その金色の髪が風に揺れている。彼が、こんなところで居眠りをしているのはとても珍しい。マストに凭れた状態で、その髪の奥に隠された瞳は閉じられている。それを見つけた私は、とりあえず女部屋のソファからブランケットを持ち出して、静かに階段を降りた。

 ゆっくりと近づいてみるも、起きる気配は皆無。そういえば、昨日はゾロさんと喧嘩から飲み比べに発展して、そのまましこたま酒を飲んでいたとウソップさんが言っていたっけ。私より遥かにお酒に強い彼ではあるけれど、やはり限度というものはあるらしい。

 彼の真正面に腰を落とすと、確かにほんのりとお酒の匂いが漂ってくる。珍しいけれど、彼のこういう一面をまたひとつ知れたことが私には嬉しかった。優しくて強くてカッコイイ、おまけにお料理が上手と来たらこの人の苦手なものは何なのだろうかと時折考えて、それでいてなんの取り柄もない自分に深いため息が出てしまう。そんな臆病で弱気な私の内面も含めて好きだと、彼は何度も言った。だからこんな無益なことを考えるのはよそうと頭を振った。手に持っていたブランケットを足元にかけてあげる。春島とはいえ、頬を撫でる風は冷たい。風邪でも引いたら大変だ。またチョッパーさんが慌ててしまう。

 穏やかな彼の寝顔をしばらく眺めて、私も船の掃除をしてしまおうと思い立つ。でもその前にほんの少し湧き上がる悪戯心を抑えきれず、私はまた彼の隣に膝をついた。

「……サンジさん」

 彼の耳元で彼の名前を口にすればいつもは恥ずかしくて言えない台詞も言えそうな気がする。――『好き』当たり前のことなのに、どうしてかいつも恥ずかしくて照れ臭くて言えない台詞が、喉の寸前まで出掛かったとき、彼の髪の間から覗く瞳がパチリと開いて、ニヤリと口元が歪んだ。

「あ、」

 起きちゃった。嬉しいような残念なような、複雑な私の心の中など目の前の彼は知るはずもなく、不必要に近いこの距離に驚く様子も見せずに、彼はあっという間に私をその腕の中に閉じ込める。

「目が覚めたら天国に来たかと思ったよ」
「ふふ、また調子いいこと言っちゃって」

 私の頭に添えられた大きな手が私の髪を優しく梳かす。目覚めのキスがあれば最高だったとサンジさんは笑うけれど、それは私ではなく王子様の仕事だ。彼の背中に手を回せば、彼の空いている手が私の顎を捉えて、そのまま触れるだけのキスをした。また、伝えたかった言葉が口の中に溶けていく。
 いつになったら形になるのかと思いながらも、そんな不安は彼の注ぐ優しい温もりの中に消えてしまった。


 長い航海を経て辿り着いた島は、白壁と赤い屋根の家々が建ち並ぶ美しい場所だった。石畳の道には店が並び、人々の笑顔と活気に溢れている。チョッパーさんとルフィさん、ウソップさんは美味しいものを探しに、いの一番に降りて行った。ゾロさんも陽のあたる場所でお昼寝をするらしい。船にきちんと帰ってこれるか心配だけれど、フランキーさんがどうにかしてくれるだろう。ナミさんとロビンさんのショッピングのお誘いを理り、私は彼の腕に自分のそれを巻き付けた。

『散歩でも行こうか』

 彼の言葉に頷いたのはこの島に来てすぐのこと、ナミさん達に誘われるより前だ。いつもは食料品の買い出しに忙しいサンジさんだけれど、ログの都合で余裕のある日はこうして私を散歩と称してデートに誘ってくれる。その言葉と共に贈られる彼の微笑みはこの海でいちばん美しい。

 白いシャツに黒のズボンと、いつもと何一つ変わらないラフな格好なのに、彼が街を歩けば絵のモデルのように見えてしまう。今も、道行く女の子が彼を見つけて振り返る。その隣を歩く私は、たまにしか履かないヒールを履いて少し気が大きくなっているけれど、その実彼の隣を歩くことにはまだ慣れない。フラフラと覚束無い私の体を支えるように腰に回った手の辺りが熱すぎる。それでも、危ないからと理由をつけてより近くに寄り添えるから、この危なっかしいパンプスはお気に入り。そんなこと、彼は知らないだろうなあ。

 街の中心にある広場には、大きな噴水があって、青空に煌めく水しぶきがとても綺麗だった。

「ステキですね、この街」
「ああ、名前ちゃんみたいな可愛い子にピッタリだ」
「そんなこと言うなら、サンジさんだって……」

 いいえ、むしろサンジさんの方がお似合いなのに。そんなことで争っても仕方ないけど。少しだけむくれた私の頬を挟むように彼は手を添えた、そして目を細めて笑うのだ。

「その靴やっぱりいいね、キスがしやすい」

 近づいた距離に、彼はいつもより腰を曲げなくて済む。子どものようなキスが離れていく。

「……大好き、」

 あまりにも自然に、それはそよ風に流されて海へと行ってしまいそうな程。私の口から零れた本音に、彼は大きく目を見開いた。

「……好きだよ、サンジさん」

 堰を切ったように溢れる想いが止められない。照れ隠しに目を逸らして微笑むと、サンジさんは何を思ったか顔を手で隠してその場にいきなりしゃがみ込んでしまった。

「さ、サンジさん?」

 私もその隣に膝をおれば、せっかくのスカートの裾が地面についてしまう。ああ、またナミさんに叱られる。

「サンジさん? どうかしました」

 肩に添えようとした私の手を、彼はパチリと掴み取って、大きく息を吐き出した。

名前ちゃん」
「はい」
「──名前ちゃん」
「、はい?」

 相変わらずいつもと違って全然スマートじゃないサンジさん。それでも覆いきれない頬がほんのり赤く染まるのを、心の底から愛しく思う。

「ハハ、もうダメだ」

 サンジさんが自分の顔を隠していた手を外せばその顔はやっぱり少しだけ赤くなっている。

「今すぐ船に戻ろうって言ったら怒る?」

 まさか。こんな青空も、たまには無駄にしたっていい。

愛は地上じゃ生きられない