三井くんと偶然会った日から一週間が経った土曜日。

洗濯物を畳んでいるとソファに置いていたケータイがブーブー鳴った。知らない番号からショートメッセージが一件届いている。出だしにはただ一言[三井]とあって、思わずプッと吹き出した。[三井“です”]とかにすればいいのに、名前だけって。

[三井。飯、いつがいいとかあるか?]

メッセージの内容は、この前最後に話したことだった。
あの場の社交辞令的なノリかと思ったが、そうではなかったらしい。変に律儀なところが三井くんっぽいというか。いや、全然彼のこと知らないんだけど。

[連絡ありがとう。いつでもいいよ]

この前「いーよ」と言った手前、今さらうやむやにするのは不誠実な気がしてそう返す。予定がいつでもガラガラなのは残念ながら本当の話だし。

[今夜は?]

いつでもいいよとは言ったけど、それで今夜を提案するとは。
三井くんもなかなか思い切っているというか、思いつきで生きているというか。嫌じゃないけど、私の周りにはあんまりいなかったタイプだ。新人類。だから、高校の時も大して仲良くなかったのかなあ、なんて。

[いーよ]

いつでもいいよって言っちゃったしね。

三井くんから時間と待ち合わせ場所が返ってきたところで、ちょうど最後の洗濯物を畳み終えた。さてさて。今日はゆっくり本でも読もうかと思ったけれど、そうもいかない。おやつの時間を過ぎて、ようやくお化粧の時間だ。

重たい腰を上げる。化粧はいいけど、服を選ぶのはちょっと面倒くさい。
これでいいかと最近買ったカーディガンを手に取りながら、三井くんは結局何を話したんだろうって、それだけちょっと気になった。

18:30。

待ち合わせ場所の駅まで出れば、三井くんはすぐに見つかった。長身だから人混みの中でも彼は目をひく。この前会った時のスーツ姿も、なかなか似合うと思ったけれど、春らしいシャツでシンプルに決めた三井くんは、好青年って感じでカッコイイ。

「悪いな、急で」
「私も暇だったし全然平気。なに食べる?」
「あー、俺、この辺の店ぜんぜん知らねーんだけどさ」

どーすっか、と彼の目が夜のネオン街を彷徨う。

私が前に行ったことのある店の名前をいくつか出せば、三井くんが子供みたいな顔で「さすが」って褒めてくれるから、つい調子に乗った。それで結局一番最初に名前を出したお店に決める。安くはないけど、何を食べても美味しいイチオシの店だ。

割と静かめで、席が区切られているので、三井くんが何か話したくなった時でも話しやすい。私の勝手な仮説ではあったけど、うるさくない店をチョイスした。

三井くんは店に入るなりメニューを開いて「いい感じじゃん」と笑う。今度は年相応の飲み慣れた、大人の男の人って感じ。三井くんが笑うたびに、彼の顎の傷が目の前をチラチラするような感じがして、なんとなく落ち着かない。目のやり場に困るとも言う。

「俺、ビール。名字は?」
「ハイボールで」
「おー」

三井くんが飲み物を、私が適当につまみをオーダーする。
三井くんは腹減ってるからなんでもいーと言ったけど、男の人だしスポーツマンなので一応お腹に溜まりそうなメニューを選んだ。ここは本当に何を頼んでも美味しい。

それから、1時間あまり。私たちは改めて近況報告みたいなことをして、優雅にお酒を飲んだ。

三井くんが社会人バスケットをしていることや、同じ高校のバスケット部の後輩が3人もアメリカに渡ったこと、たまに連絡を取り合うこと。大学ではリーグ優勝も一度経験したこと。

彼の話のほとんどがバスケットに関わることで、本当にバスケットが好きなんだなとしみじみ思った。高校の頃は何とも思わなかったけれど、大人になるとそれが素晴らしいことだと気づく。心の底から好きだと思えることや夢中になれることがあるのは、きっと幸せなことだ。

「悪い、俺ばっか話しちまったな」
「ううん、楽しいよ」
「黛は? 何してたんだよ」

もう1時間経って、私が自分のありきたりな大学生活や大変だった就職活動の話を終えた頃になっても、三井くんは核心的な話は切り出さなかった。
核心的な話、というのも私が勝手に三井くんは誰かに聞いてほしいことがあるんだと決めつけているからそういう発想に至るわけだけど。

そこまで来ると、そんな大事な話みたいなものは存在しなくて、三井くんは本当にただ知ってる人と飲みたくて私を誘ったのかもと思ってくる。それならそれでいい。
三井くんがバスケットの話をする度に見せる、物憂げな瞳の理由を知りたいわけじゃない。

「やべー飲んだ」
「三井くんお酒強いんだね」
「割と飲まされんだよ、体育会系だから」
「大変じゃん」
「もう慣れた」

乾杯を言い合って、2時間と少し。これで終わりでいいかなという空気が流れる。ちょうど二人の前にあるグラスも空になった。

「……そろそろ行くか」
「そうだね」

この前は、散々バイバイを引き伸ばしてきたくせに、今日はやけにすんなり終わらせてきたことに拍子抜けする。

払うと言って聞かない三井くんを多く出してもらうことで納得させて支払いを済ませ、店を出た。入る前はまだ赤かった空が真っ暗になっていた。お酒で暑くなった体で、目一杯深呼吸。春の夜はいい匂いがする。特に、こんなふうに楽しく飲んだ夜には。

「今日はありがとな」
「こちらこそ。楽しかったです」
「……また誘ってもいいか?」

頷く。何度目かの「いーよ」を彼に返したところで、私の家の前に着いた。
じゃあね、と言って別れる。

最後まで何か言いたそうな顔をした三井くんがそれでもなにも言わずにただ「じゃあな」と返してくれる。

バイバイは、やっぱり、ちょっとだけ物悲しい。