春風が優しく私の頬を撫でる。誰かさんが私に触れてくれる時とよく似ていた。
春の日差しは穏やかで、ぽかぽかとした陽気は日向ぼっこをするにはピッタリだった。隣で左右に揺れながらベポさんが奏でる鼻唄も心地好い。ふわあと耐えきれずに、欠伸を零すと、鼻唄が止んで、ベポさんが首(?)を傾げながら私のことを見下ろしている。
「名前、眠いの?」
そんなことないですよ、と口では言ってみたけれど、また欠伸が出て、これじゃあ説得力の欠片もない。
「今日は気持ちいいもんね」
「……すみません」
どうしても、お昼の食事のあれこれが終わったあとは眠くなってしまう。おまけに、この天気はずるい。オレも眠くなってきたよーとゆらゆらするベポさんは今日も大変可愛らしい。
「一緒にお昼寝しよう!」
「え、でも」
「ちょっとだけだよ、ほら」
ベポさんがドデンと仰向けになる、凭れていた私はバランスを崩してその大きな身体にダイブする形になってしまった。(うわあ…)身体の上から下りて、そのモフモフの毛並みに寄りかからせてもらうと、とても温かくて気持ちがいい。
「おやすみぃ」
あっという間に、私には睡魔がやってきて、抗えそうにない。春の日差しと少しの疲れ。思い返せば、ここ最近は悪人面の船長さんのおかげで寝不足だったと思い出す。たまにはこんな日があってもいいでしょう。目を閉じると、あっという間に夢を見た。
ローが医学書を片手に甲板にあがるドアを開けると、生温い風が船内に流れ込んできた。悪くない心地だ。春島は嫌いじゃない。この時期は丁度ローズパークのバラが見頃だ。名前を連れて行こうと心密かに決めたは良かったものの、肝心の彼女がいない。甲板で風にでも吹かれているだろうと思ったが、その予感は嫌な形で当たった。
「いやあ、…あんなん見ると俺らが海賊だってこと忘れますよね」
ニヤニヤ顔で腕組みをするシャチの態度も気に入らない。仰向けでぐうすか眠るベポはいつも通りだ。ローもよくその腹に頭を乗せて本を読む。でも、その位置にいるのは名前で、しかも穏やかな寝息を立てている。確かに、シャチに言わせるところの、平和そのものであることは認めよう。だが、あんなに無防備に寝顔を晒すのはいかがなものか。ローの額に薄らと青筋が浮かんだのを、シャチは確かに見た。
「……チッ」
ローは手にあった医学書をシャチに押し付け、大股で依然昼寝を続けるふたりに歩み寄った。
「おい」
グイッと躊躇い無く引っ張られた名前の頬は原型を留めない程度に伸び切っている。(痛そう)
「……」
ぱちぱちと瞬きをしながら、彼女がゆっくりと目を覚ます。息のかかるほど近くにいるのは、己のキャプテン兼恋人に間違いない。
「……ローさん」
ローの姿をようやく認識したのか、優しく微笑んだ彼女はやっぱり平和そのもので、ローの心が徐々に陽だまりに包まれたように優しい気持ちになっていく。しかしそれで許しては、最悪の世代の名が廃る。
「どういうつもりだ」
こんなところで寝やがって。いくら暖かいとはいえ身体が冷えるだろう、風邪をひいたら誰が飯を作る。そもそもお前が身体を預けているそのクマはオスで、大胆にいえば男だ。
ローの心の中の鬱憤を、遠くから見ていたシャチは手に取るように感じた。しかし、悲しきかな、彼女には伝わっていない。
「あ、ごめんなさい、」
ベポさんのもふもふが気持ち良くて。でも、ローさんが独り占めしたくなるのも分かります──
「は?」「え?」
(うわあ名前のヤツ絶対勘違いしてやがる)
シャチは医学書を汚れない場所に置き去りに、そっと消えた。(退散、退散っ)ローは今度は両手で名前の頬を左右にありったけ引っ張る。
「ローひゃん!?」
「俺がお前に嫉妬してる訳ねェだろ」
そうなのだ、普段は聡明な彼女だがたまに意味不明な言動で度々ハートの海賊団を混乱に陥れてきた。何をどう見たらベポのために名前に嫉妬するんだか訳が分からない。どう考えたって、「…ベポひゃんに妬いたんでふか?」頬を赤くしながらも、キラキラと嬉しそうな視線が痛い。我ながら恥ずかしいことをいくつか言った気がする。ローが手を離すとぼよんと音を立てて彼女の顔がもとの形になる。しかし変わらず彼女の頬は緩んでいた。
「……ベポ、中戻れ」
「アイアイキャプテン!」
「へ!?」
ローが近づいた足音で起きていたのだろう、ベポは飛び起きるとドタドタと慌ただしく船内へ戻った。ポカンと口を開けてそれを見送る彼女はマヌケだ。それが愛らしいだなんてローも末期。
「お前と寝ていいのはこの俺だけだ」
額をくっつけるとひんやりした感覚が伝わってくる。こんなとこで寝るから身体が冷えるのだ。
「ごめんなさいローさん」
「反省してねぇだろう」
ゆるゆると笑う彼女に、ローは噛みつくように唇を重ねた。