私は、咄嗟に柱の陰に身を隠した。ローだ。ジュエリーショップから出てきた男女のうち、男の方が確実にローだった。女性の方は大きな帽子で顔が見えなかったが、それでもすらりと伸びた長い足に、砂浜のような白い肌。私を絶望させるのには十分だ。

 考えたことがないわけではなかった。幼馴染、ハートのクルー。あまりに長い時間を一緒に過ごしたけれど、それでもその長い時間を『幼馴染』として過ごしてきた私たちに、これから大きな変化が訪れるなんて、とてもじゃないけど思えない。

 それよりも、ローに恋人ができる未来の方がずっと自然で、存在もしない恋人を彼の隣に描き出しては、ひっそりと心の傷を抉っていた。それが、ついに。

 私の思い描いた通りの抜群のスタイル。上品な振る舞いは知性に満ち溢れ、容姿を差し引いても、私に勝ち目など万に一つもないと思った。考えなかったわけじゃない。いつかローに恋人ができる日を。一夜の遊び相手でしょうと切り捨てられないような相手が、彼にもできたのだ。思い当たる節はある。最近のローは何だか少し落ち着かなくて、何かを言いかけることも多かった。しかも、それが全て私に限った話だったのだ。ゾウの国からお世話になっているルフィくんやサンジさん、ナミさんたちにだって今まで通り、全然平気なのに。

 どんよりと重たい気持ちを抱え、ローの視界に入らないように、すぐにその場を後にした。男女のアレコレには疎い私でも、ジュエリーショップから男と女が出てくる意味はわかる。とぼとぼと足を引きずり、サウザンドサニー号へと帰る。華やいだ市場の明かりが、胸にチクチクと刺さって痛いのだ。

名前~、おかえり!」
「あ、ナミさん、ただいま」
「何、あんたどうしたの?その顔」
「顔…?」
「ひどい顔してるわよ」

 マストの上にいたナミさんが軽い身のこなしで、甲板に戻ってくる。私の両肩に手を置いて、顔を覗き込んできた。ぺチリ。頬に手を当てられ、彼女がやけに心配していることだけはわかった。そんなひどい顔をしているのか、私。

「何にもないよ」
「何にもないって顔じゃないでしょう、早く白状しなさい」

 ナミさんの圧に負けて、実は――と今見た光景を話した。どうってことはない、ただ自分の船長が女の人とデートをしていたのをたまたま目撃してしまっただけのこと。わざわざナミさんの時間をとってまで相談することでもなんでもない、でも、だけど、どうしたって胸が痛んで、泣いてしまいそうなほど悲しいのだ。

「何、そんなこと」
「へ」
「とらおのやつ、やっと腹決めたってわけね」
「あの、ナミさん?」

 私の話を聞きおえ、今にも泣きそうな私の頭をぐしゃぐしゃと撫でた後、ナミさんはとても優しく微笑んだ。

「大丈夫よ、今日の夜にでも部屋に突撃してやんなさい」


 ナミさんと、その後ナミさんから話を聞いたらしいロビンさんの生易しい笑顔に背中を押され、私は女子部屋を抜け出した。できれば、今は会いたくないが、あの二人にああも押されては私に勝ち目などない。話をするまで帰ってくるなという勢いだ。

 ローのことを考える。ローがコラさんと別れてすぐの頃から一緒の幼馴染。船を買って海に出るというときも当然一緒に、とついてきた。幼馴染であり、ハートのクルー。彼に恋人ができたところで、船を追い出されることはないだろう。それよりも、私がそんなローを見て、耐えられるかどうかはまた別の話だけど。

「はあ……」
「何してんだ、こんな時間に」
「わっ」

 柵にもたれ、腕を組んだローがじっと夜の中で私を厳しい顔で見つめていた。

 何してんだ、と言われ咄嗟にでまかせを言いそうになる。しかし、それではだめだ。ちゃんと話をしろと言われていたじゃないか。私はお腹の前でぎゅっと拳を握った。

「ローと、話がしたくてね」
「ああ」
「今、時間あるかな」

 ローが腕を解いて、頷いた。私の心臓がドキドキと異様に早い音を立てる。あまりに静かな夜では、私の鼓動も漏れ聞こえてしまうのではないか。そう思うと、また余計に早くなる。

 胸が痛い。顔に熱が集まっているのもわかる。ローの目を見つめ返せば、やっぱり好きだなんて。

「最近私に秘密にしてること、……ある?」
ローが、ふっと小さく息をこぼして笑った。ああ、と頷かれる。隠し事なんて今の今までほとんどしてこなかった。彼が一人で抱えてしまうことはあっても、私たちはいつも同じ時間を共有してきたはずだったのに。

「最近じゃなくて、ずっとだな」
「……そっか、」
「悪かったな」
「ううん、いや。そっか、」
「好きだ」

 静かに、時間が止まった。
 彼の言葉が、すぐに海風に吹かれて消えていってしまう。『好きだ』彼が放った言葉を噛み締めて、意味を理解しようとするも頭が追いつかない。

「ずっと。言えなくて悪かった」
「ろ、ロー?」
「ああ。勘違いさせるな、って怒られた」
「だ、誰に?」

 彼がプイッと尖らせた唇を、女子部屋の方へと向ける。ナミさんとロビンさんの意味深な顔を思い出し、少しずつピースがはまっていく。

「でも、今日私ローと女の人が宝石屋さんから出てくるの見たよ」
「ああ、聞いた」

 私の手を取り、手のひらを上に向けると、ローはそこにポンと小さなケースを置いた。もう片方の手でそれをひらけば、小さな宝石のついた可愛らしいピアスが入っていて、これが私に向けられたものだと知る。ローは苦々しい顔で選んでいる時にたまたまロビンさんと会って、一緒に選んでいたらしい。

 つまり、二人は知っていたのだ、二人は。彼が私を好きで、私も彼が好きで。彼が恋人ができたと不安で狼狽えるのは杞憂だ、と。

 そう思えたら、もうふつふつと笑いがお腹のそこから込み上げてくる。なんて可愛いピアスなんだろう。キラリと光るイエローダイヤが、なんともローらしくて喜びと驚きが湧き上がってきた。

「……もう恥ずかしいなあ」
「お前だけじゃねェ」
「これも選んでくれたんでしょう?」

 ジュエリーショップなんて行ってるとこ見たことないのに。おまけに二人にからかわれて。らしくないことをするローを想像して、暖かくなる胸に、ほんのりと涙が溢れる。ああ、良かったあ。

「……で、返事は」
「今更?」
「礼儀だろ」
「ローの口からそんな言葉が出てくるなんて」

 ピアスの蓋をそっと閉じて、大事に両手で閉じ込める。

「好きだよ」

 この心から溢れ出す想いに名前をつけるなら、それはありふれた言葉にしかならない。好きだ、彼のことがとても。とてもとても、彼のことが好きだった。

「今回のことでね、私ってすごいローのこと好きだったんだなあって気づかされちゃった」

 きっと当たり前のように続いていく日常に安心して、いつか来る未来を描いては目を逸らし、平穏が続くことを祈っていたのだ。だから、失うことが怖くて仕方なかった。

 ローは大きくため息をついて、長い腕を伸ばした。初めて感じる彼の体温は思ったよりも温かくて、ローってこんなに体温高いんだ。恥ずかしい、照れ臭い。でも、いつだってこんな未来を望んでいた。

「好きだよ」
「もう黙れ」
「あ、照れてる」

 私もそっと腕を背中に回して、今日ばかりは彼の体温と優しさを楽しむことにした。

ラピスラズリの砂糖漬け