「課外授業の時以来じゃね」

そう最初に言ったのは萩原だった。本当だなと少し嬉しそうな諸伏の姿を見て、時の流れを感じる。警察学校の頃、一度だけ課外授業で山に行った。昼間のトレーニングはキツかったが、夜は肝試しをしたり、こうして狭い部屋に5人押し込められて夜更けまで話をしたり、思い出せばそれなりに楽しかった。

ご丁寧に、敷かれた5組の布団。しかし何が楽しくて風呂上がりの野郎と枕を共にしなければいけないのか。はっきり言って拷問だ。耐え難い。

「松田の彼女、思ってたのと全然違った」
「……あそ」
「萩原が店とか言うからキャバ嬢に手出したのかと思ったぜ」
「発想がおっさんなんだよ…」

良い人そうで安心した──ってお前は俺の親か。過去の女を見て褒められたもんじゃないのは自覚あるが、あいつは別だ。顔も性格も、生き方だって、今まで関わってきた誰とも違った。だから興味を持ったのかもしれないし、だから惹かれたのかもしれないし。女を必死こいて口説くなんて柄じゃねぇが、それでもこの数年は無駄ではなかった。

「……松田」
「ああ?」
「明日朝行く時起こすから鍵閉めてくれ」
「へいへい」
「諸伏は?」
「俺は明日は定時で本庁」
「んじゃ、俺と一緒だな」

そっと布団を抜けると、萩原が俺を呼び止め、ひと言、「おやすみ」とヒラリ手を振った。さっさと寝ろ。



「…なにしてんだよ」
「──!?」

彼女の手元を見ると、朝飯の支度だろうか。ばらばらになった野菜が水につけられ、お皿と炊飯器がタイマーでセットされている。

「早くね」
「降谷さんとか朝早いのかなあって思ったんだけど」
「……なんで知ってんだよ、」

彼女は何故か慌てたように、思っただけでと手をバタバタ否定してくる。そんなに焦ることなのだろうか。警察の仲間だとは言ったが所属のことについては一切言葉にしていない。彼女が知る術などないはずなのに。

「……顔は諸伏がタイプなんだっけか」

不意に口をついた意地悪な言葉に、彼女はニコリと笑う。ヤキモチ?だなんて、聞かなくても分かれよ。

「悪いかよ」

ふふふと笑いながら、まるで困る様子もなく、いや嬉しいよと平気で言ってのける。彼女が不意に見せる年上の余裕つーやつが、嫌で嫌で仕方ない。自分が駄々をこねる子供みたいに思えてしまう。

「ああいう一見優しそうだけど本当は意地悪みたいな顔好きなんだよね」
「まだ言うか」

俺と話しながら、彼女は手際よく支度を進めていく。ある程度まで言ったのか、流しで手を念入りに洗うと、「陣平さんのことが一番好きよ」と取ってつけたような台詞。惨めな気持ちになるからやめろ。彼女は笑って、背伸びをすると、小さく頬に口付ける。

「これで機嫌直して?」
「無理」
「えっ」

彼女のもちみてぇな頬を挟んで、顔を近づける。「こっちにしろよ」ん?──確信犯だと名前がため息。おうおう、そうだなその通り。一見にも優しそうな顔じゃなくて悪かったな。ぶしゅっと変な音を立てて潰れた頬。ブッサイクなはずなのに、可愛いだなんて、大概、どうかしてるのだ。俺は。ぺとりとくっついた口と口。

「いまじぇったいぶしゃいくだとおもっひぇるでしょ」
「なんて?」

可笑しくて、手を離すのが惜しくて、明日の仕事なんて本当は行きたくなくて、降谷に朝イチで起こされるのも嫌で、この女がほかの男の為にと何かをするのも本当は一番嫌で、ああ心の中が汚いと思いながら、不細工に潰れた顔を笑ってる。

「……元気出た」
「私は顔が痛いよ……」

彼女が頬を摩る。その頬に唇を寄せておやすみと囁けば、赤くなった彼女が恨めしそうにもう……と呟く。そんな休日の終わり。明日の仕事は、やっぱり行きたくねぇ。

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