優しだけが残る夜。私はそっとベッドから抜け出した。みんなが寝息を立てて眠る中、起こさないようにそっと足音を忍ばせて外へ出る。

「——サボくん」

花畑の真ん中で、今まさに電伝虫を切ったサボくんが、私の声で振り返る。会うのは初めてかもしれない。前世の記憶は遥か彼方にあるけれど、友達が「ルフィにはエースの他にお兄ちゃんがいたんだ」と言っていたのは覚える。随分、イケメンだなあ。

「アンタが名前か」
「初めましてになるね」
「ああ。話は聞いてるよ」

似合いのシルクハットを被り直し、彼が笑う。私があの島で過ごしたわずかな時間。サボくんが亡くなったことを知り、ひどく悲しんでいたルフィくんとエースくんのことは、私にとっても強烈な思い出だ。生きていてくれたのだ。彼もまた。他のみんなと同じように。

「ケガはもういいのか」
「怪我の治りが早いタチなの」
「そうか、そりゃよかった」
「もう、行くの?」
「ああ。やることがあるんだ」

サボくんと再会し、とても嬉しそうだったルフィくんのことを考えると、あまりにも短い再会にまた悲しんでしまいそうな気もするけど。でも、きっとそうやって、これからも3人の兄弟の絆は続いていくんだろうな。素敵だと思う。

「……アンタに、ここで会えてよかった」
「どうして?」
「礼を言いたかったのさ」
「お礼言われるようなことは何も——」
「エースを、」

サボくんが、ゆっくり私の方へ体を向ける。そして帽子を押さえて、深々と頭を下げた。

「エースを、ルフィを救ってくれてありがとう」

先の戦争で起こったことは全世界に中継されていた。世界中に衝撃を与えたあの戦争は、サボくんに失っていた記憶を呼び起こさせるものだったのだ。だから彼には救えなかった。もし、あのままエースくんを失っていたら、サボくんもきっと後悔しただろう。

「私が、助けたかっただけだよ」
「それでも礼が言いたいんだ」
「サボくんにとって2人がそうであるようにね、私にとってもエースくんやルフィくんは大切なのよ」
「ああ、見て分かったよ」
「だから、これからも2人のことよろしくね」

私よりも何倍も強いサボくんならば、きっと2人を助けられるだろう。盃を交わし合った3人で、ずっと仲良く、そして競い合っていてほしい。私が願うのはそれくらい。みんな生きていたら十分だ。

「気をつけて」
「ああ。またどこかでな」

黒い鳥たちに乗り、サボくんは行ってしまった。

:::

私がそれを見送って空を眺めていると、静かな足音が近づいてきた。聞き覚えがある。振り返らなくても分かる。世界で一番愛しい人だから。

「……行ったか」
「はい、たった今」

横に並んだローさんと見上げる月は、なぜかさっきまで見ていたものとは違って見える。この人の横にいるだけで世界が美しく見えるのだ。それを愛や恋と呼ばずになんと呼べばいいんだろう。

「ローさん」
「なんだ」
「私、夢の中でロシナンテさんに会ったことがあるんです」
「……は」
「頂上戦争の時、もう死ぬって時に」

お腹の真ん中に大きな穴が空いた。光の中を歩き、ああここは天国への道なのかもしれないと思った時、途中でロシナンテさんに会ったのだ。初めてだったのに、まるでそうは思えない不思議な雰囲気を纏った人だ。少しだけ話をした。夢の中で。それも優しい人だなと思ったことを、今でもはっきり覚えている。

「ローさんを頼むって言われました」
「……」
「あと、これからも見守っているって」
「コラさんがか」
「はい。私の夢の中でですけど」

ローさんは被っていた帽子を目元を隠すように被り直した。そして消えてしまいそうな小さな声で言った。「コラさんなら、言う気がする」と。うん。私もそう思います。あれはきっと夢だけど、夢じゃなかった。あの世界で一番優しい人は、今も、きっとローさんのことを見守りながら、彼の幸せを祈っている。

「私、とっても感謝してるんです」
「何にだ」
「ロシナンテさんにも、ローさんのお父さんやお母さんや妹さんに」
「……」
「ハートの海賊団の皆さんにも。ローさんを守ってくれて、たくさん愛してくれたから」

夜風で冷えた頬に手を伸ばす。たくさんの人に愛されてきた。大切にされてきた。ローさんの中に宿る優しさや愛情は、彼の周りにいる人が命をかけて、彼に与えてきたものだ。

私の手に、ローさんの大きな手が重なる。私が手を伸ばせば、少し腰をかがめてくれる彼の優しさだけは、これからもずっと私だけのものであってほしい。なんてワガママ。たまには許してほしい。

「私は、ローさんが生きていてくれたことが嬉しいんです」
名前
「なんですか」

「愛してる」

夜のしじまにこぼれた彼の言葉を掬い取って、誰にもあげないわと抱きしめる。顔と顔を近づけて微笑み合えば、ただただ幸せだった。穏やかな寝息が聞こえてきそうな晩に、私はそっと声を潜めて、彼の耳元に唇を寄せる。

「私も、愛しています」

「わたしの地獄にきみはいない」〆
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