▽Law

 あの日、あの冬の日。彼女が俺を初めて名前で呼んだ。どれだけ近づいても頑なに距離を保とうとする強情な彼女が、俺を「船長さん」と甘ったるい声で呼ぶ彼女が、俺を「ローさん」と呼んだ。それは、忘れられない響きをしていた。

 「行くぞ」と言った俺に、「どこまでも」と彼女が笑い返したあの日に、死ぬまで彼女と共にいようと思った。それまでどこまでどこまで彼女と共に行こう、と。

 この先、ハートの海賊団は解散する日が来るかもしれない。俺たちがいつか船を降りる日が来るかもしれない。数えきれないほどの夜を越え、共に海を渡った船員をもっと広い空の下に送り出す日が来るかもしれない。しかし、この先の未来のどんな日にも彼女と共にあろう、と思った。誰にも、言ったことはない。今後言う日も来ないだろう。

 俺は、自分がこれまでもこれからも正しい道を生きてきたとは思わない。

 救われて、生きながらえた命で選んだのは海賊だ。人の命も、宝も、道理も奪って生きてきた。復讐を誓い、コラさんのためだけに、あの男と戦った。復讐なんてと誰かが言う。誰に理解されなくてもよかった。コラさんに生かされた俺が、自分で選んだ道だったから。だから、俺に綺麗な終わりが用意されていなくても構わなかった。命を落としても、果たしたいことだった。

 それを果たした今、これからも海賊として生きていく。仲間を乗せ、ひとつなぎの財宝を手に入れるため。

 海賊は悪人だ。人生が美しいものだなんて思わない。冒険の果て、何があっても悔いはない。一人きりで死ぬことになってもよかった。誰かに負けたとしても、誰かを救って死んだとしても、未来に起こる何かのために悔いを残して死んだとしてもよかった。そこに大義があって、死んでもいいと思えたなら幸運だろう。どんなに呆気なくとも、どんなに孤独でも構わない。自分が選んだのは、そういう道だ。

 でも、名前は駄目だ。

 一人で死ぬのも、一人で泣くのも。一人で傷つくのも駄目だ。死ぬまで笑え。皺だらけの手を握る力も無くなって、それでも笑っていてほしい。幸せ以外の人生を歩むことなど許さない。たとえ俺が、どんなに早く彼女の前からいなくなることになったとしても、ひとりぼっちになどなるな。死ぬ時も一人で死なず、誰かに見送られながら暖かなところで。

 ——名前だけは。俺が選んで手を取った、彼女だけは絶対に一人で死なせない。一人で生きるのも駄目だ。いつも幸福な場所にいてほしい。叶うのなら、永く俺の傍で。叶わないのなら、せめて違う仲間の近くで。知らない男の隣も駄目だ。俺以外の人間を愛するなんて許してやれるほど広い心は持っていないつもりだ。

 ああ、文句の多い男だと言ってくれるな。今さら後悔したってもう遅い。それだけ、お前を愛しているから。

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「ローさんって意外と嫉妬深いんですね」
「あ?」
「もう、怖い顔しないでください」

ポーラータンクの上、真っ暗な空が広がる夜。俺の隣で彼女が囁く。昼間、彼女に声をかけた男に用件を言わせる前に「失せろ」と言ったことを言っているのだ。手を出さなかっただけ褒めて欲しいもんだが。

「……嫌になったか」
「まさか、ただ意外だっただけです」

この心に巣食う浅ましい独占欲や、沸る嫉妬心を知った時も、彼女は「意外」と笑うだろうか。まだ言えない。本当は言うつもりはない。ただ時々我慢が効かなくなるだけだ。

「悪かったな、分かりにくい男で」
「いいんです。これからもどうかそのままでいてください」

——あなたのそういう一面は、私だけが知っていればいいんです。

彼女はそっと笑って、俺の胸元に顔を寄せて目を閉じた。意外と嫉妬深いのは、どっちの話だ。なあ、おい。まだ眠くない。