縁側に腰を下ろして息を吐き出すと、温かい茶と皿に乗ったみたらし団子が出てきた。今日いくら探しても見つからなかった茶葉と茶菓子である。尾形は相手に気づかれないようにそっと自嘲した。自省して今後のために場所を聞こうとは、まだ思えない。

「今日は大変お騒がせしました」
「いや。……まあ、驚いたが」
「すみません、奔放な母で」

 尾形は短く、いい、と返事をした。怒っているわけではない。でも困ったのは本当だ。突然彼女の母親が遠路はるばる茨城まで訪ねてくるなど、想像していたはずがない。ましてや事前連絡なしで。
 結局、夏の雷のようにして現れた彼女の母は、名前が戻ると東京の土産の品を渡し、簡単に近況の確認をするとさっさと帰路に着いた。その日最後の電車で東京へ戻るという。本音半分・社交辞令半分、泊まっていけばと提案したが、彼女は歳に似合わぬ快活な笑みで「二人の邪魔はできません」と言って帰った。最後まで正しく夏の雷だった。

「おかあさんは、無事に着いたか」
「ええ。さっき父から謝罪と一緒に報告が来ました」
「そりゃ良かったな」
「すみません」

 母親の帰宅から名前の謝罪を聞いた回数はゆうに10回を超えている。謝ることでもないが、彼女がそうしたいならと好きにさせていた。尾形は怒っていない。ただ困っただけである。
 あのくらいの年齢の女性と話す機会がそもそもないし、何より尾形は家族というものに疎かった。過去に交際経験がないとは言わないが、いずれも相手の親に挨拶をするような畏まった関係性ではなかった。まして親のいない自分はどうかとなれば同じ土俵にすら立っていない。

「……よく心配していた、アンタのことを」
「ええ、実家に戻ってもよく言われます。いつまでも子供扱いで」

 家族というものは、尾形にはよく分からない。分かろうと思う前にそれはみんないなかったし、以降は分かりたいとも思わなかった。今も、それを理解したい訳ではない。
 でもおそらくは、家族というものは気恥ずかしいものなのだと思う。
 家族同士の感情というものは土台が愛情なせいであまりに明け透けで、受け取る側も送る側も、見ているだけでも恥ずかしくなる。なのにそれは決して嫌なものではないから不思議だった。否。数年前まで自分であったら、それらに唾を吐いていたかもしれないが、今となってはそうではなかった。

 家族が気恥ずかしいものであることは、幸福なことである。全ての家族がそうではない。尾形の家も幸福の円の外側だった。あれは気恥ずかしいのではなく、恥だ。外には出せない。少なくとも尾形はそう感じている。

「いつまで経っても子どもなんだろう、だから心配なんだ」
「……そうですね」
「アンタがかわいいんだよ」

 尾形の言葉に、名前が目を丸くした。
 その顔が、昼間見た母親の顔と重なる。やっぱり似ていた。だとすれば、やっぱり彼女も歳を取ったら眦に皺を寄せて笑うようになるんだろう。あくまで自然に、尾形はその笑い顔を向けられる自分を想像した。しっくりと来て、むしろそれ以外は許せないなと思った。尾形は自分が狭量な男であるという自覚がある。

「先生の口から、母に私たちのことを伝えてくれたの、実は嬉しかったです」
「聞いたのか」
「はい。門のところで、母も安心した、嬉しかったって言ってました」
「そうか」

 ならば、やはり言うべきことだったのだろう。尾形は人知れず安堵した。今まで何度も選択を間違え、後悔などせずに生きてきたが、今回ばかりは間違えずに済んだらしい。

 尾形は、湯呑みを盆の上に戻し、顔を横へ向ける。ぼんやりの夏の夜空を見上げていた横顔も引き寄せられるようにして尾形の方へ向いた。耳から溢れた髪を、掬って耳にかけてやる。躊躇いなく触れられる。彼女にだけは、躊躇せずに向き合える。それが、尾形にとっての幸福だ。

「アンタとは一緒にいるつもりだ、」
「はい」
「……死ぬまで」
「……ええ。そうしましょう」
「だから近いうちに、東京へ行く」

 「スーツで」と尾形が付け加える。表彰とパーティの時にしかスーツを着ない物臭な男がそう宣言した。用件が何であるかなど、今の流れからすぐに察せられるだろう。名前の顔が綻ぶ。その目は夏の大三角も霞むほどに輝いている。

 つまるところ、尾形にとっても彼女はかわいいのだ。
 それは、彼女の親が彼女へ抱く意味とは決定的に違うけれど。

 名前はもう山猫の腹の中に収めてしまったから、手放すことはできない。幾年経とうが、彼女が尾形の手を離れることなど許容できない。尾形は、彼女が他者へ笑いかけることすら許せないような男である。人に頓着がないとはよく言ったものだ。

 何もかもが初めてだった。嬉しいと思うことも、寂しいと感じることも。全部が彼女に与えられたような気がした。
 だからこれからも、あらゆる初めてを彼女と共に経験してゆくのだ。そう決めた。

 誰かと家族になりたいと思ったのも、尾形にとっては初めてだった。

夏猫のねごと

title 花畑心中