大きく体が外に舞い、ルフィくんやローさんたちが外へ投げ出されたのが視界の端で見えていた。しかし、私の体は伸びてきた糸に絡め取られて、元の床へと戻される。そうして必然的に見上げた空には無数の糸が伸びている。あれが”鳥カゴ”。この島全体を糸で閉じ込める狂気の技だ。
「空が、近づいてくる……」
ドフラミンゴが恐ろしい声で、ゲームの始まりを告げた。王宮にいるドフラミンゴを殺すか、彼の用意した賞金首——麦わらの一味と、革命軍、そしてローさんを殺すか。
「迷っている時間はないぞ! 刻一刻と人間は倒れ、街は燃えていく!」
異様な気配が島全体に広がったのを、しっかりと肌で感じた。絶望、怒り、恐怖。悲しみ。人間の心の底にある恐ろしい感情がむき出しになる。そしてそれを、彼は望んでいる。私たち無力な人間は糸で繋がれた、ドフラミンゴという男の操り人形なのだ。
ぷっつりと中継が止んだ後も、島全体から音が止むことはない。
「——というわけだ。お嬢ちゃんにもこの城で、ゲームの行方を見守ってもらうぜ」
生きるって難しい。死にそうになるたびにそんなことを考える。小さかった頃、狭い島の中の狭い店と家だけが世界だったあの頃はそんなことを考えたこともなかった。母と別れ、1人で海に出た時もそう。心のままに、行きたい場所へ帆を張って流れていければそれだけでよかった。
一体いつから難しくなったんだろう。キッカケになることが多すぎて分からない。大切にしたいと思える人に出会えた。救いたい命があった。幸せになってほしいと誰かのために心底願った。その度に、大きな壁があって、それにぶつかるたびに、ああ生きるのってしんどいなあって思ってる。今だってローさんの傷がジュクジュク痛み、固い石の床に叩きつけられた体から骨が軋んだ音がしてる。
大きく一度息を吸って、吐いてみた。まだ生きてる。地獄のような世界の真ん中で、地獄のような男のそばにいても、私はまだ生きているんだ。
「分からねェな」
「……何がですか」
「お嬢ちゃんのことさ」
私を見下ろすドフラミンゴの冷たい視線。それを言うなら私だって分からないけど。分かりたいとも、あんまり思わない。ただ一つ言えるのは、分かり合えない同士が近くにいるのは危険だってことだけ。混じり合わない色は、隣に塗ってはいけないのだ。
「是が非でも生きていたいような顔で、死ぬかもしれねぇことを平気でやる。なァ、何を考えてるんだ?」
心底理解できないと、彼の薄笑いが語っている。
圧倒的に弱く、それでも強さに立ち向かおうとすることを彼は理解できないと切り捨てる。私たちは混じり合わない色なのだ。だからこの人の近くは、ひどく居心地が悪い。誰かを救おうとして、その何倍も誰かに救われてきた私の生を、彼が理解できる日は来ないだろう。
「あなたには、きっと分かりませんよ」
「……あ?」
「そんなどうでもいいことで怒らないでください。この戦いが終わるまでに答えを用意しておきますから」
血の匂いが風に混じる。息をしているだけでも苦しいのに、それでもまだ生きていたい。私よりもずっと苦しい人生を歩んできた人が、そしてこれからもっと大きな痛みと苦しみに耐えながら戦う人がいると知っている。私は私のできることで、自分の生を全うする。今までも、これからもそれが私の生き方だ。
「約束だ」
「はい、約束です」
▽
「外壁塔の庭まで落とされた……!」
「ピーカがいる以上ドフラミンゴには近づけないわ!」
「始まった……! ”鳥かご”だ……!」
ドレスローザの空を絶望が覆う。ローたちが見上げた空にはドフラミンゴの不吉な糸が高く上り、やがて空は花開くように広がってゆく。それが何を意味するのか。ローは正しく理解していた。ドフラミンゴはすべての悪事が漏れる前に、全員の口を塞ぐつもりなのだと。
「おい、名前は!」
「えっ、さっきまで一緒にいただろ」
「彼女なら、あそこにいるわ」
ローが苦々しい顔で城を見上げる。どこまでも自分を苦しめる男。心底自分を心配していた彼女の顔が今もそこに見えるようだった。心配するな。どっちがどっちを? いつもこうだ。互いに心配ばかり。楽しませるよりも怖い目に合わせてばかりだった。
気丈に振る舞う彼女が、本当は怖がりだと知っている。何よりも大切な人間が傷つくことを恐れていることも。それでも止まれない自分は、彼女の瞳にはどう映っていただろう。いま、彼女はどんな気持ちであそこにいる? 爪が食い込むほど強く手を握っても、今は届かない。
「トラ男、名前も絶対助ける。あいつは俺の家族みたいなもんだ」
「……怒れる四皇の矛先が俺たちに向けられる。それがどういうことか分かってんのか」
「じゃあ助けねえって言うのかよ」
「ちげえ。あいつがお前にとって家族みたいなもんだとしても、今は俺のクルーだ。そこまでリスクを冒す必要はねえって話をしてんだよ」
「そんなことはどうでもいい! この国をよく見てみろ!今、俺が止まってどうすんだ!」
時間がない。早くしなければ何もかも手遅れだ。
戦う覚悟に満ちた海賊の瞳を前にして止めることなど無駄なのだと、ローもよく知っている。
止まれないのなら、進みきれ。きっと、そう彼女も望んでいる。