▽Enel
これは神から与えられた力だと思った。
だから、それと引き換えに泳げなくなるくらい、私の人生において不都合など一切なく、自分が完全無欠の存在であると信じて疑わなかった。だが、今、彼女が海の中へ進んでいき、あの白く細い手をこちらに伸ばしたとき。この海をかき分け、あの手を取りたい、と心の底で誰かが囁いた。
海辺を歩く、彼女は靴を片手に持ち、波打ち際を楽しげに進んだ。私はその隣を少し間を開けてゆく。海に、その心に、触れたらどうなるか最早分からない。
「お前は私が怖くないのか」
「私に雷落とすんですか」
「……いや、」
「なら怖くないですよ」
神様、優しいから。──彼女が笑う。バカバカしい。私を優しいなど、と。実の母でさえ、そのような戯言は口にしなかった。優しさ、温もり。持っていないのではなく、与えられなかった。人間をやめたのではなく、人間になれなかった。神になるのは、人として生きることよりずっと容易い。
「私の力を知っているんだろう」
「……ええ、さっき誰かが話してて」
「悪魔の実の能力者にあったことは」
「知り合いに数名、います」
「私の名も、知っているのか」
「神様と呼ぶな」
「いいんですか」
「お前にだけは、呼ばれたくない」
彼女は「エネルさん」と名前を紡ぐ。例えようもない感情を持て余し、私は隠した手を強く握った。
「お前は私を恐れない」
「……はい」
「恐れのない神など不必要だ」
だから呼んでくれるな。上手く言えない。ただ、この女にだけは名前を告げたい。
日が沈み、赤く染った海を眺めながら、彼女は私の能力について問うた。いつそれを食べたのか、と。子供の頃。12になる歳だった。私は幼少より優れた子どもであったし、それに加えて得た能力はあまりに強大で、人が恐れを成すには十分過ぎた。
「町の民も、父も母も、皆私を恐れ、神と崇めた」
あの日から、私はずっと神。ひとり、永久のときを生きてきたような気持ちがした。私はもう、人には戻れない。
「淋しいですか」
「馬鹿な」
「貴方は神様じゃない」
「ちゃんと生きてます。エネルさんの心臓は、ちゃんと動いてる」
その時間は、永遠のふりをして、瞬く間に過ぎ去った。