マグカップを二つ持ち、湯気の消えてしまわないうちに、と歩き回ってようやく見つけた彼は、モネさんと話をしている最中だった。

 入ってはいけないかもしれない、と足を止める。また入れ直して出直すか、と足を反対に向けた時、「あら」と可愛らしい声が聞こえてしまった。

「ロー、お迎えよ」

私に背を向けていたローさんがこちらに目をやり、どうした、と一言。コーヒーでもどうか、と持っていたカップを見せれば、湯気が昇ってコーヒーの良い匂いがする。まあ、私はココアだけど。

「先に部屋に戻ってろ、すぐ行く」

私の横をすり抜け、ローさんが出て行き、モネさんと二人残された。互いに心臓を預けあい、手は出さない決まりになっているとは聞いているが、……にしたって、ちょっと怖いし。私もこのままお暇しようと、足を引っ込めれば、「ねえ」と見計らったように呼び止められる。目があった時の、悪戯な笑み。確信犯だと分かっていて、その罠にかかりにゆく恐怖たるや。

 必要以上に関わるな、と釘を刺されているとは言え、ここで逃げ出して後で何かあっても面倒だ。ローさんのすぐ行くは、きっと『すぐ』ではないのだろうし、少し話をするかと腹を括った。

「……コーヒー飲みますか?」
「あら、それはローのものじゃなくて?」
「そのつもりだったんですけど、きっとすぐは来ないと思うので、また入れ直します」
「そう。じゃあお言葉に甘えて」

大きな翼を器用に動かし、彼女が私の手からカップを受け取る。それはまるで、生まれた時から彼女の体の一部であったように、不自然さがなく、ひどく美しい。カップに口をつけながら、なぁにと私に寄越す視線に、顔にかかる緑色の髪の細部まで。高名な芸術家の作品かと見紛うほどに。

「ずいぶん、この翼に興味があるのね」
「あっ、スミマセン、つい……とても綺麗で、」
「なぜ謝るの?」
「いや、その、不躾な視線を向けてしまったので、」
「ふぅん――」

そういうものなの、とポツリ呟いた彼女の過去を思い出そうと頭をひねる。しかし、出てくるのはトラファルガーロー が雪山の中で、ルフィと共闘するシーンだけで、敵に関する具体的な情報はさっぱりだ。ドフラミンゴ につながる敵、というのは間違いではないと思うが。

「……意外ね」
「何がですか」
「あなたがローの恋人だなんて」
「……まあローさんはカッコいいし、モテますけど」
「あの男がこんなところに連れてくるんだもの、よっぽどあなたが大切なんでしょう」

彼女の見えざる手が、忍びやかに伸ばされているような嫌な感覚だ。心臓を掴まれて引っ張り出されてしまいそうな。とても居心地が悪い。

「私が弱っちいからですよ」

彼女の翼が、私の腕をするりと撫でる。
腕、肩、首、頬。ふわふわとして擽ったい。
大切にされている、ということを否定する気はないが、ここでそれを真正面から認めるのは最良ではない気がして、私はぐっと言葉を押し留めた。それに、残念ながら、弱いのは別に嘘じゃない。

「じゃあ、どうしてあなたは危険を冒して、彼のそばにいるのかしら」
「……そんなに、私のこと気になります?」
「ええ、とってもね」

逃げるのは悪手かと思ったが、彼女と対峙するのは早計だった気がしてきた。此れと言ってやましいこともないが、余計なことを言ってローさんに迷惑はかけられない。

「私は、翼を貰ったけれど、あなたは彼から何を貰ったの?」

至極楽しそうな彼女の前で、私はその問いの意味を考える。彼、ローさんからもらったもの。私に、大空を飛べる翼はない。両手で数えられるほどの愛の言葉と、クルーみんなで重ねてきた思い出と。誰かにこれだと見せられるものなどない。

「冗談よ、少し揶揄っただけ。妬かないで」
「別に妬いてはませんよ」
「そう? それにしては、ずいぶんと寂しそうな顔をしていたけれど」
「うーん、分かってはいるんですけどね」

ローさんの目的。今まで何のために生きてきたのか。何故こんな寒いだけの恐ろしい島にやってきたのか。なぜ自分の心臓を差し出したのか。なぜ彼女に翼を与えたのか。これでも少しは分かってはいるつもり。あくまで、つもり、だけども。

「でも、寂しさってうまく割り切れないものじゃないですか」
「さあ、そうなの」
「それは、私だけじゃないと思います」

ローさんも、きっと割り切れない憎しみと悲しみと寂しさを抱えている。怖い顔の裏に全部隠して、知らんぷりが上手なだけで。

「見かけによらず強かね」
「どうでしょう、モネさんには負けますよ」

彼が私に与えてくれたもの、一つ二つと数えられるものじゃない。強いていうなら、この言葉に表せない心が全て。これが、私の全てだ。