▲「Flyday」軸。結婚して子供がいます
時の流れは早く、子供の成長は早い。ついこの間まで、よちよち歩いていたかと思えば、もうスタスタ走って転んでいるし。あっという間に大きくなる。子供ってやつは恐ろしい。松田陣平は、子供部屋で最近流行りのアニメを見る愛息子の背中を眺めながらそっと息を吐いた。生まれた時はいつ壊れてしまうかと思うほど脆かったのに、誰に似たのか、息子は病気知らずの健康な子に育っている。
「パパージュース」
「へいへい」
ジュースは2杯までねとキツく言われたことを思い出しながら、冷蔵庫の扉を開く。出かける前、あれだけしつこく言ったにも関わらず、冷蔵庫にもご丁寧に【ジュースは2杯】とメモ書きが貼られている。
「どんだけ信用ねーんだよ、俺は」
日頃から家事も育児もそれなりに手伝っているつもりではあるが、なにせ職業柄、子供の起きている時間にいることは少ない。皿洗いとゴミ出しが主な仕事と言っていい。そういうわけでたまの非番には#name1#がゆっくり出来る様にと、子守を買って出たのだ。名前は「ありがとう」と言って、ユメと映画に出かけた。
「パパーまだー」
「ほら。ゆっくり飲めよ。2杯までだ」
「わかってるよ。ママとやくそくしてるもん」
「あ、そう」
我ながらいい子に育っていると思う。松田のように悪態をつくこともないし、今のところ反抗的なわがままボーイでもない。一緒に遊んだ帰り、「本当にじんぺーちゃんの子?」と盛大に笑ってくれたのは、萩原である。
母親である名前のことは大切にしているし、父である松田の仕事のことも幼いながらに分かっているようだった。日頃家にいる時間が短い分、会えば一緒に風呂に入り夕飯をつまみ食いし、店を手伝う。父と息子が友達のように仲良くしているのを、名前も微笑ましく見守っていた。
「これ、面白いのか」
「ほいくえんのともだちはみんな見てるよ」
「へえ、これが」
テレビに映る絵は確かに子供向けであるものの、内容は正義の味方が恋人のために命をかけて悪と戦うという、ありがちなようで実は深みのあるストーリーだ。悪役の目的が、復讐だの怨恨だの。子供が全て理解するにはやや難しい気がする。今の子供はませているんだなと、松田もそれなりにアニメを楽しんでいた。
「パパはせいぎの味方だよね」
「そうだな」
「ぼくもせいぎの味方になるよ」
「おう」
松田は誇らしげに笑う息子の頭をわしゃわしゃと撫でた。この前まで呑気に公園を駆け回っていたのに、気づいたら正義のヒーローを目指している。やっぱり子の成長は早い。松田は、息子が自分と同じく正義の味方になりたいと言ってくれたことを素直に嬉しく思った。
「そしたらぼくもすきなひとを守れるでしょ?」
「なんだ、もう好きは人がいんのか」
「うん、だいすき」
「誰だ? 保育園の友達か?」
「ううん。ママ」
「ママ?」
うん、と力強く頷く。なるほど、息子は母のナイトになるとは本当だったらしい。
「ぼく、ママとけっこんするよ」
松田は飲んでいたお茶を吹いた。息子はそんなこと全く気にせず、何事もなかったようにアニメに視線を戻していた。松田は、近くにあったタオルで口元を拭きながら、逞しく育った息子の横顔を眺める。
子が母を大切に思っていることは素晴らしい。優しいいい子に育ってくれた。でも、結婚となれば話は別である。
「ママと結婚するって?」
「うん。ぼくはママが大好きだし、ママもぼくが好きでしょ。だからだいじょうぶだよ」
「ちょっと待て」
松田が小さな肩に手を置けば、息子は「何か問題でも?」と言いたげに首を傾げている。問題はある。問題しかない。しかし、それをどう説明すべきか。松田はしばし逡巡した。
「ママはパパと結婚してるだろ? だから結婚はダメだ。でもママを大切にする気持ちは大切だ」
「でもぼくもママが好きだよ」
「俺だって好きだ」
「ぼくの方が好きだよ!」
松田はどうしたものかと息を吐く。息子の純粋な思いは尊重したい。しかし、彼女を他の男にみすみす渡すような真似は、例えそれが愛息子でも許せない。そんな半端な思いで、彼女と結婚したわけではないのだから。そんなことを言えば、年上の嫁と口達者な親友が可笑しそうに笑っている姿がふと思い浮かんだ。
「ママは、パパと結婚してるからダメだ」
息子のつぶらな瞳がうるうると潤んだところで、玄関の扉が開く音がした。
「それであんなにご機嫌ななめだったのね」
「……ああ」
今日はパパとたくさん遊んで疲れたのか、息子がいつもより早めに眠りについたころ。シャワーを浴びて出てきた陣平さんが、ことの顛末を話し、そして重いため息を吐いた。タオルで髪をガシガシと乾かしながら、少し悩んで「悪い」と一言。その様子がおかしくて、思わず笑みを零すと、今度はあからさまに唇を尖らせた。
「ごめん、でも。何に謝ってるの?」
「今日は、ちゃんと見とくって言ったろ。なのに、」
「まあ、私が帰ったら急にべったりだったもんねぇ」
陣平さんが普段あまり家にいないせいか、家にいれば必ず彼の膝の上に乗っているくらいには息子は彼のことが好きだ。だから2人でお留守番となってもそこまで心配していなかった。
しかし、今日は珍しく私が帰ると息子は一目散に私の元へ駆けてきて抱きつき、それからお風呂の間もずっと離れなかったのだ。まだ小さいから、長時間離れるのは寂しかったのかと反省したが、まさかそんな理由があったとは思うまい。
「ママと結婚か〜聞きたかったな。動画撮ってよ」
「直接プロポーズするなんてダメに決まってんだろ」
「プロポーズってまだ5歳でしょう」
「5歳だって立派な男だ」
それは、確かにそうだろう。まだ小さいけれど、もういろんなことを理解している。それに子供は案外繊細で過敏な生き物だ。私たちが気づかせまいとしている色んなことを知らず知らずのうちに察してしまっているなんてことも。
子供を子供扱いしないのが我が家の教育方針であるのはいいとしても、私を巡って息子と喧嘩するとは、彼もまだまだ若いというか、大人気ないというか。まあ、結局はそんなところも愛しいと思えてしまうのだけれど。
「それで、息子に嫉妬したって? 旦那さん」
私の旦那も息子も世界一である。これだけは胸を張って言える。今まで色んな災難に巻き込まれ、その過程で出会ったのが彼で、そのさきに生まれてきてくれたのが息子だ。それを思えば、私が今まで懸命に爆弾や殺人犯と対峙してきた甲斐もあるような気さえする。
「悪いかよ、奥さん」
「いや、うれしいよ。愛されてるね」
彼のタオルを取って、髪を拭いてあげる。いつもは息子の風呂上がりを夫婦で追いかけているからあんまりゆっくりはできない。たまにはいいだろう。男はいつまで経っても甘えたい生き物らしい。萩原さん曰く。
「当たり前だろ。死んでも離すかよ」
タオルで隠すようにキスをした。少しだけ照れくさいけれど、それでもこれが幸せだ。息子が“パパ”と“ママ”を呼びに来るまで。もう一度だけ、キスをして。