何度でも言いたいのは、私がただの町のレストランで料理を作るしがないアラサーであるということである。端的に言えばそれしか能がない。お店も両親から譲り受けたもので、自分で一から建てた訳でもない。本当に、運命のイタズラで、米花町に店を持っただけ。料理人としての夢を捨てきれずに店を継ぎ、最初は案外いいところじゃん米花町と胡座をかき、すったもんだあって、現在に至る。思い出すのも億劫な程のすったもんだだった。そして米花町は、やはり安全な町でもなかった。日夜、事件のニュースは絶えない。
金曜日の夜、最初にやって来たのは、佐藤刑事と高木刑事だった。常連というほどでもないが、お久しぶりですねのついでに、世間話をする程度の知り合いであることは間違いない。幸か不幸か、松田陣平を恋人にもつ私は、警察関係者の皆さんともそこそこ面識がある。別に望んではない。ただ皆さんがいい人なので、折角の人との縁は大切にしたいとは、思う。事件に巻き込まれるのは真っ平御免なので、事件現場では、お久しぶりですねと言いたくないのだが。
「とりあえず華金セットもらえるかしら?」
高木くんも同じのでいい?と佐藤刑事が確認を取り、もちろんですと言われたので、オーダー表に華金二つとメモ。金曜夜限定のスタミナ豚丼とビールのセットは疲れ切ったサラリーマン並び各方面から好評である。
「お飲物ビールで大丈夫ですか?」
「ええ、うんと冷えたやつお願い」
「あ、僕も!」
「かしこまりました」
ケースの奥に手を伸ばし、うんと冷えてそうなグラスを二つ。金曜にうんと冷えたビール。それは美味しいよなあと思いながら、黄金色の液体を注いでいく。先に飲み物を出してしまうと、二人は早速一週間の疲れを労う様にゴクゴクとビールを飲んでゆく。私も料理に取り掛からねば。
「聞いてよ、由美ったらね」
お酒の入った佐藤さんが、由美さんがあれやこれやと愚痴を零す。なんだかんだ親友な二人でも確かに彼女の有り余る行動力はテレビ画面越しにも伝わっていたな。あれを友達にすると思うと、ちょっと疲れそうだ。
ウンウンと頷きながらも、どことなく落ち着かない高木刑事は今夜のこれからのことでも考えているのだろうか。あの二人いよいよ付き合い始めたって、萩原さんから聞いたぞ。じれったいのなんのって言っていたが、二人はどういう風に思いを伝え合うんだっけ。さっぱり思い出せないのが残念だ。
カランカランとドアベルがなり、こんばんはと顔を出したのはコナンくんと蘭ちゃんだった。また食べに来ちゃいましたと笑う蘭ちゃんはもちろん可愛いが、こんばんはと子供を装う名探偵には、見苦しい場面を度々見られているので、若干恥ずかしさがある。水を持って注文を取りに行くと、蘭ちゃんはカルボナーラ、コナンくんはオムライスを頼んでくれた。
「名探偵、ケチャップはハートとLOVEどっちがいい?」
「……名前さん、僕のことからかってるでしょ」
冗談だからそんな可愛くない顔で睨まないで欲しい。蘭ちゃんしか喜ばない。ハートは前回やってしっかりと嫌味を言われたので、今回はにこちゃんマークで勘弁してあげる。私は良心的な人間だ。
やって来たコナンくんたちと挨拶を交わす佐藤刑事たちのところに、出来上がった華金セットを持ってゆく。このメニューの唯一の難点は店がちょっとばかりにんにく臭くなることだ。前に、閉店後やって来た陣平さんに『なんか臭う』と言われたの、こう見えて気にしてる。あの男はデリカシーの欠片もない。知っていた。
卵を溶きつつ、牛乳を入れる。マヨネーズを入れると卵料理はふっくらするのだが、これを言っていたのは料理学校時代の先生か母親かはたまた料理の鉄人か。記憶とは常にあやふやなものだ。マヨネーズの分量さえ覚えているなら、私の人生には何の支障もないのだけど。蘭ちゃんが、壁にかかっているカレンダーを見て、もうすぐバレンタインデーだねと言った。「あ」忘れていたと思われる、私、佐藤刑事、名探偵の声がピタリと重なった。もう数日しかないじゃないか。
「コナンくん、いくつチョコレートもらえるか楽しみね」
「ぶっっ」
ちらり 名探偵の様子を確認。飲んでいた水を吹き出して、蘭ちゃんを困らせている。ふきんを持って向かおうとしたら、大丈夫と手で制されたので、そんなに零しはしなかったみたいだ。いくら天才探偵とはいえ、まだまだ未熟だな。そんなところが可愛いなとアラサーの心を掴んでしまう訳だけど。
「ぼ、ぼくチョコレートは……」
ごにょごにょと言い澱んでいるのを見てクスリと笑う。そういう年頃だよね、17歳って。羨ましいことこの上ない。そして、そんな多感な年頃にも関わらず自分の色恋沙汰にはめっぽう疎い蘭ちゃんが、にこにことコナンくんの話を聞いている。蘭ちゃんの渡すチョコについて確認したくてできない名探偵はなかなか可愛かった。あ、目があった。待て、睨むな。
「蘭ちゃんは誰かにチョコレート渡すの?」
オムライスとカルボナーラを出すついでに、聞いてあげれば、名探偵があからさまにグッジョブみたいな顔をしてくるから笑ってしまいうそうになる。堪えた私、えらい。
「う~ん、例年通り、部活の先輩、お父さん、あ、もちろんコナンくんにも作るよ、あとは…ほら、ねえ」
「新一くんにも?」
「帰ってこないとは思うんですけど!……一応、もしかしたら事件片付くかもしれないじゃないですか」
今度は蘭ちゃんがもじもじする番だった。照れた彼女が顔を上げられないうちに、にっこり年相応の笑顔を見せる名探偵は、嬉しそう。
「去年も、会えなかったけど帰って来たみたいですし」
ああ…あれか(※)。それじゃあ気合い入れなきゃね、と言う私に返してくれた微笑みはまさに恋する乙女だ。可愛い。名探偵のありがとうにも、多分に意味が含まれていたことだろう。いつものお礼ってことでいいよ。
その後、いつも通り陣平さんが既にちょっと酔っ払った萩原さんを連れて来た。萩原さんはともかく、金曜はご飯を食べに来て、そのまま泊まってゆくのが常なので問題ない。いつも通りだ。当たり前に全員顔見知りだから「奇遇だ」「偶然だ」なんて言い合いながら、楽しそうで店の雰囲気もとても良い。テーブルのが埋まるのはもちろん幸せだ。だがしかし、今の状況はどうだろうか。キッチンから覗けば、警察関係者が4人、物語の主人公とそのヒロイン。あまりにも、事件の匂いがする。
考えすぎだ、とそんなこと言われなくてもわかってる。でもそれで本当に事件が起きた時にお前は責任取れるのかと、誰を責めるわけでもなく泣いた。原作でこの状況になったら間違いなく誰か死ぬ。コナンは主要キャラが殺されることはないので、私を含む名もなきモブの誰かがハデに緻密に殺されるんだ。何度も見た。今日が人生最後の日だなんて嘘だ。昨日までの平凡な日常を心底愛してた。しかし、相手は百戦錬磨の死神である。
「名前ちゃん体調でも悪いの?」
「この世の終わりみたいな顔してどうした」
「……間違ってないのが怖い」
「は?」
私が殺されなくても店で事件なんて起こされたら、即閉店である。指折り7年。健闘して来た方だ。悔いしかないけど死ぬよりマシです、神様。陣平さんと萩原さんに最後の晩餐になるかもしれない華金セットを作りながら、神に手を合わせた。ちなみに、度々爆弾を押し付けてくる破天荒な神様なのでそこまで信用していない。
チクタクと時計が時を刻む。時間の流れが遅い。私一人が尋常じゃない緊張感を味わっているのは不公平だ。息苦しい。さて何とか名探偵を追い出せば勝利では、と思ったがゆっくりと会話を楽しみながらオムライスをぱくついている小1に帰れと言うのは、幾ら何でも悪魔だ。はあ、と息を吐いたと同時に、カランカランとベルが鳴る。またか、今日は本当に悲しいくらいお客さんの来る日だ。
「いらっしゃいませ」
未来の事件現場にようこそ(?)できれば帰ることを勧めるぞ、と顔を上げたらあら、びっくり。「カッ」――いとうキッドとそのガールフレンド。急いで、口を塞いだ。むせたフリで誤魔化した。と思う。お願い誤魔化されて。
「お、お好きな席へどうぞ」
事件が向こうからやってきた。よりにもよって、こんな正義の巣窟へ迷い込むとは、黒羽くんも強運だなあ。
「ゲッ」
「? どうしたの快斗」
「い、いや、何でも?」
オムライスをパクつく名探偵――天敵を発見し、顔をしかめた怪盗キッド。うん、確かに顔がよく似ている。イケメンだ。青子ちゃんも可愛い。店を変えようと画策していたキッドも、青子ちゃんに「何で?快斗も行ってみたいってこの前言ってたじゃん」と言われてしまえば、黙ってしまった。ああ若いな。せいぜい生き延びればいい。私はキッドも嫌いじゃないが、いつでも正義の味方だ。
「青ざめたり笑ったり、アンタ本当大丈夫か?」
「とりあえず世界の終わりは脱したよ」
「は?」
キッド回は殺人が少ないので、私はもう自由だ。この豚丼も最後の晩餐にならずに済みそう。うんと頷けば、陣平さんが眉を顰める。生きているって素晴らしいね。
切り取り視線
※原作33巻/アニメ266話~「バレンタインの真実」