それから毎晩ドフラミンゴは私と夕食を共にした。長いテーブルを挟んで座り、彼はゆっくり食事を口に運びながら、私に話を促す。最初はガチガチになっていたものの、ヒトというのは慣れる生き物であるから、例に漏れず私も慣れて彼と美味しい食事を楽しむことができるようになった。でも、明日。船は北の海へ辿り着くらしい。

その晩、夜中に喉が渇いて目を覚ました私はキッチンまで行って水を飲み、寝ぼていた頭のせいで帰り道を間違えた。多分あそこを曲がり損ねたんだろうなあという場所はある。でも今は、そこへ戻る方法も分からない。来た道を戻ったつもりなのに全く見たことのない場所に着く。(ど、どこ)誰かいないかと辺りを見ても、この時間では声すらしない。廊下で寝ても悪くないくらいふかふかの絨毯が敷いてあるけれど、女としてそれは避けるべきだ。とにかく部屋に帰らなくては。

ぐるぐる、疲れた足を動かし続けると半開きのドアがあった。中をこっそり覗けば、バスローブ姿のドフラミンゴさんが立っている。何とも話しかけづらいオーラを放っているものの、背に腹はかえられぬ。「…あ、あの、!」私の小さな声に気付いた彼は静かに振り返り、私の姿を見つけて首を傾げた。何してるんだ、って私が聞きたいの。部屋への帰り方が分からなくなって、と正直に言えば鼻で笑われた。悲しい。「来い」ドアを開けて入って来いと彼は言う。それを躊躇う私の心中を見透かすように、彼は部屋への帰り方を教えてやると人参をぶら下げた。恐ろしくても嫌でも面倒でも、彼の掌で踊らなくてはいけないらしい。

一歩、踏み入れる。
すると案外恐怖や気恥しさは感じなかった。窓際に立つ彼の近くへ寄れば、ドフラミンゴさんはまたあの妖しげな笑みを浮かべている。バスローブにどデカいワイングラス。どこの富豪だとツッコミたい出で立ちだけれど、とんでもない大金持ちだったことを思い出した。イメージ通り過ぎてスゴい。

「明日サンゴルドーという島に着く」
「はい、お世話になりました」
「もう少し乗ってても構わねぇよ」
「お気持ちだけで」(勘弁)

私が言うと、彼は興味無さそうに夜の真っ暗な海を見た。ちらりと部屋の中に目を向ければ大きな本棚と大きなベッド。あとは何も無い殺風景な部屋だった。本棚にはぎっしり本が入っていて、地球儀のように地図の書かれた球体と伏せられた写真立てがある。伏せられる、と気になるのが人の性。

あまりにじっとそれを見ていたので彼は気付いたのだろう。窓から離れて本棚のそばへ行き、伏せられた写真立てを私に見せた。中にはドフラミンゴファミリーの写真、中心にいるのはまだ若いドフラミンゴと特徴的なメイクの男──ロシナンテだ。ハッと静かに息を呑む。何も知らないはずの私がこんな反応をするのは不自然だと、そこまで頭が回らなかった。記憶の引き出しを開けてかき回す。ドフラミンゴとロシナンテ。実の兄弟でありながら、その写真に映るその人はもう生きていない。ドフラミンゴが殺した。それでもなお、この写真がここにある理由は何だろうか。

「お嬢ちゃん、兄弟は?」
「いません」

そうか、とドフラミンゴさんはまた静かにその写真を倒した。その横顔は悲しげで、でも晴れ晴れともしていた。この人は孤独で愚かな人だ。でも、今となっては嫌いになれない。(嫌だなあ。直ぐに情が沸くなんて)

「弟がいた、俺が殺した」

ポツリと沈黙の部屋に溶けていくその声は、懺悔のようにも聞こえた。私が自分の心臓がドキドキと大きな音を立てているのを聴きながら、必死に息を殺している。

「…下らねぇな」

その背中は悲しい。彼の手の中で赤黒い液体が揺れている。その時咄嗟に浮かんだのは、大好きな笑顔だった。

「私がいちばん最初に行った島で出会った兄弟は、親がいなくて、でも小さいけど逞しくて、血は繋がっていなくても仲良しで、互いのことをいちばんに考えていて、私はそれを本当に羨ましいと思ったし、……家族っていうのはこういう形もあるんだろうなって思ったんです。ふたりとも私にすごくよくしてくれて、今はこうして離れてるけど、ふたりのためならどんなことをしても力になりたい、と今でもそう思います」

家族は血の繋がりが全てじゃない。本物の家族より強い絆もあれば、血の繋がりより脆い絆だってあるのだ。彼の茶番のような家族ごっこも、きっと、下らないことではないのだろう。私に、難しいことは何一つ分からないけど。

「よくわからないですけど、下らないことではないんじゃないでしょうか」

なにか意味はある。ドフラミンゴに本物の家族愛がなくとも、これがトラファルガーローに復讐の芽を受け付けることになっても、意味の無いことなど何も無い。

「…すみません偉そうに」
「いいや」」

ドフラミンゴはもう一度海を見て、そうだといいがと呟いた。