場所は変わって、サニー号。
 サンジへのドフラミンゴの攻撃を間一髪交わし、ローが船の上へと降り立った。

「トラ男だー! サンジが助かった!」

 当初の予定は狂ったが、果たすべきことは変わらない。まだ人質であるシーザーがこちら側にある。人質がある限り、多少のアドバンテージは残っている。ローはシーザーをナミたちへ引き渡し、このままゾウの国を目指すように指示をする。有力な攻撃陣はほとんど「工場破壊」のため、島内にいる。今は逃げるのが最善策だった。

「トラ男くん! でも、名前……!」
名前がなんだ」
「ドフラミンゴに連れ去られたんだ!」
「なんだと!?」
「だからそのことも早く伝えないと思って!」

 ローは大きく舌打ちをした。待っていると言ったのは名前の方だったのに、結局、彼女もあの城にいるということだ。……どうしてこうも計画とは想定通りにいかないのか。

「あいつは、俺が取り戻す」
名前さんから、伝言が」
「……一応、聞いておく」
「”あなたは、あなたのやるべきことだけを”——と」

 彼女の、言いそうなことだ。医者の不養生だの、自分を大切にしろだの、口をひらけば、愛の言葉でなくそんなことばかり言うくせに、自分よりも他人のことばかり考える。自分を顧みないのはどっちなんだ。ローは手の中にある鬼哭を強く握り直す。”やるべきこと”は、多そうだ。

「分かった。お前らは早く行け」

:::
 
 ドフラミンゴが、ローさんとの取引へ向かって数時間が経過した。壁にかけられた時計の針は3を少し過ぎている。真っ暗な部屋の一室にいる私には、外の様子は分からない。どうか無事でいてほしい。取引が上手くいけばいい。でも、私が今、ここにいる時点で計画通りにはならないはずだ。それに、これがワンピースという物語の一つなら、そうとんとん拍子にコトが進むはずがない。

 私がここへ素直に来なければ、あの場で船は攻撃されていた。だから来るしかなかった。でも私を人質に取られたことで、ローさんが不利になれば? もう、何が正解か分からない。こんな時、物知り顔の神さまがいればと一瞬思ったけれど、そういえばあの神さまは私に必要なことはほとんど何も教えてくれなかったっけ。

 自分の人生。ぜんぶ、自分の足で歩いて自分の頭で考えるんだ。

 硬く握りしめた手の中に、小さく燃え始めた命の紙。少しずつ、しかし確実に彼の命が削られていく。なくならないように強く握っても、それを止めることは私にはできやしない。どうすればいい? どうすれば救える?

 時計の長い針がちょうど9を指した時、閉じられていた扉が開く。行きとは違い、乱れた姿のドフラミンゴが壁にもたれてそこにいた。

「ちゃんと待っていたようだな?」
「どうせ逃げられません」
「正解だ」

 ドフラミンゴは、唇の端をあげ「出ろ」と低い声で命令をする。彼の後について行けば、広間に通される。ドフラミンゴの仲間らしいメンバーも揃っている。大きなイスが4つ。そして、その一つに座らされているのは——

「ローさん!」

 駆け寄ろうとした私の腕をドフラミンゴの手が許さない。

「殺しちゃいねえよ。……今はまだ、な」

 私はいつも自分の無力さを悔いてばかりいる。ちぎれそうなほどに唇を噛み締めたって、状況は何も変わらない。私にできることは、いつもあまりにも少ないのだ。

「手を、一度離して、彼の近くに行かせてはくれませんか」
「あ?」
「秘密を、あなたに教えます」

 サングラスの奥。いつも隠された瞳と視線が交わる。賭けだった。これがどう転ぶか分からない。今それをすべきかも分からない。ちゃんと生きてこの戦いを終えることができたら、ローさんにひどく叱られそうな気もした。でも、今はそんな先のこと考えていられない。
 
 ドフラミンゴの手が緩まる。やってみろという意味だと理解して、私はローさんの元へと向かう。ひどい傷だ。息も浅い。こうしているのだって辛いだろうに。ボロボロになった彼の姿を間近で見て、泣きそうなほど悲しくなったけれど、時間だってない。私には、私のやれることを。

「——どういうことだ?」

 左手を彼の体にかざすと、自分の体に吐きそうな痛みが降りてくる。「……ッハァ」一瞬で傷だらけになった私に、ドフララミンゴの視線が集中する。全ては無理だけれど、何もしないよりはローさんだってマシなはず。裂けた私の皮膚から血が流れ、骨がズキズキと痛んでくる。ああ。この感覚、久しぶりな気がするなあ。

「見たまんま、です」
「悪魔の実の能力者か?」
「いいえ。あなたより、泳ぐのは得意だと思います」
「じゃあ今のはなんだって言うんだ」

 彼がそう思うのも当然だった。悪魔の実でもないのに、他人の傷を引き受けるなんてあり得ない。でもそのあり得ないことが当然のように起こるのが、この世界だろう。

「この世界には、まだあなたの知らないことがあるんです」

 例えば、この世界を見守る神さまは本当に存在しているんだって。