『……君は優しいな、本当に、彼女にそっくりだ』

目が覚めた。サイドテーブルの上のマグカップ、陽の光、無造作に置かれた鞄。ボサボサになった髪を手ぐしで結いながら、部屋を出る。がらんとした家の中。今日も、レイリーさんはここには来なかったようだ。

「……ぜんぶ嘘だったりして、」

あの人に出会ったところから、数日前に聞かされた昔ばなしに至るまで、何もかも嘘だったとして、驚きはしない。寧ろそっちの方が納得できる。だって、あまりに、現実味のない話だ。

「自分の胸に聞け」
「……急に出てこないでください」

ひょっこりと現れた神さまが、私の心を見透かして、しかし導いてはくれないらしい。

「そんなこと言って、何もかも知っているんでしょう」

神さまなんだから。例えどれだけ頼りないとしても。

「お主の人生を決めるのはわしじゃあない」

甘ったれるな。そう言い残し、神さまはまたふらり消えてゆく。甘えたことなどあるものか。私の人生を決めるのは私。そんなことは百も承知の上で、悩んでいるのだ。もしも、私が実はとんでもない人の孫だとして?もしも、これまでのことがぜんぶ私の夢だったとして?エマさんが漏らした、『また猫が帰ってこないの』ってあの言葉が、レイリーさんのことではなく、本当に、猫のことを言っていたとして?──そんなこと、なんでもないことなのだろう。悩んだって仕方のない、それこそ神さまだって知らないこと。

大きく息を吐いた。顔を洗って、マグカップを洗って、ついでに部屋も掃除する。ソファの上に溜まった新聞。とうとうその日が目の前に迫っていたことを改めて知る。

【火拳のエース、処刑へ】

更にその下の新聞には、大きくモンキー・D・ルフィ、トラファルガー・ローと、ユースタス・キッドの三船長がシャボンディ諸島のヒューマンショップで暴れたニュースが掲載されていた。ルフィくんも、船長さんもみんな元気そうで安心した。前より格好よくなっているように感じる。すっかり大人の男だ。ますますモテモテになってるんだろうな、ちょっと寂しい。

思えば、漸くここまで来た。難しい話は必要ない、彼を、エースくんを助けるために、今日まで歩いてきたのだ。



「おかえりなさい」
「……おや、待っていてくれたような口ぶりだ」

その通り、あなたを待っていた。ここ数日、姿を消していたレイリーさん。ルフィくんと奴隷小屋でのやり取りを思い出したら、すべて説明がつく。

「あまり、時間がなさそうだ、話を聞こうか」
「……白ひげ海賊団の居場所をご存知ではありませんか」

表情は読めない。これは賭けだった。自信もあった。沈黙が続く。

「私も、行かなきゃいけないんです」

私の真意を見定めるような視線。また数秒、数分の沈黙が流れ、レイリーさんは少しだけ悲しそうに笑った。

「18番。もうすぐここを離れるはずだ、早く行きなさい」
「……ありがとうございます……!」

隣にあった荷物をひっ掴んで、エマさんに会ったら宜しく伝えてほしいと頼んだ。手紙は残したが、レイリーさんから伝わった方が安心だろう。

「最後に夕食は作って、冷蔵庫の中にありますお腹空いてたら食べてください」
「……ああ」
「本当に、ありがとうございます」
「いや、……その代わり、と言っちゃなんだが、一つ約束してはくれないだろうか」
「なんでしょう」

「今度会った時には、お嬢さんの、昔ばなしを私に聞かせてくれ」

彼の言葉に、ハッキリと頷く。「必ず」頭を下げて、駆け出した。悲しくはないのに、胸が千切れそうなくらい痛い。泣いてしまわないように、ただ走る。息が切れて、肺が痛んで、やっぱり心が泣いている。