結局のところ、この島にわざわざ来たローさんの目的ってなんなのだろう。
聞きたいなと思ったけど、着くまで教えないと散々言われていた手前、自分が言い出してくれるんじゃないかと思っていたら、いつの間にか街の中心部から少し離れた場所まで来てしまっていた。
丘からは海が見下ろせる。
ここから少し降りた場所が、私の家だった。今はもうないと聞いた。
冬の風は冷たく、冬の海は凶暴だ。何よりも身近にある海は、何よりも海を愛する私たちにもまだ心を開いてはくれない。
「家はどのへんだった」
「家は、この先の……あの、宿と酒場が何個かある辺りです」
「お前の家は」
「もうありません。酒場も他の人のものになっているはずです」
どうして固く手を結ぶのか。どうして何もない場所へそんな視線を注ぐのか。
分からない時のローさんは遠い。隣にいても、届かないような気持ちになる。だから彼を見失うことがないように、しがみつくようにして手を握っているのだと、きっと、彼は知らない。
「見てみたかった、名前の生まれた場所を」
「どうして、」
「ここに来れば、知らなかった頃の名前も見える」
……と思った。
少しだけ恥ずかしそうに、彼がそう付け足す。初めて見る顔だった。嬉しそうでも照れているわけでもなく、悲しそうでも悔しそうでもない。浮かんだ微笑に込められた思いを必死に探す。
私たちは互いのたくさんのことを知っているけど、まだほんの僅かに、知らないことの方が多いのだ。
「ここで生きてたんだな」
この世界に生まれたことを後悔したことがある。前世の記憶があったばかりに苦しんだことがある。救いたい、救えないと、できないことばかりで泣いたことがある。
でも、それも全て、今に繋がっている。
幸せな今に。
「はい。ここで生きて、ここを出て、……あなたに出会えた」
旅の終着点にいてくれた人。
これからの長い旅路を共にする人。
愛している。いつまでも。どんな時も、どんな場所でも。
「嬉しいです」
何が、と言うまでもなく、2つの唇が重なる。乾いたキスだった。でも忘れられそうになかった。
「——もう、ここへは帰してやれない」
ローさんが言う。存外強い口ぶりで。
私は彼の顔を見上げながら、恋人の優しさについて考えた。何を言っても、結局は私の意志を尊重してくれる人だ。私に関する何かを決める時、彼はいつも迷っていた。躊躇いもあった。その中に、自分の願いを忍ばせて、私に気づけと投げかけていた。
「お前の死に場所は、ここじゃない」
「いいですよ。元々、戻る気もありませんでしたし」
「悔いは、ないか」
彼が言えない言葉を拾う。一つ一つ、見落とさないように丁寧に。
揺れる目を近くで見たくて頬に手伸ばせば当然のように手は重なった。唇以上に乾いた頬を指でなぞる。ローさんのかたちになるもの全部が、愛おしくて堪らない。
「あなたと生きていくことに、何の後悔がありますか」
自分で決めて、自分で進んだ道だ。
これからも同じように生きていく。彼の隣も、海賊という肩書きも、ぜんぶ自分で選んで掴んだ。離す気など初めからあるもんか。
「ローさんの隣にずっといるって何度でも言います」
「ああ」
「だからどうせなら、死ぬ話じゃなくて、生きていく話をしませんか」
ふたりで。ハートの海賊団の皆さんと。
これからもまだ見ぬ海を渡って生きていく話を、どうか。
「……ああ、それもそうだな」
自分の心に従って、強く優しく生きていこう。彼が進む場所へ共に行く。
私だけの神さまは、もういないから。
おわり 2023/4/24
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・鬼束ちひろ「We can go」