※「Flyday」if

 夜21時48分。事件は起こった。名探偵コナンの世界に生まれ落ちた一般人として日々、命の危険に晒されている私は、もうちょっとやそっとじゃ驚かないし怖がらない。まあ、それは大袈裟だとしても、ある程度のことに免疫はついてきただろうと自負していた。しかし、その晩、それは慢心だったと知ることになる。

 その日、最後のお客さんを見送り、いつも通り店の片付けをしていた。余ったものは明日以降も使えるものと使えないものに分けて、使えないものは今日の私の夕飯に。使えるものはタッパーに移して冷蔵庫へ入れる。使った道具は洗って、棚に戻した。掃除機は明日の朝にかければいいやと、カウンターに自分の夕飯を置いた。その時だった。

 店のチャイムが鳴った。そして軽くノックが2回。こんな時間にこの店を訪ねて来る人間に心当たりは一人しかいなかったが、今日は珍しく連絡なしだ。いつも来るときは、たった一言でも、「今から向かう」と言ってくれるのに。

「はーい」
「……俺だ」

 降谷零。そう、日本中に安室の女を大量発生させた安室さんこと、あの降谷零だ。

「いらっしゃい、――ってどこか行ってきた?」
「匂うか?」
「煙草がちょっと。ジャケット干しておくから脱いで」
「ああ」

 なんだかんだあって、私は正真正銘の降谷の女になってしまった訳だが、それについては長くなるので割愛するとして。私がどうぞと彼を店内に促すと、後ろの方から「マジじゃん」と男性の声がする。店に戻ろうとしたのを振り返って、零さんの後ろを見れば、姿を表したのは警察学校組の面々である。……マジか。

「――降谷に彼女?」
「これじゃ賭けは班長の勝ちってわけね」
「ハッハ 信じてたぞ、降谷」
「うるさいぞ、お前たち」

 見間違うはずもない。なぜなら私自身が前世で彼らのファンだったから。道で会ったら振り返ってしまいそうな美男子集団が楽しそうに笑いながら目の前で話をしている。それぞれに一度会ったことはあるが、こうも全員が揃うと壮観である。泣きそうなほど。

 呆気に取られて言葉の出ない私を見て、諸伏さんが眉を下げ、「ごめんね」と謝った。零さんと付き合うまでの過程で彼にも何度かお会いしている。いつも零さんと私のことを気にかけてくださる実にいい人だ。おまけに顔も声もカッコイイ。

「これは、……」
「すまない。説明するから一旦中に入ってもいいか?」

 壊れた人形のように私が頷く。零さんが至極嫌そうな顔で、全員にうるさいから入れと言った。迷惑になるほどでもないが、このイケメンたちを寒空の下に放り出しておくのは忍びないので、確かに入った方がいいだろう。ああ、やっぱり掃除機は先にかけておくべきだったなあ。


 店に入り、テーブルを二つくっつけて全員で座る。皆さんにはお茶を、私は食べようと思っていた夕飯をテーブルの上に並べた。皆さんはすでに外でご飯は済ませてきたらしい。

 緊張で味など全くしなかったが、夕飯を咀嚼しながら話を聞くに、詰まるところが伊達さんが結婚した後、誰が先に恋人ができるかという賭けをしていたそうだ。そこで伊達さんは零さんに、萩原さんは自分、松田さんは諸伏さん、諸伏さんは萩原さんに賭けていた、と。

「だからさっき班長の勝ちだって……」
「そういうことだ」
「ん? 伊達のあだ名が班長だって話したことあったか?」
「えっ? あ、ありましたよ。昔。たぶん」
「そうか」

 そこでめでたく零さんに恋人ができたと報告したところ、ぜひ会わせろということでここまで来たらしい。実に仲が宜しくていい話だ。ただのファンとしてはもっと聞きたい。でも出来れば、来るなら来るで先に言っといて欲しかった。化粧とか、ちゃんとしたのに。

「というわけで用事も済んだし、帰れ」
「釣れないこと言うねぇ」
「もっと話聞かせてくれよ」
名前が困るだろ。さっさと帰れ」
「あ、私は別に大丈夫ですけど」
「はいもうちょっといまーす」
「ごめんな」

 本音を言えば、もう少しだけ皆さんが話しているのを見たかったのだ。前世では悲しい思いをしてしまったから、こうして生きて、楽しそうに話をしているだけでなんだか泣きそうになる。

 早く帰れと言いながら零さんも楽しそうで。ああ、本当によかったなんて思ったりして。

「で、名前ちゃんはこのゴリラのどこに惚れたって?」
「ゴリラ、ですか」
「おい萩原」
「手とか握り潰されないようにな」

 気を許し合う仲だからこそ言える冗談を笑いながら、確かに前に爆弾事件に巻き込まれた時に焦った零さんに手を潰されそうになったことがあった。あまりに強く手を握るものだから、びっくりしたんだ。懐かしい。

「どこを好きになったかって言われると難しいですね」
「顔か? 顔だけは整ってる」
「顔だけはってどういう意味だ」
「顔ももちろん好きですけど、なんだろう。意外と放って置けないところですかね?」

「放って置けない?」

 彼はやるべきことが多すぎて、いつも生き急いでるように見えた。自分の命よりも、自分の使命に全てをかけてしまう人だから、目が離せないし、なんとか生きていて欲しいと思うし、だからこそ好きになってしまった。彼の誇り高い生き方に感化されたのだ。

「一緒にいないと、すぐいなくなっちゃいそうなので」
「……へぇ」
「ゼロがそんな風に思われてるなんてな」

 言ってから恥ずかしくなって、申し訳ない思いで隣の恋人を見上げれば、なんとも言えない顔で私の方を見つめていた。目が合うと、すぐに違う方を見てしまう。ああ、照れているんだと思えば、今となっては全てが愛おしく映る。

「大切にしろよ、降谷」
「そうだよ。さっさと結婚しろ。結婚はいいぞ」
「わかってるよ」

 0時を過ぎる少し前。皆さんは口々にそう言い、零さんの肩をバシバシと叩きながら帰って行った。嵐のような出来事だった。

「急に押しかけてごめん」
「いいよ。別に。楽しかったしね」

 皆さんが帰った後、二人店で片付けをしていると、ふんわりと背中が温かくなる。胸の前に回った腕に手を添えれば、私の背中を抱く腕が少し強くなった。

「勝手にいなくならないから」
「え?」
「だから安心してここで待っていてほしい」

 先程の自分の発言を思い出し、私は彼の腕の中で頷いた。零さんは公安で、私の想像もつかないような恐ろしい事件を扱っていて、いつも危険と隣り合わせにいる。ただでさせ傷つきながら戦っているのに、いつか彼は本当に死んでしまうかもしれない。この世界から消えてしまうかもしれない。ただ怖かった。一緒にいる時だけは安心できた。

 だから私は、今日のことを忘れないだろうと思う。彼が私に「いなくならない」と、「待っていてほしい」と言った、今日という日のことを。

「大丈夫。気は長いほうだから」
「ふっ なんだそれ」
「ちゃんと待ってるから。だから焦らず、無事に帰ってきて」

 愛してる。何度もそう目を見て伝えられるように。

ピンクの消失