「なんでさっき否定しなかったの?」

 別に深い意味はない。ただ聞いてみたかっただけ。私の問いに、ゾロは少しだけ黙った。普段から沈黙を飼い慣らす彼にしれみれば、特段珍しくもない反応だ。いつもならそれでお終いにしていたかもしれないけれど、今回はどうしても聞いてみたくて。許してあげるつもりはないよと、私は彼の方を振り返った。ゾロは、あくまでいつもの無表情を貫いている。

「……否定する理由がねぇ」

 とうとう二人の視線が重なる。降り頻る雨の音も彼の瞳の中に吸い込まれて消えてゆく。

「それは、合理的な理由で? それとも、気持ちの話?」


 ゾロと私がふたりで出かけることは、珍しいことではなかった。

 自由を愛する彼だけれど、自由に島を散歩させてしまうと、予定通りに船に戻って来られない。彼の方向音痴は筋金入りである。だからといって、じゃあゾロの道案内を買って出るような人間が、麦わら海賊団にいるわけもなく。

 ちゃんと帰ってきてよね、とナミに口を酸っぱく言われている彼を見かねて、私が一緒に行きたいと言ったのは、かなり前のことだったように思う。それから、なんとなく島に着いて外に行くとなったら、ふたりで出かけるようになった。アーケードまで一緒に出て別れることもあれば、一緒に服屋を回ったこともある。よく付き合ってられるわねと、ナミもロビンも苦い顔をするけれど、重い荷物を持ってくれたりもして、案外理にかなってはいたのだ。

 だから、今日もそうだった。
 新しい島に到着して、私の部屋まで「酒を買いに行く」と言いにきたゾロの後について、船を降りた。今日は私は出かける用事もなかったので、ゾロと一緒に酒屋に入った。古い蔵みたいな造りの店内には、アルコールに匂いが充満していて、店の中にいるだけで酔いそうだなんて思ったりして。

 ゾロが30分かけてお酒を選び終えたあと、店主が島の裏側に、昔この島を治めていた王様の屋敷があって、若い子には人気のスポットだと教えてくれた。きっと私たちを若いカップルと間違えたのだろう。そうなんですね、と言いながらも、ゾロがそんな場所に興味のないことは分かっていたし、今日は真っ直ぐ船に戻るのかななんて思っていた。

 でも、船へ戻ろうとする私を引き止めたのは、他でもないゾロだったのだ。

『ゾロ? 船、こっちだよ』
『あの親父が言ってたのはあっちか』
『え?』
『行きたそうな顔してただろうが』

 そう言って、ゾロが海とは反対方向へ歩き出した。そのお屋敷を見に行こうと、言葉足らずに誘ってくれた。

 他の誰も知らないことだけれど、案外ゾロは私の行きたい場所や見たい場所に付き合ってくれることがある。大抵はつまらなそうな顔であくびをしているけれど、それでもなんだかんだ着いてきてくれる。

 今日もきっとそうなんだと思って、私は彼とその屋敷を見に行くことにした。つまるところ、彼のその誘いが嬉しかったのだ。

 状況が変わってしまったのは、そのすぐあと。つい数分前までカラッと晴れていた空は嘘のように曇りだし、ああこれはまずいかもしれないと思う間もなく、大雨に変わった。船を停めている場所からはかなり離れてしまって、もうほとんど反対側まで来ていた。仕方なく私たちは近くにあった宿に飛び込んで、そして今に至る。

 船の電伝虫を使って、みんなには連絡済みだ。この嵐じゃどうせ船は出せないから、一泊して明日の朝ゆっくり戻ってくればいいと。

 電伝虫を返し、番台に「ふたりで一泊お願いします」と言ったのは私。「アンタら夫婦なら一部屋でいいかい? 空いてなくてね」と言われて、「それでいい」と言ったのは、ゾロだった。


 湿った匂いに立ち込める部屋。十畳の部屋に二組並んで敷かれた布団。私とゾロは布団の上に腰を下ろして向かい合っている。
 私の問いで、先に視線をずらしたのはゾロ。再び窓の外へと向けられてしまった視線を追っても、彼は至っていつも通りだ。

「両方」

 私の方へと戻ってきた視線と、さっきはなかった悪そうな笑み。勝負に挑む前のようなその表情が、好きだった。……そう、好きだった。もう認めよう。
 今度は、私が視線を外す。彼のように、至っていつも通りとは行かない。口をキュッとつぐんで、足の上で手を結ぶ。隣でゾロがくつくつと笑う声が聞こえてきた。

「顔赤い」
「暗いのに見えないよ」

 にゅいっと伸びてきた腕が、私のうでを掴む。倒れないくらいの強さで引かれて、思わずバランスを崩して布団の間に手をついた。顔をあげた先には、ゾロの顔。まだ、あの笑みが浮かんでいる。

「見えたぞ」

 ちょっと動けば触れてしまいそうな距離に、何も言えずに言葉を噤む。そうでもしないと、壊れそうなほど大きな音を立てている心臓が、口から飛び出してしまいそうになるから。

「ついでに聞くが、お前は否定するつもりだったか」
「な、何を」
「さっきの話」

 ゾロがもしも答えていなかったら? 彼と私は夫婦ではないのだから、否定して当たり前だ。本当なら部屋だって別々の方が望ましい。私たちはどんな関係でもなく、ただの仲間なのだから。今は、まだ。

「しない、よ」

 私の返答に、ゾロは満足そうに笑い、つかんでいた手を離した。そっと、距離が離れる。外の雨はまだ激しく降り続いていた。船に何事もなければいいけれど。

「理由は」
「――ゾロのと同じ、」

 この雨が、どうか私の心臓の音をかき消していてほしいと強く願う。そんな私の思いを知ってか知らずか、ゾロは「そうかよ」と言って、ゴロンと体を横たえた。「寝るの?」と尋ねる。「寝る」と短い答え。

「おやすみ」

 部屋の湿度に飲み込まれた小さな声には、静かな寝息が返ってきた。

 翌朝。昨晩の雨が嘘のようにまたからりと晴れた空に太陽が昇る。私たちはお金を置いて、宿を出る。道はぬかるんでいたが、舗装されているから特に問題はなさそうだ。今日は海も具合がいいと、宿の主人も言っていた。

「ゾロー、船こっちだよ」
「あ? 昨日、行けなかっただろうが」
「でも、みんな待ってるよ」
「こんな時間、まだ寝てんだろ」

 結局、見張りの私の言うことも聞かず、彼は好きに歩き出す。昨日、お屋敷を目指して、行きかけた道だ。間違いではない。間違えようもない一本道だけれども。
 まあ確かに彼の言うとおり。こんな早い時間から、みんなが出港しようと船で待っているわけもないかと、私も彼に続く。少し寄り道したところで文句を言うような人間は、あの船にはいないのだ。

「おい、名前
「ん」
「お前、後ろ歩くのやめろ」
「なんでよ」
「いちいち理由聞かなきゃ気が済まねえのか、お前は」

 彼の足が止まる。あっという間にふたり並んだ。苦い顔した彼を笑って、彼と歩調を揃えて歩き出す。誰かと並んで歩くなんて苦手なくせに。

「さっさと行くぞ」
「うん」

 ねえ、根負けして先に「好きだ」と言うのはどっちだと思う?

色褪せの頃を知らない