潮の流れによってグラグラと揺れる船体や、甲板から聞こえてくる楽しそうなみなさんの声、それと時折姿を見せてくれるベポさんの不安定な鼻歌にもようやく慣れた頃、私がこの船に乗って1ヶ月が経とうとしていた。島に上陸することはあっても、非戦闘員で非力な私は基本的に自由な上陸を許可されていない。何かあっても1人で対処できる自信は全くないので、致し方のないことだとは思う。
船が港に到着するとまず最初にログの貯まる時間を確認して、それから船の出発日時が船長さんによって決定される。それまで私以外の船員は基本的に自由だそうだ。私は、船番の船員さんとおしゃべりを楽しみ、町の様子を観察して、誰かの手が空けば一緒に町に次の出航に向けて買い出しに行く。どう考えても、私1人で十数名用・数週間分の食材を買って持って帰ってくるのは無理。(ね、神様。あ、また知らんぷりですか)
海賊船のキッチンというのは響き以上に重労働で大変なものだ、というのは船が港に出て1日目に悟った。だってみんな食べる量が常人じゃない。私は涙目で料理の追加を作ることになったりもした。それでも、みんなは『美味い』と口々に言ってくれる良い人ばかりなのでそこまでの不満はない。この前初めて迎えた給料日では船長さんから手取りでびっくりする給金をもらった。ちょっと多すぎる。この人は若くして大きな力を手に入れてしまったから社会常識と金銭感覚が少々弱いんだなと思って、年上らしくビシッと言ってやろうと思った。けど目にも留まらぬ速さで論破されて結局そのベリーがどっしり詰まった袋はまるまる私の鍵付きトランクに仕舞われることとなる。別に情けないだなんて微塵も思ってはない。こういうものだ。人には得手不得手があるからね。私の口は私が思うほど、うまく回らない。
「名前、お弁当って知ってる?」
ベポさんがこてんと首をかしげる。私も倣って首を傾げてみたが、その可愛さには天と地ほどの差がある。(言うまでもなし)
「ありますが、お弁当がどうかしました?」
随分久しぶりに聞いた。と言うより、この世界に生まれてからは初めてかもしれない。前世ではマックスJKだった私なので、もちろん高校にはお弁当持参である。
「作れる?」
「いいですよ」
「やったー」
ムフフとベポさんが笑う。私も似た感じの笑い方になったが、その可愛(以下略)いつ要りますか?と尋ねると、明日!と元気よく言われた。ううん、明日かあ。もうあんまり食材が残ってないのでバラエティ豊かな弁当は難しいかもしれないぞ。
「……わかりました、お任せください!」
聞けば、明日にも船は新しい島へ辿り着くらしい。今度は春島か秋島、なんにせよ気候の穏やかなところだと良い。何でも火山が有名なところらしく、ペンギンさんとシャチさんと一緒に火口を覗きに行くらしい。ちょっとしたピクニック気分で火山を覗きに行くなんて恐ろしい人たちだ。どこの指輪物語だ全く。そしてシロクマがわざわざ暑いところに行くなんて……と思ったことは秘密である。『しろくまですいません』と意外と打たれ弱いベポさんを悲しませてしまうこと必至なのでもう絶対に言えない。
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翌日、早朝に島に着いたハートの海賊団。朝ごはんの時に私からお弁当を受け取った3人はとてもニコニコしながら火山へ向けて歩き出した。今度はもっと気合の入った弁当を作りたい。昼も過ぎると、船内はガランとして、いつもガヤガヤと騒がしいのが嘘のように静かになる。今日の船番は誰だったろう。そろそろ遅めの昼ごはんでも作ろうかと私は厨房に立つ。お鍋お鍋、ああ、……あんなところに。
ここのキッチンはそこそこ広くて、化け物の巣のようだった流しも日々の掃除でかなり改善され、今じゃすっかり使いやすくなった訳だが。如何せん棚が高いのが唯一の難点だ。そもそもワンピース世界の人はみんな大き過ぎる。船長さんに至ってはパリコレもびっくりの等身である。
そんな人たち用に作られたキッチンの高さが私に合うはずもない。うんと背伸びしたって、指の先で鍋がくるくると回るだけだ。ううと唸りながら手を伸ばす。ルフィくんみたいに手がビヨーンと伸びたら便利だな。無理だけど。(くっそぉ)ダメかダメなのか、諦めるのか。あと少し、と伸ばした腕の脇からひょいと長い腕が伸びてきて、あっけないほどアッサリと鍋を取った。
「これか」
驚いて目をやると、船長さんだ。全然気付かなかったぁ。
「はい、ありがとうございます」
助かりましたと礼を言えば、さして気にする風もなく船長さんは厨房を出た。あれ食堂に来たということは何か用事があったのでは。目をパチクリさせる私を小さく笑うだけで、彼は特に何も言わなかった。
「まだ残っていたんですね」
「調べものが今済んだところだ、これから出る」
「お昼は食べていかれますか?」
「いや、」
そうですか。食事はきちんと摂ってくださいね──ただでさえ、目元のクマやばい。昨日も夕飯の後すぐに部屋に戻ってしまったからきっとあんまり寝てないはずだ。
「夜は船で食う」
船長さんは二、三あってそう口にした。じんわりと暖かい気持ちになる。
「じゃあ用意して待っています」
ああと言って船長さんは食堂を出て行った。すぐに夕飯は人も少ないし何を作ろうかと悩んだところで、まだ済んでいない昼食の存在を思い出す。いけないいけない。手早くできるもの、野菜が余っているし焼きそばでいいね。ひとつ頷いて、調理に取りかかる。