けるよ。だからまだ、どうか倒れないで、ルフィくん。

「……名前、ぶじ、かよ」
「うん、きみがちゃんと守ってくれたから」
「……お前、何しにきたんだよ、……おれが、会いに行くって、言ったのに……」
「エースくんを守りに来たのに、結局守られてばっかりだった」
「守りに、……?」
「うん、もう少しだけ我慢してね」

大きな穴に、左手を翳す。彼はまだ生きてる。ちゃんと、うまくやれる。眩い光が辺りを包んだ。きみを死なせない、って、そのために私はここまで生きてきたんだ。こんな結果を、きみが望まなかったとしても。きみにまた、小さな痛みを与えることになったとしても。

「生きて、エースくん」

自分の体を燃え尽くす熱を感じると同時に、握りしめていたダイヤルを作動させる。ふわりと浮かぶ二つの体。きみがくれた風だ、きみがくれた道だ。みんなが、きみを愛している。願わくば、もう一つ、右手に握りしめた想いが届きますように、と。

「おい、アンタ……」

しっかりと抱きとめられた。ぼやけてゆく視界に映る鮮やかな青は美しい。腕の中で、彼の熱がなくなってゆかないことを、最期まで、感じていた。

「……ここに、」

人の争う音がする波の揺れる音がする誰かの涙が落ちる音がする。右も左もそこにはない。天と地はかろうじて存在した。天地無用。だから、それ意味、違うって。死ぬ前の人間が、冷静っていうのだけは、本当だ、やっぱり。

「……名前!」
私の名前を呼んだのは、誰だったのだろう。