喉元に鋭い刀を突きつけられているような、そんな漠然とした威圧感がその空間にはあった。私がゴクリと息を飲む。それだけで喉を裂かれてしまいそうな恐ろしさを、肌で感じている。
目の前で愉しそうな笑みを浮かべる大きな男は、立派な椅子に深く座り、私を見下ろしている。彼——ドンキホーテ=ドフラミンゴ——とは何度か会ったことがあった。一度目は10年近く前にここではない海の上で。二度目は先の頂上戦争が行われたマリンフォードで、だ。
「私を攫ってきた理由は?」
「フッフッ そういきなり本題に入るんじゃねェよ。話が終わっちまう」
「私には話すことなんかありませんよ」
「たくさんあるだろう? ローの話も。昔聞いた、兄弟の話も」
じっとサングラスの奥に隠された彼の瞳を見詰め返す。私が彼を前に怯えてしまっていることなんて、彼には全てお見通しだろう。人身掌握など、最も得意とする人間だ。あえて取り繕う必要もない。私みたいな、なんでもないただの人間がイトイトの実の能力者を前にして怖くないなんて、そっちの方が不思議な話。怖くて当たり前。ただ逃げられはしない。それだけのこと。
昔、彼と話したことを必死に思い出す。10年近く前のたった一夜。それをいつまでも覚えているこの人の方がおかしいんだ。頭を必死に巡らせながら、不用意にも彼にあれこれとこの世界の話をした自分のことを恨む。余計なこと、言っただろうな。
それでも、彼から決して目を逸らさなかった。あの頃は、こんな未来などまるで見えなかった。当時は、ドフラミンゴと出会っただけでも驚いていたのに。それがまさか、ローと出会い、エースを救い、ハートの海賊団の船員になるなんて、予想できるはずもない。
「……記憶力がいいんですね」
「お嬢ちゃんが言っていた兄弟ってのは、火拳と麦わらのことだろう」
「覚えてませんよ、そんな昔のこと」
「俺はあいつらにやられちまうんだっけか」
頑なに、笑みを崩さない。そこにあるのは、決して愉快な感情ではないだろうに。
「だから知りませんって。……そう、願ってはいますけど」
「フッフッ 手厳しいな」
私は、彼には見えないようにテーブルの下でぎゅっと握った拳に力を込める。そうでもしないと、体が恐怖で震えていることがバレてしまうから。怖かった、恐ろしかった。でもこの人が、ローさんの心に大きな傷つけたのだと思うと、堪えようのない怒りも湧いてきてどうしようもない。無力って罪だ。特に、”この”世界では。
「お嬢ちゃんを攫ってきた理由か、」
「まさか、好奇心とは言わないでしょう」
もう、会うのも三度目だ。少しずつ、私とドフラミンゴは互いをわかり始めている。全くもって不本意なことではあるが。
「……強いて言うなら、嫉妬。執着みてぇなものさ」
彼は立ち上がり、私のイスの横に立った。彼は見上げるほど大きく、とてもじゃないが反抗しようという気にはならない。少しでも動けば、彼の凶暴な糸が私の首や腕を跳ね飛ばしてしまう。私は誰かさんたちみたいにそれから自分を守る術を持たない。私にあるのは、神様からもらった変な能力と、異常に傷の治りの早い変な体と、誰かを守るための変な勇気だけなのだ。
「あなたが執着するのは、私がローさんと一緒にいるからですか? ……それとも、家族に興味があるから?」
ドフラミンゴの視線が鋭くなる。私はそれでも彼から目を逸らさなかった。
初めて彼と出会った時、私は一人きりだった。他の誰にも見えない私だけの神さまと一緒に、私の太陽を救おうとしていた。そして、それを成した今。神さまはいなくなってしまったけど、私は一人きりではない。仲間がいる。大切にしたい人がいる。愛している人がいる。それだけで強くなれるのだと、私は知っている。
そしてそれは、生涯孤独なこの男が唯一、知り得ないことだ。
「時間だ。俺は行くぜ」
「――」
「続きは、帰ってきてからだ」
彼が部屋を去る。私は一人残され、深く息を吐いた。