「よく来たなァ、お嬢ちゃん」
フツフツと込み上げるような笑い方を、私は古い記憶の中で知っていた。一度、いや二度。この広い海で、彼とはもう二度も巡り合っている。一度目は名もなき北の海のどこかで、二度目はあの頂上戦争の現場だ。彼は七武海として招集されていた。これだけ広い海の中で、こう何度も顔を合わせるということは、私と彼も何かの縁で繋がっていると考えるのが自然だ。
「ほとんど攫ってきたんじゃないですか」
「まあ、そう連れないことは言うもんじゃねぇ」
――時間はまだある。
彼がそう呟いて、部屋の壁に飾られた高そうな時計を指した。時間は、まだ昼の12時を回ったところ。そりゃあそうだ、ちょうどお昼でも話していたところでこんな場所へ連れて来られたのだから。
あれはまさに天災だった。
ナミさんと談笑し、穏やかな時間を過ごしていた頃。サニー号に向かって流れてくる分厚い雲を見た。その下を飛ぶ大きな鳥のような影。自然の摂理ではあり得ない動きをしている。よくよく見れば、それは鳥ではなく、空を走るように糸を辿って飛ぶ巨躯だった。
誰かがそれを見て、彼に『天夜叉』と名前をつけたと言う。まさにその通りだ。そんな、他人事のようなことを考えた。
「嘘でしょ!? ドフラミンゴがなんでここまで……」
「ヨホホホ これは笑い事ではありませんね」
ここにシーザーはいない。それは彼にも分かっていたはずだ。それなのに、ここへ来た理由は? 私たちが慌てている間にも、嵐は近づいてくる。ナミさんが、私に向かって下がっているように声を飛ばす。
しかし、思い上がりでなければ、彼の目的は――
「邪魔するぞ」
「……シーザーの引き渡しはここじゃないハズだけど?」
「ここへ来た目的はシーザーじゃねェさ」
サングラスの奥、彼の鋭い眼差しが私を射抜く。どきりと心臓が跳ねる。やっぱりそうだ。
パンクハザードに行く前、私の周りで起きた不思議な出来事はみんな彼が仕向けたことだったのだ。私と彼が面識があることは誰も知らない。だから気づくはずもない。私だって、まさか彼に狙われているなんて思いもしなかった。
「名前 ――?」
「言っただろう、お嬢ちゃんとはまた会そうだと」
「これは一体どういうことでしょう、」
「名前 、どういうこと?!」
みんなが慌てている、無理もない。私だって同じだ。二度あることは三度あるという。私がローさんといる限り、ドフラミンゴと出会うことは分かっていた。だからって、ドフラミンゴの方から私に接触を図ってくるなんて思わない。なんだってこうも執着されているのか。たった一度、あの夜に私たちは顔を突き合わせて話をした。それだけだ。
「……昔、会ったことがあるだけです」
「ひでぇ言い草だ、一緒に夜も明かした仲だろう」
「誤解されるような発言はやめてください!」
彼との間には何もなかった。それは本当だ。当時の私はまだ10代半ばの子供だった。ただ旅の途中で彼の船に乗る機会があっただけ。それだけでも十分に大変なことではあるのだけど。
「まあ、いい。お嬢ちゃん、久しぶりに話をしよう」
「断ると言ったら?」
「だめよ、行かせないわ」
ナミさんが私を庇うように立った。その背中は小さく震えている。怖いはずだ。自分より彼の方が強いことは明白なのだから。
「ヨホホホ そういうことです、お引き取り願いましょうか」
「――お嬢ちゃんは、賢いから分かるだろう?」
彼が手を構える。ブルックさんも同時に刀に手をかけた。
イトイトの実。彼は糸を自在に操ることのできる能力者。しかも確か、ドフラミンゴは覚醒済み。「ワンピース」内でもその強さはトップクラスだ。ルフィくんがきっと倒すことになる。しかも、私がよく知らないということはかなり物語の後半だ。強いに決まってる。
「――わかりました」
「名前 !」
「大丈夫ですよ、ナミさん」
「何が大丈夫なのよ!」
「今はこの船を守ることが大切なはずです」
私たちの使命は、この船を守ることだった。いつサニー号が必要になるかも分からない。取引はまだまだ先だ。その前に、彼にこの船と、この大切な人たちをめちゃくちゃにされるわけにはいかない。
とっさに、「待っていろ」と言った恋人の顔が浮かぶ。ちゃんと待ってるって言ったのに。約束、守れそうにない。彼らと同盟を組み、この船に乗っている以上、私にはナミさんたちを必要以上の危険に晒さないよう努力する義務がある。
「話が終わったら戻ります」
あの時、私はドフラミンゴの手を取らざるを得なかったのだ。